④
週明け、出勤するや否やアメリアはキラキラと輝かしい視線で迎えられた。
発信源は言わずもがな、自分の上司であり、先日限定的友人となり遊びに出掛けたシュティル・ベイリーである。
彼の言わんとしていることはその視線で全て筒抜けなのだが、アメリアはそれをスルーする。
職場は職場、プライベートはプライベート。
線引きが完璧な人間であった。
まるでアメリアに御光がさしているかの如く視線を一身に受けながら仕事をこなし、漸く休憩時間になった時、アメリアはシュティルに呼び出された。
「何かご用ですか?」
外で会っていた時とは打って変わって真顔で淡々と聞くアメリアに、同じく真顔のシュティルは少し言葉に詰まりながら答えた。
「…次回、の件だが。」
「はい。」
「こちらが場所を指定してもいいだろうか。」
「…?…どうぞ?」
場所を指定したいということはどこか行きたい場所があるということだろうか。
アメリアは言葉の足りない男の思考をその視線で読み取った。
「感謝する。では9時に以前と同じ場所で。」
「わかりました。」
滞在時間10分足らず。
業務連絡のようなやり取りをして二人はそれぞれ部屋から出る。
だけどその後ろ姿はそれぞれどことなく嬉しそうであった。
落ち着くことのないうるさいほどの視線を浴び続けて、漸くやってきた約束の日。
アメリアはいつもより早めに待ち合わせ場所に着くが、それでもすでにシュティルは到着していた。
「お待たせしました。今日は何時間前からいたんですか?」
「……。」
「なるほど。3時間も前ですか。それは待ち合わせの意味がないのでは。」
「……。」
明らかに焦っているシュティルのうろつく視線にアメリアは笑う。
「何のために時間を決めたんですか。次からはせめて30分前にして下さいね。」
アメリアの少し、ではない笑みにシュティルは目を瞬かせ、そしてまた次回があるということに胸を高鳴らせた。
「…善処する。」
短い言葉なのに、その中にはたくさんの意味が込められており、それを視線で感じ取ったアメリアはまたおかしそうに笑った。
「では行きましょうか。今日は長官がプランを立ててくれたんですよね?その前に腹ごしらえですね。」
アメリアの言葉にシュティルが頷けば、二人は並んでゆっくりと共に歩み始める。
その距離は友人というにはまだぎこちないけれど、確かに縮み始めていた。
「天象儀…ですか。」
目を瞬かせて言ったアメリアにシュティルは慌てていた。
顔は変わらず真顔なのだが、アメリアへと向ける視線が狼狽えていたのだ。
(やはりこういうところには友人を連れてくるべきではなかったのだろうか。明るいバーレンスさんなら遊覧船とかの方が馴染みやすかったか?もっとバーレンスさんの行きたいところを聞けばよかった。だが、どうしても一緒に来たかったのだが…、エゴになってしまったか。申し訳ない。どうすればいいんだ。今からでも遊覧船に行くべきか。しかし、また歩かせてしまうことになる…。どうすれば?!)
「すみません。初めて来たもので圧倒されていました。別に嫌ではないですよ。むしろ初めてのことを体験できるいい機会です。」
アメリアの慣れた読心術にシュティルは相変わらず驚くが、アメリアにはもはやいつも通りなのでスルー。
そんなことよりも早く中を見てみたくてアメリアはシュティルを急かす。
「早く行きましょう。」
他人に鈍いシュティルもこの時だけはアメリアが少しわくわくしているように見えて、誰にも気づかれないくらい僅かに口角をあげるのだった。
「何の意味もないと思っていた星にもそれぞれ名前があるんですね。しかも星からの光は何億光年というとてつもない時間を経て私達に届いているとは驚きでした。」
天象儀を見て、アメリアはいつもなんとなく見ている空にいろいろな意味があったということを知り興奮気味だった。
元々勉強することは苦ではなかったので、今回も新しい知識を知れたことが楽しかったのだ。
目を爛々とさせて初めて見る顔をするアメリアにシュティルはこの場所を選んでよかったと心から思う。
自分の人生の中で唯一自分が選んだ好きなものを彼女は楽しいと思ってくれているならばそれだけで満足だった。
「夜は天体観測ができる。」
「えっ?!本当ですか!!それはすごいですね!」
シュティルの言葉に目を輝かせるアメリアにシュティルは柔らかく微笑んだ。
誰にも気づかれないほどの笑みではなく、目を細め、口角を上げ、本当に笑顔と呼べる顔をした。
シュティルの初めて見るはっきりとした満足そうな笑みにアメリアは心臓が誰かに掴まれた気がした。
ぎゅーっと握られているような感覚。なのに嫌ではない。むしろ何かよくわからないがこっちまで嬉しくなってしまう感覚。
「???」
「資料室も出入りできるが、どうする。」
「え…。あ、…い、行きますっ!」
不思議に思うがシュティルのわくわくとアメリアを誘う視線に、アメリアはとりあえずこのことは置いておくことにしたのだった。
それから資料を黙々と読み漁り、昼になれば公園に行き、出店されている露店で串焼きを買った。
シュティルは前回の反省を踏まえて小銭入れにパンパンに銅貨を準備してきており、朝から全てアメリアの分も出してくれていた。
なんなら食べきれないほどのものを買おうとしていたので、アメリアは必死に止めることになり苦労していた。
公園のベンチに腰掛けて買ってきた串焼きを広げるとアメリアは一本手に取った。
シュティルもアメリアを真似して一本手に取る。
厚めの肉が刺さっている串からは香ばしくもハーブの爽やかな匂いがして食欲がそそられる。
アメリアはシュティルに礼を言うといただきます、と一口串焼きに齧り付いた。
「んーーーーっ!」
久しぶりのお肉の旨みに頬を緩ませるアメリア。そんなアメリアの顔をまじまじと見てくるシュティルに、アメリアは少し恥ずかしくなりシュティルへと催促した。
「…食べないんですか?」
「…食べる。」
そう言いつつも口を開けないシュティルにアメリアはふぅと一息漏らした。
「……まぁ生粋のお貴族様の長官にはこういうの向いていないでしょうしね。それは私が買い取りますので別のところに行きましょう。」
広げた串焼きを片付けようとするアメリアの前でシュティルは口を大きく広げた。
「………うまい。」
もぐもぐと咀嚼するシュティルの様子を驚いたように見つめながら、アメリアはまた不思議な感情が湧くのに気がついた。
歩み寄り、というのはこういうことを言うんだ。
心が温かくなるようなその感覚を感じながらアメリアもまた串焼きに齧り付いた。
「遅くなったな。送ろう。」
「いえ。結構です。私は長官の婚約者ではありませんのでそこまでする必要はありません。」
「だが。」
「友人は対等であるべきです。私のことを友人と思って頂けるのでしたら、そうして下さい。」
全く納得していないシュティルの視線を浴びながら、アメリアは困ったように眉を下げて笑う。
その顔にシュティルは渋々了承するのだった。
別れを告げ、シュティルへ背中を向けて歩み始めるアメリアをシュティルは名残惜しそうに見届ける。
シュティルがいつまでもアメリアを見ていることに気がついていたが、アメリアは一度と振り返ることはなかった。
寂れた古い小さな建物がアメリアの自宅である。
使用人も居ない。調度品も皆無。花の一本も飾られることのない必要最低限の物のみで揃えられた寂しい自宅。
仮にも貴族というのに生活は平民と変わらない。むしろその辺の平民より貧しくもあった。
アメリアの仕事的に平民よりは裕福に暮らせる給金が支給されているはずなのに、アメリアの暮らしは潤うことはない。
それはお金も勿論のこと、心でさえも。
誰も居ない静まり返った我が家で、アメリアは一人ぽつんと立ち尽くす。
自宅に届いた債務を知らせる手紙を手にアメリアはため息を吐いた。
あと少し。あと少し…。
誰にともなくアメリアは心の中で繰り返し、握り込んだ手には皺皺になった手紙だけが残っていた。