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 優秀な父、優しい母、聡明な兄を持つ自分は恵まれた人間である。


 それはいつも言われていた言葉で、否定しようとも思わない。


 人よりも多くのものを持っていることに感謝しかない。


 だけど時々思うのだ。


 自分には何もないのではないか、と。







 アメリアと友人として出かけることになった前日…、いや、約束した日からシュティルは終始そわそわしていた。


 早く土曜日にならないか、指折り数えるほどに心待ちにしていたのだ。


 こんなことは初めてで、シュティルは逸る心を落ち着かせる術を知らなかった。


「…………長官。仕事中です。」


 人気のない会議室で、アメリアの困ったような呆れたような顔を見ながらシュティルは反省する。


「…すまない。」


 あまりにも楽しみ過ぎてアメリアの背中に穴が開くほどの視線を送り続けていたのだ。


「……私も楽しみですけど、仕事は仕事です。何かトラブルが起きて遊びに行けなくなったらそっちの方が嫌でしょう。あと三日です。耐えて下さい。」


 呆れ混じりの吐息と共に吐き出した言葉に、シュティルは先程とは一変して大輪の花をその視線に咲かせていた。


 アメリア本人に"楽しみ"と言われたのだ。舞い上がってしまうのも無理はない。


 そんなシュティルにアメリアは再度釘を刺す。


「それでも仕事は仕事です。"約束"を守って下さい。」


 アメリアの言葉にハッとしたシュティルは真顔で頷くと、その後からはアメリアに視線を向けないように努めていた。


 アメリア本人にしてみれば変わらず視線はうるさいのだが、努力していることは明らかなのでもはや何も言わなかった。


「長官なんかものすごくこっち見てない?ヤバイくらい見てるよね?何かしたかなっ…。怒られる?!?」


「…あはは…。」


 あまりにもシュティルがアメリアを見ているため、その弊害はアメリアの隣の同僚にまで飛び火しており、恐々とアメリアに話してくる同僚にアメリアは笑って誤魔化すしかなかった。




 そして迎えた約束の日。


 時間より少し早めについたアメリアはすでに来ていたシュティルを見つけると声をかけた。


「お待たせしてすみません。」


「いや。」


 実際にはこの一言しか発していないのだが、アメリアにはシュティルの感情はもはや手に取るように伝わってくる。


(楽しみ過ぎて2時間も前からついてしまったなんて言えない。いい歳した男が浮かれすぎだ。気を引き締めなくては。今から間違いは許されない。完璧な交流会にしてみせる。)


「別に浮かれても何とも思いませんよ。今更。

 それよりも今日を楽しみましょう。

 まぁ、2時間も前から待っていれば疲れたでしょうし、早速どこかで軽く何か食べましょうか。」


 アメリアの言葉にシュティルはまるでエスパーでも見たかのように目を見開いているが、アメリアにすれば今更だ。


 毎日毎日うるさすぎるほどの視線を送られていれば慣れるというもの。


 アメリアは驚愕しているシュティルを手招きしながらカフェへと歩いていくのだった。





「長官はコーヒーですか?紅茶ですか?」


「コーヒー。」


「わかりました。

 すみませーん。コーヒーを二つ。

 ホットとアイスだったら…。アイスですね。

 アイスを。それとサンドイッチをお願いします。」


 てきぱきと注文をこなすアメリアにシュティルは申し訳なさでいっぱいだった。しかし、アメリアはそんなシュティルに呆れながらも笑っている。


「慣れない場所では慣れている方が動くのが効率的です。そこに友達だから、なんて関係ないですよ。」


 アメリアの言葉に救われた心地のシュティルは心の中ではアメリアの存在が神々しいものに変えられようとしていた。それを止めたのはもちろんアメリアである。


「これが私の"普通"なんで神様みたいに崇めるのやめて下さいね。」


 どこか納得できなさそうなシュティルであったが、アメリアがきっぱりと拒否したことで、渋々ながら"とても素晴らしい友人"という枠に落ち着いたのだった。


 そうこうしているうちに注文の品が届き、二人の前には揃いのコーヒーカップとサンドイッチがのったお皿が一つ。


「さ。食べましょう。」


 アメリアが言えばシュティルも頷き、コーヒーに口をつける。口に広がる苦味は瞬く間に旨みに変わり、口の中をスッキリとさせてくれる。


 ほわほわと花が飛ぶような視線でコーヒーを見つめるシュティルにアメリアは面白そうに笑った。


「お口に合ったようでなによりです。」


 フフッと笑ったアメリアの顔は職場で見る顔とはまるで違い、朗らかさが感じられるものであった。シュティルはそんなアメリアの笑顔にまた知らない感情が胸に湧くのに気がついた。


 これが"楽しい"ということなのだろう。


 一人納得したシュティルは静かにその感情を噛み締めるのだった。


 



 サンドイッチもコーヒーも堪能したところで二人は店を後にしたのだが、ここでもシュティルは面目なさそうにアメリアへ視線を送る。


「しょうがないですよ。知らなかったんですから。」


 自分をフォローしてくれようとするアメリアにシュティルはますます申し訳なさで胸がいっぱいだった。


 原因はお会計時。

 揉めに揉めて折半として支払いをしようとしたシュティルであったが、シュティルが出したお金がなんと金貨であったのだ。


 貴族が使うお店ではないのでそんな大金を出されても店にはそのおつりを払えるほどのものはない。


 ましてアメリアにもあるわけがなので、店主と二人で目を丸くさせていた。


 結局仕方がないのでアメリアが支払ったのだが、シュティル的には自分から誘っておいてお金まで払わせてしまったという罪悪感でいっぱいだったのだ。


 視線でずっと謝罪を繰り返すシュティルはアメリアを見ると再度言葉にして謝罪する。


 アメリアが気にしないでくださいと伝えてもそれが繰り返されていた。


「では次回は長官が奢って下さい。その時はちゃんと銅貨を準備しておいてくださいね。」


「っ!…もちろん。」


 アメリアの柔らかな笑顔と"次回"があるという未来にシュティルは人生の中で今この瞬間が一番幸福なのではないか、と思う。


 初めての友人。失敗しても笑って許してくれる優しい環境。そして未来に期待できる心持ち。


 自分は今この瞬間のために生まれてきたと言っても過言ではない。それほどまでにシュティルの心は舞い上がる。


 今にも踊り出してしまいそうなシュティルにアメリアはまた笑いながら言う。


「大袈裟ですよ。」


 くすくす笑うアメリアをシュティルはじっと見つめるとそっとアメリアの両手を己の両手で包んだ。


 アメリアはシュティルのその行為に驚いて目を見開くが、真っ直ぐ見つめてくるシュティルの瞳に手を振り払うことなどできず、そのままシュティルの行動を見守る。


 そしてシュティルが少しだけ手に力を込めてアメリアの手をギュ…っと握ると、嬉しそうに言うのだ。


「ありがとう。」


 顔は相変わらず真顔だが、その瞳には溢れんばかりの幸福感が現れていてアメリアはこんな小さなことでここまで幸せそうにしてくれるシュティルを可愛らしく感じてアメリアもつられて笑う。


 その瞳にはシュティルと同じような花が飛んでいた。






 ひとしきり遊んだアメリアとシュティルは噴水の見えるベンチに腰掛け、休憩していた。


 噴水の水を友達にかけて笑い合っている子どもたちを眺めならがシュティルはポツリと溢す。


「幸せな一日だった。」


 満足そうな顔で小さく口角を上げたシュティルの表情をアメリアは隣で見る。


「それはよかったです。」


 そう言って薄く微笑むアメリアの顔をシュティルも隣で見る。


 そこにはもうただの上司と部下という関係はなかった。


「次回の予定を聞いていいだろうか。」


 うきうきとした視線をアメリアに向けるシュティルにアメリアは目を瞬かせると、思わず笑ってしまった。


 そんなに次を楽しみにしてくれているのか、と。


「そうですね。来月の二週目あたりなら。」


「ではそれで。」


 たった二言の蛋白な会話なのに、隣から溢れ出る幸せオーラにアメリアはこういう付き合いも悪くないと思った。


 何せ驚くことに自然と次回はどこに行こうかと考えている自分がいたからだ。


 シュティルが人間関係が希薄だったと言っていたが、きっと彼よりも自分の方が浅い人間関係しか築いていなかったと改めて思う。


 特別他人と深く関わりたいとも思わなかったし、今も思わないが、アメリアにとってシュティルだけは少しだけ側にいても嫌じゃないと思えるほどの存在になっていた。


 青空に少しだけ橙が入り混じり始めた頃、二人は互いに顔を合わせ、静かにその場から歩んでいく。






 

 最低限の使用人と最低限の調度品。ただ食事をして睡眠を取るためだけの箱にシュティルは今日も入っていく。


 扉を開ければこの家の唯一の執事が出迎える筈だったのだが、そこにいたのはシュティルと同じ瞳の色をしたまだ若い夫人。


「おかえりない。」


 落ち着いた声色は懐かしく、そして機械的。

 シュティルは彼女から視線を晒せるとポツリと呟いた。


「……いらしていたのですね。」


「えぇ。少し用事があってね。それよりもおかえりなさいの返事はないのかしら。」


「……ただいま戻りました。」


「それでいいのよ。挨拶はきちんと返さないとね。」


「はい。申し訳ありません。」


 シュティルの謝罪に満足したのか彼女はシュティルを中へと誘う。


 後ろでバタン…と閉じた扉の音がシュティルにはいつもより重たく聞こえた。

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