②
「丁重にお断りさせていただきます。」
アメリアは深々とシュティルに頭を下げた。
この度視線がうるさい上司に苦情を言ったら何故か告白を受けたアメリア。驚きに顔を赤くしていたのだが、冷静に考えてこの状況はおかしいと思い止まっていた。
顔は真顔なのに視線ではわかりやすく落ち込むシュティルにアメリアはなんだか居た堪れなくなるが、職場恋愛をするためにここで働いているわけではないのだから、お断りするのは当たり前。ましてやシュティルのことを職場の上司以外に思ったことなどないのだから当然の結果だ、と心の中でどこか言い訳くさく思うのだった。
しかし、シュティルの視線は依然この世の終わりかのように物語っている。
だからアメリアは言い訳をした。自分が悪いわけではないと。
「そ、そもそも!長官のことなんて1ミリも知らないんですから当たり前じゃないですかっ!ただの上司以外の情報なんて皆無ですよ?親しい仲でも無ければ私にそれほどまでの魅力があるわけでもない。それに、…そういうのはもっと自分と同じ立場の人とするべきで…。」
宮廷内務長官という国内全ての内務行政を統括する立場の人間と下っ端の下っ端で、なんの地位も名誉もない雑用係のような自分とではそもそもの土台が違うのだ。
ましてや実家が金持ち貴族というわけではないアメリアと関係を持ったところでなんのメリットもないのだ。むしろ伯爵位すら持っているシュティルにとってアメリアと関係を持つことは後ろ指を刺されかねない。
自分の立場をよくよく理解しているからこそアメリアは俯いた。
しかし、シュティルはそんなアメリアの目を瞬かせることを言うのだった。
「友人になってくれるのか。」
「…………はい?」
さっきまでの落ち込み具合はどこへ行ったのか、シュティルはうんうんと一人頷きながらアメリアを凝視する。
(自分のことをもっと知りたいと言われることがこんなにも嬉しいこととは…。バーレンスさんは本当にいい人だ。さっきまで相談役を断られて絶望していたが、それよりもすごいものになってくれるなんて…。相談相手よりももっと親密な関係を築いてくれようとするバーレンスさんは心が広い。私も見習わなくては。バーレンスさんは自分に自信がないようだが、バーレンスさんほど魅力的な人を私は知らないし、親しくして貰えることをとても光栄に思っている。自信を持って欲しい。)
「は?!」
友人になりたいなど一言も言っていないし、ましてや親しくなりたいとも思っていない。彼のことを知らないからお断りしたはずなのに何故かシュティルは自分の都合のいいように解釈していた。
そしてシュティルの視線語りによりここで初めて自分が勘違いをしていたことを知るアメリア。
恋人として付き合って欲しいのではなく、単に話を聞いてもらうために付き合って欲しいと言われたのだと。
気まずそうにしていた表情はそれがわかるや否や恥ずかしさからみるみる赤くなり、耐えられなくなったアメリアはシュティルから顔を背けた。
まさか告白されたと勘違いして自惚れていた自分をここまで良く思ってくれ、あまつさえ励ます彼のあまりにもピュアな心に自分の醜悪さが滲み出ているようだった。
もう嫌だ。この人の側に居たくない。
自分も知らない、自分という人間の本質を曝け出されそうな感覚にアメリアは眉を顰めた。
けれどわかりやすすぎる男は他人のことがわからなすぎるのでシュティルはアメリアの様子に気がつくこともなく、スッとアメリアへ手を差し出した。
「よろしく頼む。」
真顔でそう言うシュティルの視線はうるさいほど嬉々としている。
(友人ができるなんて初めてだ。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。大事にしよう。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。)
目を輝かせ、心なしか頬まで嬉しそうに紅潮している気がした。
ここで断ればこの人きっとさっきよりも落ち込んでしまうのは火を見るより明らかで、アメリアの良心がそれを拒む。
「…………一つだけ条件が。」
「なんだ。」
本当は関わりたくない。だけど今もなお手を差し出したまま目を爛々とさせているシュティルに良心が痛むのでアメリアは最大限の譲歩としてある条件を突きつける。
「友人として関わるのは二人きりのときに限定して下さい。」
それがアメリアにとって彼と関わることへの最大限の歩み寄りであった。
「了承した。」
全く悩むことなく即決したシュティルにアメリアは少しばかり不安になるが、仕事でも期限や時間を破ることはないシュティルのことだから大丈夫だろうと一旦その気持ちに蓋をするのだった。
晴れて人生で初めて友人を得たシュティルは嬉しさのあまり早速アメリアを昼食に誘う。
「早速だが昼食でもどうだ。」
「お断りさせて頂きます。言いましたよね。友人として接するのは二人きりの時だけだと。職場ではただの上司と部下です。約束は守って下さい。」
「…そうか。すまない。」
誘いを断られて少しシュンとするシュティルであったが、約束は約束。職場ではただの上司として接せねば…と反省していた。
そんなシュティルに少し心が痛むアメリアであるが、これは自分を守るためでもあるのだ。ただでさえ仕事もできて揺るぎない地位もある人間なのに、怖がられているとはいえ顔もいい男が平民同然の下っ端と何か関係があると思われれば周囲から攻撃を受けるのは真っ先に自分なのだ。申し訳ないが自己保身を優先させてもう。
アメリアはギュッと痛む胸をないものとして、シュティルへ一礼するとその場を離れた。
仕事に集中できるというのはなんて幸せなことなのだろう、とアメリアは思う。
仕事があれば嫌なことに思考が囚われることもなく、時間が過ぎれば忘れられる。お金も貰えて一石二鳥だ。
アメリアはシュティルと別れてから、これまでできていなかった分の書類を猛スピードで処理していた。
「大丈夫?なんか異様な程にやる気だけど…。」
「全然大丈夫です。むしろ楽しいですのでご心配なく。」
鬼気迫る勢いにアメリアの隣に座っている同僚が心配そうにアメリアに声をかけるが、アメリアは顔を向けることもなく答えると黙々と作業を続けた。
背中には変わらず視線を感じるが、気にしないように心がけていれば、段々と仕事にも集中できるようになっていった。
あんなにも掻き乱されて直訴するほどのことではなかった。時間が経てば経つほどアメリアの中ではシュティルとの一件は薄らいでいく。
シュティルと限定的友人になってニ週間。アメリアはシュティルの視線にも慣れて、仕事に集中している時は気になることもなくなっていった。寧ろ上司の考えや思惑が読み取れるので、ほんの少しの会話で全てが片付き、より円滑に仕事を進めることができていた。
だからアメリアは油断していたのだ。
自分が課した条件には大きな抜け穴があったことを。
それは言われて初めて気がついたこと。
ある日の仕事終わりにアメリアはシュティルに呼び出された。
人気のない会議室に、以前と同じように並ぶ二人。
一つだけ違うとすれば、それは二人の心持ちである。
"友人"というものになった癖に二週間放置していたアメリアは冷や汗を流し、二週間ぶりに二人きりになったシュティルは真顔である。
いつもならその視線でシュティルの思っていることがわかるのだが、今回は何も読み取れなかった。
流石に理不尽な条件に怒りでも湧いたのだろうか…。
職場で人間関係で揉めることなど一番したくないことで、円滑に仕事をしたいアメリアにとってはデメリットでしかない。そのためアメリアは謝った方がいいか、と悩んでいたがシュティルはまたしてもアメリアの斜め上のことを言ってくるのだった。
「土曜日は空いているか。」
「………はい?」
「9時に迎えに行く。」
「えっ…?!」
"はい"とは言ったがそれは了承の返事ではなく、疑問の"はい?"なのだが、シュティルはアメリアが了承したと捉えて、その視線に花を飛ばしていた。
(嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。何と言って誘えばいいかわからなくて緊張して頭が真っ白だったがバーレンスさんが優しくてよかった。初めて友人と遊びに出かけられる。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。)
やられた。
アメリアは率直そう思った。
確かに友人として関わるのは二人きりの時のみと言ったのは自分だ。職場でしか会わないし、仕事場には大勢の人がいるからそこまで絡まれることもないだろうと思っていたのだが、まさかその意表を突かれるとは…。
プライベートとなるとその条件は悪手でしかなかった。
こんなところで学のなさが露見するとはアメリアも思わなかった。本心ではきっと馬鹿にしていることだろう。
そんな皮肉めいた思考でアメリアは未だ花を飛ばしているシュティルを見る。
しかしシュティルはアメリアのその悪感情を吹き飛ばさんばかりだった。
(初めての外出だ。プランは練ったがどれが良いのか尋ねなければ。まずは朝食後に歌劇か演劇か遊覧か…。それから昼食はどこのレストランがいいか。そもそも服装はどうするんだ。やはり正装か?それとも揃えた方がいいのか?ならば仕立てに時間がいるから今週は厳しいか?いや…、すぐに採寸させて貰えれば間に合うか?ならばこのまま直行させてもらっても構わないかを尋ねなければ。それに好みの色味や柄なども聞かなければ。楽しみ過ぎて今日はもう寝られそうにないな。だったらなおのこと初めての外出記念に私がデザインをさせて貰おうか。今日中にデザインを何通りか考えて明日の朝一番に決めて貰えれば仕立ても間に合うだろう。よし!そうしよう。それがいい!)
「いや、しませんよ?」
よしっ、と意気込んだシュティルが視線をアメリアに合わせるや否や、アメリアはシュティルの考えを否定した。
「そもそも観劇に行くような余裕は私にはありませんし、長官が行くようなレストランなんて破綻します。それから友人は服を揃えたりしません。夫婦じゃないんですからわざわざ仕立てたりなんてしませんよ。ていうか外出記念ってなんですか。」
冷えた目でシュティルを見ながら淡々とするアメリアにシュティルは当然のことだという風に言う。
「支払いはする。」
「それ"友人"じゃありませんからね。」
アメリアの言葉にシュティルは驚愕の色を濃く醸し出した。
「お金を払って付き合うのは友人関係ではありません。長官がお金を払うべき人間は婚約者か妻になった人、もしくは家族です。そういうお金を払う義務がある人に払うものです。お金で買う人間関係なんてたかがしれていますよ。まぁ私とそういう関係を望んでいるなら別ですが。」
なんでこんなにモヤモヤするのか。
アメリアはシュティルが金でどうにかしようとしていることに少しばかり腹が立った。
別にちゃんとした関係をつくりたいわけではないのだからこんなこと言わなくてもいいのだが、アメリアはシュティルにそういうことを言われるとは思っていなかったのかもしれない。
酷い言い方になってしまったし、今度こそ怒りを買って無かったことにされるだろう。
別にいい。それでいいんだ。
アメリアはそう思うのにシュティルの視線が気になって仕方がなかった。
だけど目を合わせることはできなかった。
そんなアメリアに投げかけられた言葉は優しいものだった。
「すまない。人との関わりが希薄で、よくわからないんだ。君を傷つけたくはない。どうすればいい。」
ただ不器用なだけな言葉に、何を怒ることがあったのか。
アメリアは叱られた犬のようになっているシュティルに拍子抜けして思わず笑ってしまう。
この人は自分とは違う、とても純粋な人なんだ。
この時初めてアメリアはシュティルを受け入れた。
もう少しだけこの人を知ってみてもいいかもしれない。
そんな風に思えたのだ。
「私も言い方が酷くてすみませんでした。
土曜日は普通に遊びましょう。ただの友人がするみたいに。
一緒に朝ごはんを食べて、街を散策して、昼食は露店の串焼きでも食べながら二人のことでも話しましょう。
まずはお互い知るところからですね。」
にこりと笑ったアメリアにシュティルの心にはいつもとは違った花が咲く。
言語化できない淡い気持ち。
シュティルはそれが何かわからないが大事にしようと心に決めるのだった。