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等身大のアイドル  作者: 高天ガ原
第一章
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第一章⑥墜落

残虐描写あり。注意。

「じっくりと考えますか……」

 ボクはそう言いながら、しばらくすすり泣いた。手癖でイヤホンをつけて音楽を流す。ランダムミックスで流れてくる曲が恋愛の曲ばっかりでボクを苦しめる。恋愛トラブル中のボクを茶化す機能がスマホにあるかのようだ。音楽を止めてSNSを見ようかと一瞬だけ考えたが、見ようにも炎上の盛りだろう。とても覗けない。残念ながら、ゲームをする趣味なんてないので気がそらせるものがなかった。時間が全然経ってもいないけど、詩織のことで頭が破裂しそうだ。

「しんどい……」

 ボクは頭を抱えた。他の気紛らしなんて作曲しかないが、詩織をテーマにしないで曲を書くなんて久しくしていない。何を考えれば詩織を連想せずに済むのやら。

「無理だ」

 ボクは自分に言い聞かせるようにそう呟くと立ち上がった。冴木に会う方がまだ楽になれるし、非常用手段はここで使えない。鞄の中を漁りながらエレベーターへ向かっていると、小さなポーチが見つかった。

「あるよね……」

 ボクは少し複雑な気分で緊急用キットを握りながらそう呟く。エレベーターに乗り込めば、下降するだけなのだが……地上に着くのが異様に長く感じたのは余裕がなかった証拠だろうな。

 敷地外に出て、アスファルトの広がる路上でボクは緊急用セットを開いた。久しぶりに世話になるなぁ、とは思うが興奮しすぎてはいけない。最初ほど雑にやると楽になれないんだ。

「まずは、っと」

 ボクはそう言いながら、新品のカミソリを開封して腕を軽く引っ掻いてみる。薄く線が入って血が滲んだ。長らく放置していたが切れ味は悪くないようだ。静かに血を舐めると、鉄臭さが脳を引き締めた気がした。

 何度か引っ掻いては血を舐める。そうやって思考がクリアになっていったところで、ふと、ボクは冷静になった。周りを見回したが、ありがたいことに誰も居ない。過去に路上でリスカをしていて通報されたから、警戒しないといけないのだ。別に死のうとしてるわけじゃないんだけどな。そう思いながらも通報されたら大変なので挙動不審にならない程度にコソコソと自傷を続ける。数回の自傷で思考こそはすっきりしたが、負のループを止める程の効果は無かった。本能的に傷を深くしていくと痛みにしびれが伴ってくる。これが、凄く良い。

 自傷の効能って、もっと凄いんだ。人間に限らず、生物は死にそうなときほど興奮して生きようとする。だから、自傷をトリガーに生きる気力が湧いてくるんだ。傷口を舐めてみれば眠っていた自分が目覚める。血に含まれている〈老廃物のように不要な部分〉や〈不純で認めたくない自分〉までもを味わえる。体の隅まで巡っている自分を味わい尽くせるし、久しぶりの自傷でも鮮やかに自分が蘇った。ボクって〈こんな人間〉なんだ、って。

 ボクは限界のギリギリまでカミソリの刃を入れる。思いっきりやってしまうと手が痺れてカミソリを落としてしまうから、狙うのはあくまでもギリギリだ。カミソリを落としてしまったら衛生的に継続不能だし、やり過ぎ防止も兼ねて予備は持たないようにしているので、切れ味が悪くなってもダメだ。だからこそ、冷静に自傷を続ける必要がある。

 痛みが引いてきた時の血が滴る感触が気持ち良い。背筋がゾクッとして思わず震えてしまった。凍ってしまうような緊迫感が生きている実感を取り戻させてくれる。

 今までの苦痛を忘れるくらいに痛みを味わってからボクは折ったままのハンカチを傷口にかぶせて包帯をキツく巻く。消毒液はポーチに入っているが、使った例しがない。多少、膿むかも知れないがうっ血しない程度に止血できていれば何とでもなるのは経験で知っている。

 まだヒリヒリと傷がうずくから嫌な思考も続かない。傷ついてないと落ち着かなかったくらいだし、本来のボクは苦しみ慣れたマゾヒストなのだろう。

 カミソリを路上に捨てて、ボクは歩き始めた。ヨロヨロとした足取りはコンビニへ。詩織のことなんて、考える余裕がなかった。身体は必要最低限の物を教えてくれるので、詩織が生き延びる上で不要だと結論されているらしい。

 血を止める代わりに言葉が湧いてくる。癒えるのには多大な時間を要するのに、どんな傷でもつくのは一瞬だ。そう思うと、傷ばかり負う人生の中で治癒が必要か疑いたくなる。回復しきることができないのだから、人間は変質してしまうのだから……。傷つくことを嘆くより、傷と共存する道を探すべきだ。

 湧いてくる言葉の勢いに殺されてしまいそうだ。もっと傷つく前に時間が止まって欲しいが、時間が止まろうと痛みはずっと続くだろう。死ぬ――変化しないこと――は痛みに慣れることさえ許してくれない。どうせ治らないし、痛み続けるんだ。癒えなくて良いと自棄になるのも違う。

「ボロボロになってもボクは……」

 そう呟いておいて言葉に困る。死なせてもらえない、と言おうとする割には死のうとしていない。むしろ、楽しんで生きてきた。ただ、その末に待っている結末がアイドルなのは笑えない。不安定で人間臭いようなボクをアイドルに、なんて。滑稽でしかない。本当に自分勝手な姫だ。ファンならファンでアイドルを振り回すな。アイドルだとしてもファンを振り回すな。どんな関係だよ。

「アイドルに生かされてきたけども」

 ボクが苦笑すると同時に着信が入る。見覚えのある番号なので、厄介オタクが折り返してきたのだろう。縋っておいて言うのも酷いが、彼女に縋りつくのは屈辱的だ。それでも着信に応答してみる。すると、私の言葉を待たずに可愛い子ぶった声が響いてくる。

「良かったぁ! 事故に遭ってないようで!」

 ボクが「まだ続けるの? ぶりっこは似合わないよ?」と苦笑すると、冴木は「遅いんだもん。死なれないか結構不安なんだよ?」と怒鳴り返してくる。ただ、ボクは分かっているんだ。

「どうせ特定して住所も知ってるんでしょ?」

 決めつけるようなボクの言葉に「まぁね」と冴木は返してくる。油断して良いのか分からない相手だ。

「姫の配信を見ながら待ってますので」

 その言葉を最後に冴木が電話を切った。配信を見るためなら時間を惜しまない、って感じだな。ボクは苦笑しながら遠い目をする。

 ボク自身はさして変わらないのに世界の対応が優しくなった。被害者になるとは、こういうことなのだろう。人間って滑稽だ。面白くて浅ましい。


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