第八章④母と娘、そのファン
「ママね、下手に動けないから、未だにわたくしは誰との子か調べてないの。だけど、わたくしは誰との子でも良いと思ってる。むしろ、誰とであろうと、わたくしはママだけの子だと思ってる。きっと、前の社長が辞めた理由は沙織じゃないの。事務所に遊びに行って仲良くなった男の人にわたくしが犯されたからなの」
それを言うと詩織が舌を出す。
「まぁ、それをきっかけに男性不信が始まったし、事務所の男の人はパパと思ってたからパパによる性加害って言ってるんだけどね」
そんな詩織に朝香は「まぁ、ツッコまないよ」と苦笑する。すると、社長はため息をついた。
「名前は言わないけど、詩織を犯した人間が厄介でねー。あのペドフィリア、死ねば良いと思う」
その言葉にボクが苦笑する。「撮影してるんですけど?」とツッコんでみると社長は「沙織の過去はカットせずに、私の言葉だけカットしてね」と笑った。なるほど、今回のことを公表する媒体としてボク達のチャンネルを使うつもりらしい。責任重大だ。
「湿っぽい空気になっちゃったわね。ちょっと休憩しましょう。詩織、私が来るって分かってるなら用意してるんでしょう?」
その言葉に詩織は「もちろん」と言いつつ、沙織から離れる。思わずボクらが顔を見合わせると詩織はベッドの下から何かを取り出した。これは……ワイン?
「ママの血だもんね、わたくしもこっそり飲んでるよ」
ボクは思わず叫ぶ。
「また買ってきたの? あれほど怒ったのに!」
詩織は舌を出して「朝香に頼んで、昨日、萌歌が寝てからこっそり買ってきた」と笑う。そのためにボクを早く寝させたのか。やりやがったな。
そう思っていると沙織はニヤニヤしながら自前のコルク開けを鞄から取り出した。
「社長、飲むよね?」
沙織の言葉に社長は「今日は誰も連れてきてないでしょう? 誰が運転すると思って?」と返す。酷いアイドルだ。詩織は「このコップとー」とか言いながらベッド下からコップやグラスを取り出しているし、用意周到な準備に笑うしかない。ええい、ボクも飲んでやろうか。サワーすら飲めない下戸だけど。
「あ、萌歌は問答無用でジュースです」
ボクの挙動を見て鬱憤を察したのだろう。朝香はそう断ると同時に冷蔵庫からブドウジュースを取り出す。そういえば、今日、冷蔵庫を開けていない。開けていれば気づいたのだろうか。いずれにせよ、用意が良い。畜生、ブドウジュースで我慢してやろうじゃないか。……いや、ごめんなさい、強がりました。ワインなんて飲めない。
「お金はどうしたの?」
ボクの言葉に詩織は「ママのカード」とだけ答えた。良いんですか、こんな教育で。こうなるしかなかったのは分かっているとはいえ、悲しくなるよ。
「ねぇ、詩織。まだ過剰なダイエットしてるの?」
そう尋ねる沙織に詩織は「何なら吐き癖がついたよ」と答える。沙織は「中学までの肉付きが嘘みたいよね」と笑った。詩織は母親の言葉を聞いてからダイエットするようになったのか。道理で意固地に太りたがらないわけだ。そう思っていると、沙織が尋ねる。
「で、まだ、アイドルの理想は変わっていないの?」
その言葉に詩織は無言で頷く。ボクはそのときになって理解をした。詩織が露悪主義になった原因は母親が見せた身近で汚い部分なんだ、と。詩織の掲げる身近さと汚さ。その由来は全て彼女だろう。〈等身大〉なんてワードを選ぶセンスが嫌でも理解できてしまう。
沙織より前にボクが「そっか」と呟いた。それを聞いて社長が笑う。
「沙織よりも身近な人間の方が腑に落ちるみたいよ」
そんな社長に沙織は「これからは詩織と一緒に居られるし?」と強がった。そんな沙織に詩織は「大好きよ、ママ」と笑いかける。すると、沙織は「恨んでいるか、聞く間でもなかったね」と苦笑した。言われなくても詩織は沙織の熱狂的なファンだ。恨むはずがない。
「詩織はさ。今、愛が分かる? 自分に対しての愛も、他人からの愛も」
その言葉に詩織は「勉強中!」と笑う。それを聞いた社長は「詩織は合格だね。よく成長した」と褒める。昔の詩織は勉強中と言えないほどに腐っていたのだろう。
「変わったね。ママは嬉しいよ。強くなってくれた。あんな小さかったのに。人間としての芯も硬くなった。昔の私を乗り越えたね。まだ、今の私は乗り越えていないけど」
そう締めた沙織にボクは「むしろ、乗り越えちゃったら引退しそうなのでやめてください」と苦笑する。それを聞いた詩織が同調するように「ママにはもっと伝説になってもらわなきゃ困る」と茶化す。沙織は「えー、早く超えてよー」とか言いながら、詩織からグラスをもらうと嬉しそうにワインを注いだ。そんな沙織に社長は「娘を送り出すだけじゃダメだってよ」と笑う。それを聞いた沙織は「五十が近いばあさんをこき使うねー」と言いながらも満更じゃなさそうだった。
「今、やめちゃったら惜しいです」
ボクは詩織からコップをもらってブドウジュースを注ぐ。それに同調するように朝香がコップを取ると沙織に近づいた。
「本当、ダメですよ。もっと深く熟成していくはずなんです、やめてください。詩織に子供が出来るかは別として、里親とか色んな形で孫が出来たら、舞台上でしっかりと子守歌を歌ってもらうんですから」
ワインを注ぐ沙織は「舞台上じゃ無ければダメかしら?」と言いながらもニコニコしていた。少なくとも歌の無い沙織は想像したくない。すると、詩織がボクのところにやってきた。
「ママにはわたくしたちの歌も歌わせるつもりなんだから、覚悟してよね!」
気持ちよく笑う詩織にボクは「まだ、ボクが合否未定なんですけど」と苦笑する。それを聞いた社長が「しまった、合格って言っちゃった」と惚けた。ボクはそんなかわいい社長と働きたいな、と思った。
「まぁ、ボクの夢が叶わなくても良いんですよ。何なら、詩織や朝香の夢が叶わなくたってボクは良い。だって、ボク達はファンですから。アイドルの判断に対する強い影響力なんて、本来は持つべきじゃない。アイドルって、引退してもアイドルなんですよ。誰かの心の中で。誰からも忘れ去られるまで、アイドルはアイドルです。人間が見捨てない限り、アイドルは簡単に死ねないんですよ。だから、私は引退しようと沙織をアイドルとして称えます」
その言葉に苦笑した朝香が「私だって萌歌や詩織のことを簡単には一般人にしないよ」と同調する。それを聞いた詩織は「アイドルもママもどっちもやめさせないよ」と笑う。みんな同じ気持ちのようだ。
「一人のファンでしかないんです。ボクは。娘の元婚約者だろうが、一人分の力です。むしろ、それ以上の力を持ちたくない。あくまで一人分の意見として参考にしてください」
「泣きながら言っても説得力無いよー?」
詩織の言葉にボクは声を震わせる。
「だって、沙織の引退なんて嫌だもん……」
そんなボクを見て、社長が声を上げて笑った。
「アイドルの本望だな。これだけファンを泣かせるアイドルは強いぞ」
その言葉に沙織は「本当は惜しまれる間に消えたいですけどね」と笑う。それを聞いた詩織が「やめてよ、ママ」と口を尖らせる。それを聞いた沙織はワインを一気にあおってからボクに向かって叫んだ。
「なら、予想を超えて見せなさい! 大丈夫、娘が受かったんだから」
その言葉を聞いた社長が「ハードルを上げたのか下げたのか分からんな」と苦笑する。本当、どう受け取れば良いんだよ。そう思っていると詩織が「あ、飲んだー! じゃあ、わたくしも飲むー!」と酒を口にする。もう……緊張感がなさ過ぎなんだよ。ボクはブドウジュースを飲みつつ、涙を拭う。




