第八章③アイドルの試練
今から本番だ、とばかりに空気がピリッとする。そんな空気を茶化すように沙織は「まぁ、人生で何回もある経験じゃないから楽しみなさい」と笑った。その言葉を詩織は「わたくし、二回目だから」と笑い飛ばす。準備は万端らしい。
「どうぞ、おかけください」
そう言いながら朝香は目の前の席を手で示す。一応、社長達とは向かい合う形にしておいた。
「沙織、行くわよ」
その言葉に合わせて沙織は社長と歩き始める。詩織はそれを追いかけた。一方、ボクと朝香は直立を保つ。促しもなく座るわけにはいかない。
「気を張らなくて良いわ。どうぞ、座って」
社長はそう言いつつ、用意した椅子に座る。いつも、ボクが作曲中に使う高めの椅子だ。その隣に沙織が無言で座る。詩織が愛用する丸椅子だ。
「では、失礼します」
ボクはそう言いつつ椅子に座る。ボク達は買ってきたばかりの安い椅子だ。背もたれもなければクッションも悪い。
「失礼します」
朝香もボクに習って隣に座る。そして、ボク達と社長達を取り持つかのような位置に詩織が座る。何も言わなかった。礼儀が悪い。叱ることは出来ないが、後で叱りたい。
「さて、まずは自己紹介からお願いできるかしら?」
予想できる問いかけに朝香が「自己紹介用にビデオを作りましたが見ますか?」と尋ねる。社長は眉を上げた。
「ここだけでなく、この後も動画サイトに載せる奴でしょう? それなら、要らない」
ボクは思わず苦笑した。結構、時間がかかったんだぞ、これ。
「そうですか、分かりました。私からの方が良いですか? 萌歌からの方が良いですか?」
あっさりと引き下がった朝香に社長は「折角だから、本命は取っておきましょう」と答える。なるほど、朝香を試金石にするのか。ボクは少しだけ気を引き締めた。
「冴木朝香と申します。26歳で、大学を卒業して4年目になります。今はコンビニでバイトをしていますが、一度、エンジニアとして働いていました。趣味は配信者やアイドルの応援です。今回は『海とウサギの月』で技術担当としてメンバーではないですが、関わっています」
まっとうな自己紹介に社長は「よろしい」とだけ言うと尋ねる。
「履歴書とかはあるかしら?」
その言葉に朝香は「そっか、面接だから必要なのか」と呟く。今、居る三人で用意しているのは一人も居ないだろう。その言葉を聞いた社長は「まぁ、それだけで落とす気は無いけど、減点ね」と笑う。朝香は少しだけ肩を落とした。だが、仕方ないと思う。履歴書が欲しいと言わなかった詩織はそっぽを向いていた。完全に忘れていた様子だ。諦めるしかないだろう。
「とりあえず、あなたのものであろう動画は見たわ。報告動画と会議動画ね。見事だったわ。普通にプロと思える代物だった」
その言葉に朝香は「ありがとうございます」と言いながらお辞儀する。それに対して口を開いたのは沙織だ。
「娘のハチャメチャぶりが分かるように配信のアーカイブを持ってきながらも説明を加えながらたるませない程度に収めたのは見事だったわ。今まで配信を見てきた私としては感動したわよ。娘の成長を感じた」
その言葉に朝香が食いつく。
「と言うことは、やはり、あなたも最古参ですか」
沙織は目をそらした。
「分かっちゃった?」
それを聞いて朝香が声を荒げる。
「何で娘の過去を全部ばらしたんですか! 明らかに最古参しか分からないような情報がサイトに混ざっていました。あなたですよね、漏らしたの!」
その言葉を聞いて沙織が笑う。
「全部、娘のためよ」
「どこが娘のためですか! 娘の黒歴史を晒す親が居てたまりますか!」
ボクはたまらず宥めに入る。
「朝香、落ち着いて」
「落ち着ける? 私が詩織だったら、私は!」
「朝香、大丈夫。お母さんはそういうヒトだって分かってる」
ボクが叫ぶ前に詩織が朝香を止めた。思わず朝香が唖然とする。
「配信者を薦めたのはママだよ。何なら実名で活動しろって言った。だけど、一回、小さく炎上した時に怖くなったから月に閉じ籠もった。ママは悪くない」
その言葉に朝香は食いつく。
「でも、そんなの親として……!」
「普通の親ばかりじゃないのは朝香が知っているでしょう? わたくしは自分のママを信じてる。本気なら実名を晒してでも成功を掴めって言葉を信じてる。萌歌に『兎月妃』って名前をもらったのは姫と区切りをつけるためだけで、本名は使うつもり」
朝香は頭を抱えた。
「うちの親だって頭おかしいけど、でも……!」
「大丈夫、朝香。それでもわたくしは立派に生きているでしょう?」
朝香は泣き出した。
「嫌だよ、私は。こんなに苦しんでいるのを苦しめる親なんて、私は……!」
「それはあなたのエゴだよ、朝香ちゃん。私は詩織の越えるべき壁で居続けるのが親だと思ってる」
沙織はそうとだけ言うと朝香の前に立った。
「それだけ厳しいんだよ。甘っちょろいこと言ってられない。あの子がアイドルの道を選ぶなら、私は崖から突き落とす。それが私なりのアイドルよ」
朝香の肩を掴んで沙織は語り出す。
「どうせ言うつもりだったから言うけどね、私、体を売ってでも仕事を取ってたの。結果、娘を身ごもった。よくあることだったかもしれないけど、私は子供を宿す一線を越えたの。まぁ、私も隠れて仕事を買っていたから気づかなかったんだろうけどね。先代の社長は私を守れなかったことを後悔してたわ」
その言葉にボクは呆然とする。見たくもないアイドルの素性が見えてきてしまう。
「しかも、私は詩織を早産している。もちろん、私もできる限り、長い間、子供には体の中に居て欲しいと思ってた。ただ、周りには隠していたから妊婦がばれない程度のお仕事はやった。その結果、無理がたたったみたい。良くも悪くも、周りから太ったって言われる程度で子供を産んじゃったの。流産ギリギリ。二十三週だった。妊婦服も着れなかった。凄く寂しかったよ」
沙織はうつむいたままの朝香の頭を撫でる。朝香は何も言えなかった。そうだよな、としか言い様がない。壮絶な人生だと思う。
「結果、私は事務所に子供のことをもみ消してもらうことになった。一時期は社長の計らいで事務所に詩織を置いておいたけど、週刊誌が嗅ぎつけたので手放した。幼稚園ぐらいの時から滅多なことが無い限り、会えなかったし、社長一家に詩織は育ててもらった。感謝しきれないほどの恩が社長一家にある」
そう言いながら、沙織は詩織を見つめる。目が優しい。かわいい我が子だもんな。ボクは心が痛いと重いながらも、どこかほっこりする。初めて見る推しの姿に憧れてしまった。
「ただ、それも中学で終わり。その準備は中学一年生から始まって、中学三年の時にはオーディションを受けた。今の社長から不合格をもらったけど、詩織は努力していた。義務教育が終わったら詩織は一人暮らしで高校生活を始めてさ。逃げるものもない中、ファンと酒を頼りに生きてきた。もちろん、萌歌ちゃんも頼ってきたけどね。そんな娘の支えになるつもりなんでしょう? しっかりなさい」
沙織は微笑む。
「私が守れなかった分、あなたが守るんでしょう? 私もアイドルじゃ無ければ、同じことを言えたわ。でも、私は魂を売ったから、あなたの思うような親にはなれない。私の数少ない欠点よ」
朝香は顔を上げて涙を拭いた。その目には確かな意思が宿っていた。ボクは汗を握る。
「分かりました。それなら私は私なりに詩織を幸せにします。でも、私はあなたのやり方を理解したくない。父は小説家で偏屈だけど、道理があれば必ず道を開いてくれました。私も同じように道理で道を開きます」
その言葉に沙織は「出来るようにやってちょうだい」とだけ言った。そんな沙織に詩織が抱きつく。




