第八章①半狂乱の朝
夢の中でも作曲をして、起きたときに作業が進んでいないことに気づく。そして、絶望しては夢よりも良くなるように曲を仕上げる。朝香と詩織が起きたら二人と話しながら動画の話し合いをして、時には公園まで行って撮影する。お昼を食べたら寝始めて、夜ご飯に起こされたらご飯を食べて作業を始める……。
いつの間にか夢のような時間が流れていた。大学時代にすら味わえなかった青春をボクは全力で楽しんでいた。そして、できあがった曲をみんなで歌う。あぁ、朝香も歌っているから夢だな。でも、こんな夢のような時間が……。
「萌歌ー、起きなさーい。寝顔を撮っちゃうぞー」
朝香がそう言っているときは、大抵、手遅れだ。朝香という人間が許可も無く行動を起こす人間なのは分かっている。だから、起きなかろうと無関係にボクの寝顔は世に晒される。せめて、もう少しだけ……。
「萌歌ー、十時だよー。お昼の前に打ち合わせしよー?」
何を言っているんだ、詩織。ボクはお昼から寝る人間だ。そんな真夜中まで寝ているわけ無いだろう? むしろ、この状況で普通の時間に寝るのは、ボクが諦めたときしかあり得ない。だから、これも夢……って、お昼?
「お昼!」
ボクは唐突に起き上がる。予想通りに寝顔を撮影していた朝香がのけぞる。そうだよ、お昼だよ。
「動画とかも全部、完成したんだっけ!?」
ボクの言葉に二人が気圧される。まさか、ボクは諦めたのか? 嘘だろう? そんな、馬鹿な話が……。
「思考が口から漏れてる。目を覚ませ、バカ。おまえがギリギリで諦めるわけ無いだろう?」
それを聞いてボクは我に返る。そうだった。一応、全部が終わったんだ。それで、本番前くらい寝ようよって誘われてボクは床で詩織達と……。
「落ち着いた?」
そう尋ねられた詩織を見て、ボクは思い出す。
「今、十時!?」
再び慌て始めたボクに朝香が「落ち着け」と頭を叩く。落ち着けるものか、あと二時間で本番が来てしまう。声の調子を整えて、動画じゃなくて本にが歌うことを求められても対応できるように……。あー、もう。なんでこんなに寝たんだよ、バカ。
「修正作業もしなきゃいけないし……」
「夢の中でもまだ作業してたの? 曲も完成したのに」
詩織の苦笑をボクは生真面目に怒鳴る。
「本当にあの歌は、あの歌で良いの!?」
半狂乱なボクを詩織は抱きしめる。
「これ以上無いくらいに完璧な曲だよ。だから、そんなに追い詰められないで」
その言葉を聞いてもボクは作業したくて仕方ない。早くパソコンを開かなきゃ。詩織を振り払ってパソコンに触れようとするボクを朝香が羽交い締めする。
「はーい、そこまで。続きはブランチを食べてメイクをしてからにしようねー」
「でも!」
「良いから、とりあえず飯を食え! 詩織からテスト前も酷かったとは聞いていたが、ここまでとは思わなかったぞ!」
ボクを叱る朝香。しょげながらボクは力なく座り込む。だって、人生かかってるんだもん……。そんなボクを見て詩織は意地悪な笑顔を浮かべる。
「そうなるのを見越して、あたしは意地悪をしました! あと、一時間でママは来ます! さぁ、曲を直す時間は無いですよー?」
その言葉にボクは発狂する。
「声の調整は!?」
そう叫ぶボクに詩織は「叫んでる時間がもったいないよ」と笑う。あー、もう。詩織って、いつも、大事なときの報・連・相をしてくれない。キッチンのテーブルにご飯があるのを見て、急いで立ち上がるボク。その様子を見ながら朝香は呟く。
「あれだけ叫べれば、普通に歌える気がするけど」
その言葉に詩織が「あたしもそう思う」と苦笑した。うるさいわ。そう思っていると詩織がスマホから音楽を流す。これは……『等身大のアイドル』!
「これを聞きながら、少しは落ち着いて食事しなさい。むせるよ?」
朝香の指摘通りにボクはご飯でむせ込む。背中を叩く朝香に見せつけられた画面には〈完成版 等身大のアイドル〉と言う文字が書かれていた。完成版が指し示すように、修正すべき点は修正されていた。ボクはご飯を掻き込みつつ、涙を流す。
「直すところ、無かった……!」
その言葉を聞いた二人がため息をついた。心配性なのは許してくれよ。
「これで完成だ。良いな?」
朝香の言葉にボクは頷く。だが、朝香は逃がさなかった。
「自分で完成だって宣言しなさい。そうしないといつまでもうじうじするでしょう?」
その言葉にボクは苦笑する。分かったよ。
『完成にします!』
それを聞いた朝香はボクをせかす。
「ほら、落ち着いたらご飯を片付けて、メイクするよ! メイクしないなら私が油性ペンで落書きしてやる! 渦巻きが良いか? 星が良いか? それともハート?」
「ごちそうさま!」
ボクはそう言いながらおかずを口に掻き込んで、お皿を台所に持って行く。冴木家に家事を代行してもらえるのは昨日までなので、今日の本番後には自分で片付けないといけない。まぁ、良いけど。
「落書きだと小学生レベルだから、せめて、特殊メイクにしてよね」
ボクはそう言いつつ、メイク道具を手に取る。そんなボクに朝香は「特殊メイクしてオーディション受ける馬鹿がいるか」と笑う。早くメイクしないと、声の調整が出来ない。
「手を抜くなよー。濃すぎず、薄すぎずー!」
そう脅す朝香にボクは「沙織って、どっちの方が良いの?」と尋ねる。すると、詩織が「ママは少し濃い化粧の方が好きかも」と叫んだ。なら、少し濃くしようか。……待って、アイラインが震える。ヤバい。
「マジで、うちらがメイクしてやった方が安心できそうだな」
朝香が背後で見つめつつ、そう呟く。その言葉を聞いた詩織が「一回だけテスト前のメイクを手伝ったことがあるけど、ぼろくそだった」と苦笑した。あれは思い出したくもない、大学三年生の中間試験だ。
「本当にダメなら私に言いなさいよ? 一応、妹にメイクを教えてたから他人にメイクするのは出来る」
その言葉にボクはアイラインを投げ出した。
「怖くて線一本すら引けない……」
それを聞いた詩織は苦笑しながら、朝香の背中を叩く。
「頑張って、未来のアイドルのメイク担当」
朝香は爆笑しながら来る。
「じゃあ、油性ペンでここら辺に筋肉って……」
「やめてよ!?」
「冗談だよ」
そう言いながらも朝香は洗面台のところにやってきた。「本当に何も出来てないね」と言いながらボクの化粧品を手に取る朝香。
「はーい、目をつぶっていてくださーい。アレンジは適当にするねー」
そんな声に合わせてボクは目をつぶる。
「お願いだから、恥ずかしくない程度に……」
「信頼しろ、仲間だぞ」
朝香はそう言いつつ、ボクの肌を触り始めた。