第七章①決戦前
「着いちゃったね」
冴木邸の前で発したボクの言葉に朝香が頷く。ちなみに詩織は予定調和のようにカルチャーショックを受けている。見た目はもはや異文化だから仕方ないと思う。
「さて。アイドルに関して、ずぶの素人が数時間でアイドルになると言い出して、一日もかけずに曲を書いたわけだけど」
「本当に〈一週間でアイドルに挑戦〉って、どこの配信者がする無茶だか。本当に急展開だよ」
そう言い合っているボクらは完全に詩織の再起動待ちだ。残りは扉を開けて突入するだけなのだが、完全に唖然としているから動けない。きっと、扉の先には冴木一家が勢揃いしているだろう。
「ここにいるんですよー」
「しっかりしてくださーい」
ボク達は詩織の前で手を振った。それに対して、引きつった笑いを浮かべながら遠慮がちに手を振る詩織。もう少し、時間を稼ごうか。
「傷つけることを恐れたら何も変えられないからさ、ボク達がすることは詩織と同じなんだよね。ファンの背中を蹴飛ばす」
「爆発してやらないとダメだね。もちろん、自滅するような超新星爆発はしない」
そうだな、超新星爆発は星の最期だ。終わるわけには行かない。始めるんだから。
「……全部、姫のせいだけどさ。後悔してたら二人に申し訳ないから後悔しないよ」
やっとしゃべれるようになったらしい。ボクは安心して息を吐く。
「いけそうだね」
ボクの言葉に詩織は「もう少しウォームアップを」と笑った。まぁ、良いけど。
「朝香って行動は完全にアホなんだけど、着ている服は高そうだし、いいとこのお嬢さんだとは思っていたよ」
「いや、実際は父の成金趣味が光る低俗な家です」
そんなことを言っていると扉が開かれる。
「お姉ちゃんたち、さすがに長いよ。あと、お姉ちゃん。低俗は言い過ぎ」
出迎えに来た夕香に朝香が「ごめーん」と言う。それに合わせてボクも「夕香ちゃん、昨日ぶりー」と手を振る。だが、完全に視線は詩織にロックオンされていた。
「……こんにちは」
「こんにちは」
お互いになんとか挨拶は出来るようだ。〈借りてきた虎の尾を踏まないように〉とばかりに猫が虎になった規模で無言の駆け引きが行われている気がする。
「萌歌、手をつないで」
その言葉にボクは苦笑する。
「頼るべきはボクじゃないと思うよ? しかるべき人の隣に行って手を出せば、きっと大丈夫」
その言葉を聞いて静かに詩織は朝香の横に行った。偉いぞ。
「やっぱ、萌歌はボクだけのものにしておくべきだった」
今更過ぎる言葉に朝香が苦笑する。だけど、きっと、姫は強くなってボク以上に輝くだろう。月は自分で輝けないけど、太陽なら……。
「ほら、行くよ」
ボクは先導するように冴木邸へ入った。ボクの対応をするために夕香が冴木邸へ引っ込む。外には朝香と詩織だけだ。
「どういう状況です?」
扉の外へ聞こえないような声で夕香が尋ねた。ボクは「本人に聞きなよ」とだけ答える。ただ、予想では。この家に入ってくる月宮詩織は『月兎耳姫』ですらない何かになっている気がする。舵取りは全部、朝香に任せたようなものだけど。
「お邪魔しまーす」
ボクはそう言いながらスリッパを履くと居間に行こうとする。
「あ、今日は応接間です。こっち」
そう言いながら朝香の母親がボクを誘導した。居間とは真逆の方向だった。まぁ、スリッパも意味があるかもしれない距離があるようだ。
「詩織さん、だっけ? 姫は本番に強いの?」
その言葉にボクは戸惑う。姫にここまでの大きい舞台があっただろうか。その点は心配だが……。
「少なくともテストの時に失敗するようなタイプではなかったですよ」
ボクの言葉を「そう」とだけ流した朝香の母親。ボクは知っている。姫はめげない。なぜなら、アイドルになれなくても配信者として粘ってきたから。
応接間には兜と拳銃が飾られていた。さすが、和と洋が格闘する世界だ。もう驚かない。
「雅さんは?」
ボクの問いに朝香の母親が苦笑する。
「一週間も連れていくなら食材くらい出さなきゃとか言って秘蔵の缶詰とかを選別しているよ。レトルト食品とか缶詰とかが好きな人だから、ここぞとばかりに『全員にキャリーバッグ二つ分は持たせる』とか息巻いてた」
熱烈な応援に感謝したいが、それって食材に加えてリュックで朝香の荷物を持ち帰るパターンだ。詩織の体力的に大丈夫だろうか。そもそも、枝折は熱が出ていた気がする。ピンピンしていたけど心配だ。
「夕香が『未来のアイドル様のファンだ』ってウチワを作る用意を始めたのよね。私もオタクになろうかしら」
「ぜひ、家族でペンライトを振り回してください」
もう、どうとでもなれ。頑張り次第だが、なんとかして冴木家の夢も実現したい。
「ちなみに、夕香ってレズ……?」
ボクの言葉には朝香の母親は苦笑する。
「一応、まだ言われてないし、彼氏もいるみたいよ。パパに言ったらかわいそうだから言わないけど。強いて言うなら、姉が大好きで仕方ないかな。姉の大事なものを手入れしているくらい、姉が大好きな子」
ボクは「シスコン……」と呟きながら頭を抱える。このタイプのシスコンは姉のものを略奪しようとするタイプだ。嫌な未来がなければ良いけど。
そんな時、扉が開いた音がした。二人が入ってきたのだろうか。そう思ったが、夕香が騒がしくないので朝香だけが入ってきたのだろう。そう思っていると階段を上っていく音がする。先に荷物をまとめようという算段のようだ。
「いよいよ、大詰めってところかな」
ボクの呟きに朝香の母親が微笑む。
「一人で覚悟を決めて入ってくるのね」
ボクは「そうでしょうね」と呟きつつ、祈るように手を組む。ここで大きく踏み外さないと良いのだが。
しばらくして、朝香が荷物を詰めて降りてきた。リュック一つで済んだようだ。
「パパが上の部屋で缶詰をキャリーケースに詰めてたから何かあるなって思ってリュックにしてみた」
そう報告する朝香に「詩織は大丈夫?」と尋ねる。すると朝香は「五分五分」とだけ言う。そんなに緊張しているのか。
「さっき、ママから電話だって言われて追い払われて。もしかしたら何かあるかも」
その言葉にボクは「期日の短縮だけは嫌だねー」とだけ答える。それに対して同調する朝香に対して、無視されていた母親が口を尖らせる。
「家出娘。何か言うことは?」
「後でまとめて言います」
生意気な娘だなぁと思いながらもボクは「まぁ、この家なら通用するか」と呟く。そんなボクに朝香の母親は「通用しちゃいけないんですけどね」と苦笑した。子育てって大変ですね。私は子供どころか結婚もない予定になっちゃったので縁が無いですけど。……里親にでもなろうかな。
「とんだ誕生日もいつの間にか終わってたわ」
ふと呟いたボクに朝香が「誕生日どころじゃない騒ぎだったもんね」と茶化す。「一度で良いから朝香も経験してみなよー」と茶化し返すと朝香は「一日に何個のイベントを詰め込めば良いんですか?」と苦笑した。そうだろうな。濃い一日だった。
「悔しいけど覚めない現実なんだよね」
「夢だったら良かったのにね」
「むしろ、夢よりも中毒性があるよ」
そんなやりとりをするボクと朝香を微笑みながら眺める朝香の母親。「お酒よりは中毒性が無いでしょう?」と言われたときにボクはつい「待て、詩織がまだ一本もお酒を飲んでいない」と呟いてしまった。重大事件である。




