第五章④幻の新月
「お、終わった?」
ボクが声をかけると詩織は力なく「うん」と答える。ボクはその様子を見て「ダメだったか」と呟く。しかし、詩織は首を振った。
「ママは社長と一緒に一週間後、会いに来るって。オーディションも兼ねて。だから、デビュー曲を作って仕上げておいてって言ってた」
それを聴いて朝香が飛び上がる。
「え、じゃあ、チャンスあるね」
その言葉にボクも盛り上がる。
「じゃあ、曲を作らないと」
そう興奮気味なボクの手を握った詩織。
「ねぇ、あたしのために我慢してたの? 性欲もないのに、キスとかいっぱいしてくれたけど、駆け引きだったの?」
その言葉に空気が固まる。……聞かれちゃってたか。
「あたし、なんで生かされてきたの? あたしが萌歌を信じていたのは間違いだったの? あたし……」
そうぐずり出す詩織に朝香が怒鳴った。
「いい加減にしなよ、姫! 萌歌は姫のためにアイドルをやる決意をしたんだよ? 姫に生きて欲しいから結婚だって考えていたんだ。なのに、その応援を無意味な延命みたいに言ったら、萌歌がかわいそうだ。結婚資金だって姫がいなければ自由に使えた。姫のためにアセクシャル気味なのを隠していたのも無意味になってしまう。分かってあげてよ!」
「でも、あたしが生きていたからそうなったわけで! あたしが死ねば!」
「今、死んでも遅いんだよ!」
朝香の痛烈な叫びが耳に残る。そうだよな、ボクもそうだ。みんな……。
「みんな、死に時も分からずに生きてるんだよ。幸せなときに全てを売り払えてしまえば楽なのにね」
ボクの言葉に詩織が頭を垂れる。気持ちはボクにも分かるよ。
「生きている人間は死に時を逃したか、死に時が来ていないだけの死に損ないだと思う。ボクがどっちに当たるかなんて分からないけど、生きている限り、ボクは死に損ないだと思う。たださ、それでもボクは、死に損なったなりに、姫に生きていて欲しかったんだよ。別に意味なんて要らなかった。姫が生きていれば十分だったんだよ。それはボクのエゴかもしれない。けどさ、そうやって生きてきたからもう一度、詩織は立ち上がろうとしてくれているんでしょ」
しんみりと呟くボクに朝香が同調する。
「姫はさ、一生懸命に支えてくれた萌歌を晒すことで愛されていることを示したかったのかもしれない。けど、こうやって頑張っている萌歌を見てどう思う? 辛くない?」
「辛いに決まってる!」
怒鳴る詩織に朝香が怒鳴り返す。
「だったらさ! せめて、気づかないふりをしてあげようよ。萌歌が姫の辛い過去に目をつぶっていたように。全部生きていて欲しいからなんだよ」
そこまで言うと朝香は歩み寄って、ボクの肩を叩く。
「本当はさ、萌歌もダメなんだよ。本当の気持ちを偽っていたなら、隠し通してあげるべきだったよ。言うにしても場所を考えるべきだったな。でも、私もこの可能性が見えていなかったから怒れない。許して欲しい」
そう言うと朝香は伸びをする。
「恋愛的な雰囲気を出さずに付き合っていけば良かった、って指摘するのは簡単だけどさ。自分を犠牲にしてまで姫を救いたかったんだもんね。分かるよ。相手のために自分を曲げてあげたことで相手が悩む。よくある出来事だけど、気づけないよね。だって、その人を救いたくて精一杯なんだもん。私だって似た経験はあるよ」
そう言いながら朝香はボクと詩織の中間に立つと、ボクらの頭をなで回した。
「そんな共依存って素晴らしいと思うんだ、私は。他人がやってると醜いなって思っちゃうけど、自分に置き換えると避けがたいって思うよ。お互いに精一杯に愛し合ってる形なんだもん。誰かが否定して良いものじゃない」
その言葉にボクは「お母さんみたいだね」と呟く。すると、朝香は「月兎耳の母ですから」と笑った。厄介なオタクだけど最高にかっこいい。
「まぁ、何だ。詩織はさ、萌歌に甘えすぎないことだね。甘えたいときは私に甘えなよ。別に、萌歌の代用品にくらいならなるから。私はれっきとしたレズだよ。男なんて嫌いだね。それに詩織にガチ恋してきた人間だからさ、実を結ぶなら喜ぶ」
それを聞いて、ボクは「告白ですか?」と笑った。朝香はそれに対して「まぁね」と苦笑する。でも、二人がくっついてくれたら嬉しいのはボクなんだよな。
「ねぇ、詩織。朝香のことは嫌い?」
そう尋ねるボクに詩織は首を振った。良かったね、好かれていて。ボクは口にしなかったが、凄く安心した。
「ならさ、ボクだけじゃなくて朝香も大切にしてあげて。よくよく考えれば朝香って偉いんだよ? 憧れの姫に出会ったのに口説かずに頑張っていたんだから。ボクには恋愛感情が分からないけど好きな人を見て口説かない人は損だなって思う。そこまでしてボク達を大切にしてくれる朝香に頼ってあげて」
その言葉を聞いて、詩織は口を開いた。
「あたし、萌歌が好き」
「それは誰もが知っている」
ボクの言葉に朝香も頷く。
「あたし、振られた」
「そうだね、ボクが振った」
相づちを打つボクに詩織は言う。
「あたし、慰められた」
「そうだ、私が慰めた」
朝香が真顔でそう答える。ボクも頷いた。
「あたし、朝香を好きになって良いの?」
その言葉に朝香が応えられるわけもないよな。ボクが答えよう。
「詩織が生きてくれるなら。ボクはむしろ、朝香を頼ってくれる方が嬉しい。一日の仲だけど、ボクは朝香を信頼しているから」
そんなボクに朝香は苦笑した。
「最後の言葉が余分な気がするけど、そういうことだ。変な相手に恋されるよりも安心できる人を頼って生きてくれる方が、萌歌にとってはありがたいってことよ」
その答えを聞いて、詩織は朝香を見る。
「あたし、本当に朝香が好きかわかんない。でも、頼って良い?」
素直な問いかけにボクは微笑む。朝香なら大丈夫だろう。
「別に好きじゃなくても良いよ。ただ、死ぬな。死んだら私も萌歌も辛い。それだけが事実だよ」
その言葉を聞いてボクは呟いた。
「やっぱり、新月は幻だったね」
その言葉に朝香は場違いにも吹き出す。
「いや、満月のような愛には敵いませんよ?」
そんな答えにボクは笑う。
「ボクは月かもしれないけどさ、月は太陽を回っていないんだ。あくまで太陽の周りを回るのは地球なんだ。地球のようにずっと一緒に居てくれることが、今、詩織の求めていることなんじゃない? 満ち欠けするような月の愛なんかじゃなくて」
その言葉に朝香は上を見上げる。
「まあ、ね」
そう呟く朝香は母なる地球にピッタリな人だと思った。
「よくわかんない」
詩織がそう呟く。ボクは「分からなくて大丈夫」と一言だけ返す。ただ、いつか分かると良いな。この月と地球と太陽の関係を。
「まぁ、いいや。最高の相手と結ばれてくれるなら!」
ボクの呟きに朝香は笑う。
「良くも悪くも私は普通のファンじゃ居られなくなったね」
それを聞いて、ボクは朝香を茶化す。
「元々、ファンに収まるような規格をしていないだろ? 規格外にはちょうど良い形じゃないか?」
そんな言葉を聞きながら詩織は呟く。
『縋って良いのかな』
「まだ悩んでいるのか」
苦笑するボクはトイレの扉に手をかける。