第一章②コンビニの厄介オタク
イヤホンをしたまま何気なくコンビニへ入ると「らっしゃっせー」と適当な挨拶が飛んできた。イヤホンの音楽越しですら分かる気怠さにボクは苦笑する。プチ贅沢のためにスイーツコーナーへ行くが、思い浮かぶのは〈詩織がご飯を食べただろうか〉だった。自分のストレス発散よりも同居人の方が大事らしい。
「あ、ボクのフォロワーばかり気にしていて、詩織の投稿をまだ見ていないや」
いつもなら歩きスマホでチェックするのに。色々重なったから浮かれすぎていた。すぐに月兎耳姫の投稿を確認するが最新の投稿が炎上していた。〈大事なお話を後でします〉だそうだが、投稿のリプライ欄なども確認しても全容が理解できなかった。最古参リスナーである『月兎耳の母・さおき』と言い合っているのも見えたが……配信で何を口走ったのかを蒸し返さないようにしているせいで話が掴めないんだ。帰ってから慰めるだろうし、まとめて聞こう。
帰ってからご飯を作る前に詩織のメンタルケアは確実だ。面倒なので惣菜系も買おうか。ボクは手近なところの籠を手に取って、プリンとシュークリームを放り込む。行きがけにおにぎりも掻っ攫って、飲み物はレジ前で安くなっていた蜂蜜レモンティー、と。野菜は……家にあると信じよう。
レジに行くと先ほどの適当な挨拶をした店員がやってきた。まあ、チェンジと告げる勇気は無いけど残念かな。スマホを台に置いて、ボクは無言で籠を渡す。すると、明らかに店員が固まった。何かおかしいことがあったか自分を疑うと店員は一言、「失礼しました」と謝罪した。
何だ、この人。そう思っていると店員の手がおぼつかない。視線の先には……ボクのスマホ?
スマホを伏せてみると店員は一言「姫のリスナーに会うの、初めてです」と話しかけてきた。今までの表情が嘘みたいな笑顔にボクは動揺する。興味が無いことには徹底的に興味が無いのだろう。興味を持たれたことに怯えつつ、ボクは話を合わせるように「リスナー歴は?」と尋ねてみた。姫がまともな人間じゃないから、彼女のリスナーも面倒な人が多いのだけど……。ボクが代表例で、良くも悪くも変人しか姫には集まってこない。
「姫が月から閉じ籠もってる頃から、だね」
その言葉が意味するのは最古参だと言うことだ。ボクが姫と出会う前に名乗っていた呼称を知っていると言っているのである。『月閉じ姫』だったか。名前を把握するべく視線を動かすと〈冴木〉と書かれた名札が。参ったなぁ……。こんな身近な場所に最古参リスナーが潜んでいるなんて。行くなと言うと行くタイプだから、詩織には黙っていないといけない。厄介事はごめんだ。
「姫さえ語ろうとすらしない黒歴史の人たちかー……」
ボクがそう呟くと冴木は「まぁ、敵には容赦ないですね」と返す。姫を守ってきた意地がある人たちだからな。ホーム画面のツーショットなんて見せられないので、ボクはスマホを隠すように持った。電子決済アプリを開くが気は重い。
「……手、止まってますよ」
逃げるためにも精算を急かしたボク。「失礼しました」と冴木は言うが商品をスキャンする手が遅い。
「私、サエキって言うんですけど、笑顔で居るがモットーで。これで伝わります?」
暗号のような一言だが聞き覚えがあった。詩織がよく口にしている。
「姫の最古参、さおきのフレーズですね。月兎耳の母。まさかのです?」
ボクはバーコードを差し出しながら後ずさる。彼女は熱血系の過激派だ。会いたくなかった。だが、祈りも虚しく微笑む冴木。
「本当にリスナーなんだね! 私が『月兎耳の母』! あなたの愛称は?」
ボクは窮地に追いやられた。姫との約束で配信なんて見てない。愛称も持ってないし、配信のことなんて詩織から聞いたことしか知らない。しかも、相手は熱狂的なファンだから下手なことは言えない。
「もしかして、ノーネーム? 参加しようって空気を壊す害悪な人?」
肯定したら後が怖い。下手な嘘よりは身を切る方が軽傷で済みそうだ。
「姫とリアルな知り合いなだけで配信はあまり……。オフ会さえ嫌がる姫のためにも、ここでつながるのは嫌かな……」
一生懸命な言い逃れは見苦しかっただろう。ただ、実際に姫はオフ会で浮くのに怯えているタイプなので間違っては居ない。熱狂的なファンに通じるか怪しいが、下手な嘘よりはマシだったはずだ。
「まぁ、姫は外に出たがらないし、勝手に盛り上がると拗ねちゃうから気持ちは分かるけどー。姫に近づくためならリア友と聞いて易々とは……」
「ですよねぇ……」
苦々しく呟きながらもスキャンを手で促すボク。冴木は口をへに曲げながらも最後のおにぎりをスキャンした。ちゃんと仕事をしてくれる冴木に促されるまま、ボクは電子決済をしてエコバッグを取り出す。すると、冴木は胸元のメモ帳を取り出して紙を破り取ると、何かを書き始めた。
「今度さ、姫に内緒でお茶しない? 会わせて、とまでは言わないからさ」
ボクとしても約束を守っているせいで配信時の詩織を知らないのは気にしていたけども。彼女の隠したい一面に踏み込むべきなのだろうか。ボクは答えを出せなかったので「連絡するかも」とだけ返事してメモを受け取った。嬉しそうに「またのお越しをー!」と挨拶する冴木。来たときとは別人のような彼女にボクは会釈しながら店を出た。そして、少し離れて自動扉が閉まった後に呟く。
「とんだ厄介オタクがいたもんだ……」
自作の曲を送り続ける迷惑なボクもびっくりだ。姫を守る、とか口走らなかったけど、怖かった。容赦しないって言ってたよ? 憂さ晴らしどころじゃなかった。
ただ、あの爆弾を手懐ければ詩織の過去がボロボロと分かる気がする。危険に突き進むだけの価値を感じた。正直なことを言えば、詩織と同棲はしているけども一番大事なところを隠されているから居心地が良くなかった。何を隠しているのかを暴くためにも冴木から聞き出さないといけないことが山のようにある。
帰る前の習慣で気分転換がてらに作曲しようとするが、出てくる歌詞が少し寂しい。詩織との未来を考えると、いつも不安で頭が鈍くなってしまう。しかも、先ほどの冴木のせいで思考を切り替えようとしても詩織がこびりついてしまっていた。まぁ、そうだよな……。ボクは詩織の味方で居るために、彼女の嫌がることは避けてきた。なのに、今更になって、辛い過去や裏の顔である『月兎耳姫』を知ろうとしている。葛藤しても当然か。
女同士だが告白されたがために婚約までしてしまったというのに、ボク達は互いに理解不足なんだ。ご両親に挨拶していないから、とか言いながら結婚を見送っている本質も未来が確信できないからだ。そもそも、ボクはレズビアンか怪しい。お互いに煮え切らないから関係を維持しているだけの自覚もあった。ただ、ボクが詩織を拒絶すれば彼女は自殺しかねない。かといって、後釜も無く喧嘩別れしたとして、孤立した詩織が生き続けてくれるか心配だった。ボクは恋愛感情があるかはともかく、詩織が素敵だと思うから生きていて欲しかった。そのためだけにボクはコントロールを失わない範囲で詩織を自由にさせてきたし、どっちが上か分からないような関係を続けてきた。
「本当は互いに隠し事なんて嫌なんだけど」
そう呟きながらピクチャーロールを漁って、張り紙の写真を出す。
〈互いにプライベートに踏み込みすぎない、一緒に居るときは配信しない、誰かに愚痴らない〉
同居時に決めたルールだ。私のことを配信されたくないがために、誰にも相談できなくなった厄介なルールだ。仲が深まる限界も作っていて、防御壁が檻になっているような感覚がある。辛くて仕方ないが、詩織が私のことを悪気なくネット上に晒す恐れがあるから破棄できない。彼女のネットリテラシーは信頼ならないから〈今まで一緒に居てくれた大事な人〉として話し出せば止まらなくなる。それは避けたい。
「今、晒されようものなら祭り上げられちゃうよ」
一応、ボクは人気アイドルの曲を作ったからな。顔出しもしたくないし、尚更だ。