第三章⑤ボクの結論
言葉たちとともにボクは深く思考の海へ沈んでいく。ボクが姫を愛せているのなら、今の状況はどうして生まれたのだろう。汚れを浮かせるように時間をかけて、真意を問い続ける。揺蕩うような証拠を結びつけて、確固とした何かを探す。自分の中で自信のなさが糸を引いて、何かをつなぎ止めている。つなぎ止められた何かの下から不安や辛さが漏れ出してくる。
……あぁ、なるほど。これは蓋なんだ。または、かさぶた。今更な感情達が湧き上がるけど、目を向けないようにボクは目を背けていたんだ。ダメな部分も自分なのに、ダメな部分を否定しようとしたせいで自分自身を否定した苦しさが今なんだ。
素晴らしい自分を思い描いて、自己一貫性の名目でダメなところを排除しようとしたツケだな。可能性を捨てて輪郭を作ったからこそ、壊せないんだ。
本当にボクはそんな輪郭をしているのかい?
本当にボクは苦しくないのかい?
情報を切ってはつなぎ直して、切り直しては捨てて、違うように組み直す。その果てに世界が覆った気がした。
一瞬の暗転の後に世界が輝いて、新しい世界がボクを迎える。
〈自分の思いや行動に精一杯で姫から逃げてた。ごめんね。もっと早く、ボクから約束を捨てれば良かったね。かみ合わなかった全てにごめんなさい。ボクは今まで無力なファンのつもりだった。でも、姫の大事な婚約者だもんね。想像の百倍は信じられているんだと思う。手が届かないと諦める立場じゃないのに、真っ正面に立てなかった。もう少しエゴを貫いて、あなたに思いをぶつければ良かったね〉
ボクがそんなことを書いているのを見て、朝香が呟く。
「本当、現実って嫌だよねー。愛って概念は美しいはずなのに、現実に落とすとエゴや妥協のような残念な要素がないと夢物語になっちゃう」
それを聞いてボクは「現実性の書いた愛なんて現実に存在しないもんね」と笑う。朝香の母親までもが頷いていたから違ってはいないんだと思う。
「生命の誕生自体が親のエゴだし、子供を産むと決めたときから私は子供を肯定する覚悟をしてきた。実際は手がかかりすぎて目が回りそうだけど、頑張ってきたから娘達が私たちを恨んでいない。まぁ、恨まれてでも愛すのが親なんだけどね」
それを聞いて雅さんまでもが口を開く。
「作曲家なら分かると思うが、創作だってエゴだ。作品はいつでも自分の正当性を尋ねてくる。曲ではなかなか聞かないが、文学作品では書き換える作家がいるくらいだ。人間ほど拗れていないにせよ、生んだ何かは必ず自分のルーツとして生んだ人間に価値を問うてくる。それに耐えるだけの器を君は持っているはずだ」
その言葉にボクは頷いた。大丈夫、これまでの曲のすべてをボクは愛している。そして、多分、詩織も。
「大丈夫です。これが本音です」
ボクは断言して見せた。それを見て四人が拍手する。
「じゃあ、便せんに書いてみることだ。ついでに、だが。自分の意思表明として今後の未来を書き記しておくと良いだろう」
雅さんの言葉にボクは口をつぐむ。今後のボクか。アイドルをするか、しないか。
「大丈夫だよ、萌歌なら」
朝香が何気なく励ましてくれる。
「萌歌さんの歌があれば人は動きますよ」
夕香までもがそう言い放つ。
「あなたの覚悟はどのくらいなんでしょうね」
朝香の母親が微笑みながらそう問いかける。そうだな。
「ボクは、逃げたい心や嘘が混ざっていても、この答えを本音として生きていきたいです。覚悟します」
その言葉に四人はもう一度、拍手した。良かったらしい。
「気持ちは変わりやすく、行動は早く色褪せる。言葉と気持ちの間には大きな隔たりがあって、君の言葉が全てだも君の行動が全てだとも私は思わんよ。ただ、指導料に値するだけの決意を持った未来で君の思いを証明して欲しい。期待しているよ」
そうとだけ言うと雅さんは「失礼、トイレに行ってくるよ」と立ち上がった。朝香や母親も「お片付けしちゃいますね」と言って立ち上がる。最後の大事な手紙は自分一人で書けと言うことらしい。
ボクは静かに便せんへ言葉をしたためる。詩織への謝罪、自分の宣言による未来の確定。それを含めた、詩織の未来を応援するという気持ちと安全そうな道への誘導。全てを書いてから、ボクは静かに手紙を封筒に入れた。ご丁寧にも餅つきをするウサギのシールを用意してくれていたので、ボクはありがたくそれを使って封をする。……なんか、将棋の封じ手みたいだな。
「書けました!」
ボクは叫ぶ。それを聞いて、朝香が「お風呂、使う?」と尋ねてくる。乗っかるように夕香が「何なら私たちの部屋を見て行ってよ」と叫んだ。もっと一緒に時間を過ごしたいと思ってくれているようだ。嬉しい。だが……。
「日をまたぐ前には帰らないといけないので、いい加減にお暇させてください」
ボクの言葉を聞いて「分かったー。私、萌歌を送ってくる!」と朝香が叫んだ。だが、それを引き留めようと母親が「買い物のお説教がまだですけど?」と言う。ボクは思わず吹き出した。
「怒られなよ」
ボクの言葉に朝香は「えー」と言う。「ボクは大丈夫だからさ」と付け足してみたが、朝香は「そういう人が一番危ない」と言って、母親の手を振りほどいた。
「珍品まで籠に入れるのだけはやめなよ」
ボクはそうとだけ言っておく。半額のドライフルーツを掴んだ彼女に思い当たる節が無いのか「食べたいものを入れただけなんだけどなぁ」と朝香はぼやいた。そうですか、以上の言葉が見当たらない。
手紙の下書きをしたメモに、ボクは少しだけ言葉を書き加えた。
〈否定できない思いのために作った否定したい自分のための輪郭がボクを守るとしても、前に進むなら輪郭なんて不要だ。曖昧な自分しか変化して超えていくことはできない。傷はいずれ痛まなくなる。痛くて辛いときは輪郭を作って休んでも良い。それでもボクは変化をするために、また曖昧な自分に戻るだろう。曖昧な自分を掴むのは後からで良いから、今だけは前へ〉
ボクのメモを見て、朝香は「突っ走ってるなぁ」とだけ言った。まぁ、ちょっと極端な答えに走っているかもしれない。でも、これくらいの勢いがないと今の課題は超えられない。
「帰るなら、これをあげよう」
そう言いながらふらっと雅さんが戻ってくる。その手には紙袋があった。
「わざわざお土産まで……」
ボクがそう言いながら紙袋を開いてみると、中には本の山。ずっしりとした重さにボクは思わず声を漏らす。
「私の著作だ。君の参考になるかもしれん。ドラマの原作も入れておいた。気が向いたら、読んだ感想を教えてくれ」
その言葉にボクは「ありがとうございます!」と叫んだ。それを雅さんは嬉しそうに眺めていた。
「本当にありがとうございました!」
ボクはそう言いながら冴木邸を出ようとする。散々言い合った末に「門の施錠までにしなさい」と言われた朝香はボクの家まで来ることを断念したようだ。
「また来させてください。まだまだ学び足りないので、楽しかったですし」
ボクの言葉に雅さんが「待ってますよ」とだけ言ってくれる。母親が「次の時は連絡をください。赤飯を炊きます」と言うのに苦笑しながら、ボクは玄関の扉を開いた。




