第一章①作曲者は歌う
バイト帰りの夕空にボクは『宿命』を歌う。今日、正式リリースされたばかりなのに、歌い慣れているボクこそが作曲者だ。テレビに出るような、有名アイドルグループ『仙人掌』(サボテン)に採用されたおかげで、ボクは堂々と作曲者を名乗れるようになった。
今までの商売相手を馬鹿にするつもりはないが、地下アイドルに曲を売っているのとでは規模が違う。これからの生活を考えれば胸が膨らんで仕方ない。
「まぁ、物理的には膨らまなくて良いんだけど?」
そう言いつつ、ボクは肩こりの元凶を見つめる。太った実感をもたらす贅肉さえも今日は寛大な気分で許すことができた。SNSのフォロワーも少しずつ増えているから、気分が良いのだ。風船の飛ぶプロフィール画面をボクは満足げに眺める。意図的か分からないが、何故か公開日が私の誕生日なのもあって、今日は特別な一日なんだ。仕事でも特別なくらいに何も起きなかった。トラブルもなければ、不快な客もいなかった。帰り際には店長に褒められたくらいだし、人生の転機が訪れていそうだ。
〈なんか満ち足りた日であって欲しいね。今日、満月かな?〉
ボクは下らない呟きを投稿してから今日の月齢を調べる。ブラウザは新月と即答してくれたが、ツッコミ待ちということにしよう。
イヤホンでリピートさせている、仙人掌の『宿命』はキレッキレで男神のようにかっこいい。悔しいが歌い手の違いは大きくて、この曲をボクが歌ってしまうと甘っちょろい残念な戯言になってしまうのだ。彼らにしか歌えない曲、なのである。
ちなみに、実のところを言うとボク自身が採用されると思っていなかった。売り込みこそしたが、彼らは本来、エロさのあるねっとりとした曲を好むので採用されるはずがなかったのだ。ただ、ボクは仙人掌のことが好きだったから『彼らになさそうだけど持っていて欲しい要素』を曲に詰め込むことができた。その結果、曲風が違えども彼らに刺さった、といったところだと思う。
内容的には〈独自性を問いながらも宿命を設計図に人生を刻む〉というものになっている。そのまま書いたわけではないのだが、宿命は決まっているのではなく、自分でアレンジできると示したのだ。無形で淡い世界に刻みつけられた血汗の滲む痕跡を辿るような壮大さを表現した。歴史を作っていくボク達に必要な曲だと思っている。
そんなボクの宿命を疑うとキリがないんだけどね。やっと、こうして音楽方面で花開き始めたといえど、楽器と無縁な幼少期やいじめられたせいでアイドルオタクになったばかりのボクと比較すれば明らかに異質な人生を歩んでいる。音楽を制作するなんて思っていなかったから、未来では思っても見ない芽が萌えているかもしれない。
「何者でも無いって偉大だよな……」
ボクはそう呟きながら空を見上げる。考え込みやすい性質のボクは飛行機があるだけでも感傷に浸れてしまった。飛行機が小さいことから無限の高みに思いを馳せるように、ボクは飛行機があるという事実を拡大解釈してしまうのだ。その才能がボクを作曲家として大成させたとはいえ、妄想がちなのは少し困っている。
具体的な思考を示しておくと、人間がたくさん乗るような大きい飛行機がハエに見えるほど遠くにあっても、その飛行機からは月が遠い、とかだ。しかも、月にたどり着こうと、そこからは更に昔の星が見えることを考えて、憂鬱になる。遥か遠くにあろうと、星は星であることに変わりないのに。遠くに存在するだけで人間は何かに憧れてしまうんだ。それはそう、会うことのできなくなった恋人のように。手が届かなくなるからこそ、人間は恋しくなる……。
小さいことを大きくすることが才能だなんて思い上がりも甚だしいのだが、一般の人が空を見上げただけでここまで空想するのなら、きっと世の中は心の通じる友達だらけになっているだろう。
一番星を見つけてボクは微笑む。一番星をスター芸能人に重ねる人は多いが、アイドルほど人間味を捨てる仕事はない。機械の台頭により単純作業をする仕事からも人間味が失われつつあるが、スキャンダルを恐れる余りに現代日本のアイドル像は理想を突き詰めていて怖いものがある。理想を突き詰めるのが人間的じゃないと言い出せば、何が人間的なのかと問われてしまうだろうが、ボクは何もないところに利益や意味を見出す人間の騙すような性質が人間性ではないかと思ったり。実益性のない創作が、一番人間くさい。
そう思うと、何も言わずに空へ出てくる一番星はプロだよなぁ。気にされるかも分からないのに、すぐ埋もれてしまう夜空へ一番に出てくる。そして、残業代も発生しないのに、明け方までしっかりと仕事をする。だからといって、一番に出てくることだけが魅力な訳でもない。まさしく理想のアイドルだ。
「アイドル、か」
オタクであるボクには欠かせない存在だが、人間くさいボクにできるものではない。器量も無ければ、愛される要素もないからな。もちろん、崇められるなんて信じがたい。無理してアイドルにでもなろうものならば壊れてしまうだろう。まぁ、それでもアイドルを目指せと言うなら俗な存在にはなりたくない。ただ、輝くようなアイドルになれるかは別だ。
俗なアイドルなんて強烈な世界に上書きされてしまうから残らない。もちろん、同時代の誰かに響けば良いという消耗品的な発想をすれば別だが、理想に近づくのなら折角だし、世界を変えたくないか? だからといって、波及力がボクにあると思い上がることはないけども。やっと一発、当てたので少しは夢を見たい。
いい意味だとしても〈その場限りの特効薬〉になるのはごめんだ。ジェネリックが出るくらいに有用な薬として名を残す方が性に合う。後々で不要になる存在だと思うのは嫌だし、必要な人から地味に愛される方が素敵だと思う。
「どちらにせよ、ボクはしがないオタクとして推しへ曲を捧げるのみですよ」
そう呟くボクは毎年のようにファンレターで楽曲を送ってきた厄介なオタクでもある。クリスマスに一曲ずつ新曲を作ってきたのだが返信はない。専属の広報塔でも作って有名になれば採用してくれるだろうか。
「広報塔がいないなら自分で、とか無理」
誰かに言われそうなことを事前に断る一人芝居こそしたが、ボクに話し相手は居ない。ただ、ボクに呼応するかのように女子高生達がすれ違いざまに騒いでいった。
「なんで仙人掌はこんな曲を出したんだろうね」
たまたま仙人掌のことを喋っていた彼女たちに話しかけたいのをこらえてボクはその場を去る。どの曲を指してこんな曲と言っていて、貶す意味があったのだろうか……。向上心がある反面、不評を恐れる自分にも気づいていた。『宿命』が仙人掌を強く意識した曲である一方で、ファンからの反応が過激になるであろう曲だとも理解していたから。
仙人掌で投稿を調べたら自殺行為になりそうだ。有名になった人間ほどエゴサーチは大事だが……それで折れる人間がいるのも理解しているので何とも言えない。少なくとも、今日すべきことではないだろう。一瞬で疲れた気がするので、とりあえず憂さ晴らしが欲しいと感じた。
最寄りのコンビニを検索してみると、アパートの近くに一軒あるらしい。
「家を通り過ぎるけど、いいか」
普段、行かない方面のコンビニだから緊張するが甘いものが食べたい気分だ。SNSの通知を確認したら投稿にいいねが増えていた。下らない呟きに対して、普段より伸びが良い。いつもより若干多いコメントを手早く眺めると『宿命』に対する意見が散見された。過激なものをスルーしつつ、画面をスクロールしていくと〈心の夜空ではいつでもあなたが輝いています〉ってポエムが返信されていた。送信主は『月兎耳姫』(つきとじひめ)。相変わらず、彼女はボクに夢中のようだ。
「詩織、元気かな」
ボクはそう呟きながら歩調を少し速くする。アイドル志望のヒモニートだが、大好きな同居人だ。……本心を見せてくれないけど、ボクを頼ってくれるのが可愛い。
「早く帰らなきゃ」
そう呟いてから、今日は呟きが多いなと自覚した。どうも、気分が高ぶっているらしい。まぁ、色んな意味で特別な日だから仕方ないんだけど。独り言が増えるのは治したいと思っている。こうやって何気ない思いを口走るのってさ、何気ない日常を大切にして生きている証拠だと思うが。
「さすがに喋りすぎなんだよな」
ボクは奇異な視線を浴びない程度に自分をたしなめる。言葉を押さえ込もうとすると瞑想するしかないのが悔しい。ボクは音楽を聴きながら一生懸命に湧き上がる言葉をかき消した。