恋人じゃないのに
俺は左耳に吐息を吹きかけられている感覚と腹部に圧迫感を感じ、腹部の両サイドも押さえつけられているようで、瞼を上げた。
「あ〜起きたぁ、おはよーともくぅ〜ん!爽やかな朝にお寝坊しちゃ勿体ないよ〜ぅ!」
「俺って市川さんの恋人じゃないよね?何で朝イチに他人の家に上がって、寝てる異性に馬乗りになるっておかしくない?」
「ともくんのお母様がご機嫌で招いてくれて、起こしてやってって言われたから起こしてるの。興味ない人に触るなんてそんな……慎ましく生きてる私に向かってそんな酷いよぅ、ともくん」
俺は市川の垂れた茶髪が顔に掛かりそうで、煩わしく顔を歪ませる。
「そう……そろそろ下りてほしいな、市川さん。重いんだよ……顔も離して」
「んぅー、重そうだし下りる。ともくんだから許すけど、女子に体が重いなんて口をきいてもらえなくなる失言だから、気をつけないとメぇーっ!だよっ!」
彼女は素直にベッドの上で立ち上がり、スカートを抑えず俺の身体を跨ぎ、ベッドから下りながら茶目っ気たっぷりで子供を叱りつけるように忠告して、右手のひとさし指で顔を差してきた。
俺は先程までの彼女の押し付けられていた胸の柔らかい感触が残る胸部をさっと撫でながら上半身を起こす。
「俺って中学3年間で市川さんとまともに絡んでないはずだよね?執着されるのが分かんないけど……」
「そうだね。ともくんとはまともに話せなかった……バレンタインデーにチョコを渡したいって思ったことがあって、あーっそんなことは今はよくて……高校に入学したらこの想いを伝えた……かったのにともくんが居なくて焦ったの。ともくん、私と付き合ったら女子のパンツ見放題だよ。触り放題だし、私の——」
「あぁーっわかった!わかったからそれ以上は暴露するなっ!もう起きたから、さっさと登校してくれ!」
「えっ交際してくれるの?えっ嬉しい!私と一緒に登校してくれるんだ、さっ早く朝食を食べて二人で腕を組んで、指を絡め登校しよっ!」
「どう聴いたらそうなるーっっ!?付き合わないし、市川さんと登校なんてしないって!方向が違うだろ、通ってる高校!」
「えぇ〜っっ!?今の流れは交際するってのじゃないですか〜ぁ!え、付き合えないの……うぅぅっ、ぐすっ……ともぐぅーんんっっ……ともくんは胸が小ざいぃ娘が好きなんでぇずがぁああぁぁ……うわぁぁああぁぁぁ」
彼女が膝から崩れ落ち、この世の終わりみたく悲愴感たっぷりな表情で泣き始め、号泣しだす。
俺はベッドを下り、彼女の隣に屈んで肩や背中を摩って宥める。
「大きい小さいって関係ないから!と、兎に角泣き止んでくれよ……とぅ、登校すれば泣き止んでくれるか?」
「しぃ……してぇ、くれるの?ともくん……」
「あぁ、市川さんと登校するから、泣き止んでほしい」
「う……うぅん……一緒に、登校……しよ」
彼女は俺の顔を潤んだ瞳で見つめながら、涙を拭ってはにかんだ。
俺が彼女と階下のリビングに降りると母親と姉が揶揄ってきた。
朝食を済ませ、自室に戻り、支度を済ませた俺は玄関で待つ市川と登校した。
「ともくん、好きだよ。ありがと、一緒に登校してくれて」
「あぁ……そう。急ごっ」
「やぁ!もっとゆっくりともくんと歩きたい……ともくん、急かしちゃ嫌ぁ」
既に恋人気分に浸って甘えた声で会話する彼女で、早くも逃走したい気分の俺だった。
俺は彼女に腕を組まれ、恋人でもないのに彼女の五指が俺の五指を絡めていた。
中学時代の市川美咲とは大分印象が変わっている。前髪で眼を隠していたし、今程明るく振る舞っていなかった。
白磨瀧高校に近づくにつれ、市川が着ている制服と同じ制服を纏った高校生が周囲に溢れ、視線が痛い俺だった。
「ともくん、もっと話そうよ。どうしたの、黙って?ともくんともくん!」
「もう別れよう。間に合わなくなるからさ」
「えぇ〜もう少しだけぇー!ねぇ、いいでしょ?あと5分一緒にっ!」
「5分経ったら、行くから」
「うんっ!」
彼女が俺の肩に頬を擦り合わせて返事した。
6月16日の登校は地獄だった。
息抜きで書いてます。