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問題発生

「──はい。では、その件、弊社にお任せいただければと。注文書は──」


 二、三、念を押してから電話を切る。

 ──よし。営業課長のコネでない大規模電力会社の案件の確約が取れた。


 そう気分が浮かんでいたのも束の間。


「無理です。向こう半年の稼働がすでに限界な状況で、リスクの高い新規は請けられません」


 プロジェクトマネジメント会議の最中、長い沈黙のあと、開発部マネージャーがおもむろに言った。またこいつか。

 俺は怒りを顔に出さないようにしつつ口の端を上げて尋ねる。


「咲田マネージャー。手段を考えず思考放棄するなといつも言っているはずだが?」

「達成不可能な領域に手を出すのはいかがなものかと思います。氷上社長」


 きっぱりと言い切る咲田に、周りの幹部連中がおずおずといった様子で、しかししっかりと頷く。

 俺は目元に皺を寄せ、冷たい感じのする表情でメンバーを睥睨した。


「設計フェーズは半年先。次回までに既存案件について、外に出せるか検討しておくように。担当部署にはプロジェクト成功時にボーナスを出す」


 またしん、とする。

 

「だいたいからして、お前たちにはプライドがないのか? 技術力の企業が聞いて呆れる。先週の共有会の内容で、社外カンファレンスに立てると思うか? 発表準備時間云々の問題じゃない。普段からの意識の低さが透けて見えるんだよ。いいか? 技術者と名乗りたいなら、技術勉強会やワークショップに参加は当たり前だ。最新の技術トレンドや業界のベストプラクティスを説明できるか? コーディングやプログラミングのトレーニングはしているか? 新しいアルゴリズムやデザインパターンを試行し、問題解決能力を高め続けていないと、我が社のエンジニアとは言えない」


 厳しい口調で言えば、開発、技術マネージャー陣が神妙に俯く。一人、咲田だけは初めに横目でこちらをちらりと見たきり腕組みして手元のアジェンダを眺めているようだったが。





 †




 会議が終わって、疲れた様子でマネージャー達が退室するのと入れ替わりに、モモさんが入ってきた。こちらはいつもの柔和な雰囲気で、マネージャーたちに朗らかにお疲れ様です、と声をかけている。


「咲田マネージャーも、お疲れ様です。和穂さんが大変そうでしたよ」


 咲田の部下の新人の名前を出す。咲田が初めて温度のある苦笑いを浮かべた。


「今度は何でしょうね」

「半泣きでモニターと睨めっこしてました。早く行ってあげてください」

「ええ、そうします。あなたはこれから氷上社長と打ち合わせですか?」

「ふふ、そうですよ。ボス戦です」

「それはそれは。健闘を祈ります」

「ありがとうございます。咲田マネージャーも」


 にこにこと話すモモさんと咲田。いやいやモモさん。そんなやつに愛想いらないでしょ!

 というか聞き捨てならない単語を言った。


「ボスって」

「ボスで合ってますよね? 米国風に言ったら」

「いや、明らかに和製RPGのボスキャラ風に言ってたよね」

「氷上社長、詳しいですね」





 †




 モモさんは悪びれることなく持ってきた資料を手渡してくる。


「これは?」

「ストレスチェックのサマリーです」


 ああ、そういえば初日くらいに実施すると言っていた。


「気になる結果が出ていて」


 促されるまま、紙面に目を落とす。


『組織の67%がストレス反応が中〜高を示しています』


 そこから続く説明文には、高プレッシャー、勤務時間の長さ、人間関係の不和、やりがいの欠如など、問題の指摘がオンパレードしている。唯一ましなのはオフィス環境くらいか。


「……こんなもんかとは思ってたけど、数字で見るとずっしりくるな」

「結果が『高』の方には産業医面談を受けてもらうと同時に、稼働を調整するようなケアができないでしょうか」

「…………」


 資料二枚目にある名簿を見て閉口する。どいつもプロジェクトの中核メンバーばかりだ。咲田は入ってないが、あいつの部下も何人か載っている。


「気のもちようじゃ」

「残念ながら……そういう時代じゃないですよ、令和は」




 †




「でもこれじゃ、会社がまともに回らなくなる」


 言ってから、なんて情けない弱音だと思う。

 これが自席でなくて良かった。俺の漏らした言葉を聞いたのがモモさんだけで。

 モモさんは笑みを収めて申し訳なさそうに眉を下げた。


「個別面談での社員のメンタルケアは引き続き実施します。人間関係の不和は個々のコミュニケーション力のことなので、ポスター啓示やサンクスカード制度などをやってみませんか」

「サンクスカード?」

「お互いに良かったことをカードに書いて贈り合うんです。これだけでかなり空気がよくなりますよ」

「へ、へえ」


 なんだか気持ち悪くないか。ポスターっていうのも要するに、『相手を思い遣りましょう』『明るく挨拶しましょう』的なものに違いない。小学生じゃあるまいし、この会社でそんなもの、やるのか?

 俺の引いたような反応に、モモさんは寂しそうに笑った。


「氷上社長のスタイルじゃないことは分かります。これはあくまで、一つの提案ですし、他の手段も考えてみます。ただ、この会社の全員が、あなたのように自己評価の高いストイックな努力家ばかりではないようですから」

「…………」


 モモさんの言いたいことは分かる。

 結局、その場で答えを出すことはできなかった。




 †




 悪いことは重なる。


 朝イチの電話はだいたい良い内容だった試しがない。


「……で、技術部から計九名、辞職願が出ています。私も……次の取締役会で退任願を提出する所存です」

「……」


 どうにか最後まで聞いた自分を褒めてやりたい。


「──退任時期については取締役会で決議するからそれまでは通常通り業務するように。辞職願については──」


 ほとんど機械的に指示を出してから電話を切る。いつの間にか、スマホを強く握りしめていたらしく、液晶に斜めのヒビが入っていた。


(どうでもいいやつが何しようが、どうでもいいこと──)


 生産性の低いやつが辞めてもさしたる影響はない……そんなことを言ったのはいつだったか。


 ……ちょっとタバコでも吸いに行くか。

 デスクに入れっぱなしにしている電子タバコをスーツのポケットに入れて、席を立つ。

 執務室を出るところで声がかかった。


「氷上社長」




 †




 声に振り返る。

 俺を呼び止めたのは、案の定、モモさんだった。


「何か?」


 短く聞き返す。


「呼び止めてすみません。どちらへ?」

「タバコ」

「ご一緒しても?」

「あれ、吸うんだけっけ」

「ええ。ごくたまに、ですけど」


 答えるモモさんにはいつもの緩い笑みはない。人事のことだ。辞職の話は伝わっているに違いない。


「──あ、そ。勝手にしたらいいだろう」


 あまり優しくしてやる気分になれず、突き放して背を向ける。モモさんがついてくる足音がした。




 †




 喫煙室の黄ばんだ壁紙を背景に、モモさんがにこっと笑う。


「一本いただけませんか、氷上社長」


 持ってないのか。

 言われるままに譲ると、長い横髪をつい、と耳にかけ、たどたどしい手つきで火をつける。


 そして、


「ごほっごほっ、けほっ」


と激しく咳き込んだ。

 全然ごくたまに、ってレベル以下じゃん。


「大丈夫なの?」

「だいじょうぶです……」


 ちょっと涙目になってるし。




 †




 朝の喫煙室は人気がない。

 鼻につくツンとした嫌な匂いも、胸糞悪い今の気分にはちょうど良かった。


 モモさんはタバコを指に挟んでふいー、と息を吐き出す。


「……すみませんでした」

「何が」

「お力になると決めていたのに、離職者を出してしまいました」


 モモさんは灰皿を見つめながら、吐き出すように言った。


「辞められる技術部の役員さんとも、技術部の皆さんとも。たくさんお話をしたんです。とても熱心な、良い人たちでした。プログラミングが好きで、作ったものでお客様が喜んでくれるのが一番嬉しいと言ってました。小さいお子さんがいるから、できるだけ転職はしたくないと……」


 だんだん俯いて、横髪で表情が見えなくなる。


「寂しいです。……悔しいです。どうやったら、こんな思いをもうしなくて済むんでしょう」


 泣いてるのか。

 ぼんやりと考える。

 今回の退職騒ぎは、決して、着任して二週間の人事コンサルのせいじゃない。


 俺だ。

 俺が社員に圧をかけて、暗い顔をさせてきた張本人だ。批判して、叱責して、脅して、罰して、仕事をするように命令してきた。

 社員と雑談なんてほとんどしない。誰が何を好きで、子供が何人いるかも知らない。彼らの仕事を褒めたこともなければ、感謝したこともない。社員は給料を与えて働かせるただのコマ、そう思っていた。


 モモさんにとっては違うのか。

 モモさんがそうやって落ち込んでいるのを見るとなぜか自分がとても間違っていたような気分になる。

 モモさんの方が俺よりはるかに社員に近く、社員のことを考えている。それと、俺自身のことについても。

 モモさんといて不快な気分になったことがない。親しげで一切批判的でない態度。それ以外、仕事の熱心さは認めざるを得ないし、会話では俺の意を素早く汲んでくれるからテンポがいい。初めて俺と同じ目線で、目の前の問題について一緒に考えてくれる人に出会ったと思う。

 俺は煙を吐き出して、尋ねた。


「……人が辞めない会社と、高い技術力の会社は、両立できると思う?」


 モモさんははっと顔を上げて俺を見る。目がちょっと赤くなっていた。

 しかし、はっきりと答える。


「できます。人間関係もつまりは、技術ですから」

「ちなみに俺の今のコミュニケーション力は?」

「氷上社長には、何人、この人のためにできる限りのことをしてあげたい、と思う人がいます? その逆は何人いそうですか?」

「……ごめん、聞いた俺が悪かった」


 目の前のモモさんには……少し、そう思ってる気がする。それはモモさんが俺に誠実に向き合ってくれてるからそう感じてるのかもしれない。それ以外、社員にも、株主にも、顧客にも、そんな『真心』みたいなものは持ち合わせたことがない。俺のために、と動いてくれそうな人も、ちょっと心当たりがなかった。実益と金の関係ばかりだ。金の切れ目が縁の切れ目。それでは誰もついてこない……今更言われなくても理解すべきことだった。

 モモさんはけほけほと咳をしながら、疲れた顔で微笑んだ。


「氷上社長はすでにご自身を大切にできてます。人のことを考えるよりまずは、会社(ここ)で実現したいことが具体的になれば、社員とどうありたいかも見えてくるはずです」

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