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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

目覚めない朝

作者: 改 鋭一

 そうして人類は永遠の眠りについた。少数の『不応者ノンレス』を除いて。


「おい! サシャ! 起きろ! 起きてくれ!」


「ああん、もう、何よ……そんなに大声出さなくても起きるわよ」


 そう言いながら彼女は毛布をたぐり寄せ、くるっとあっちを向いてしまった。


 良かった……ちゃんと目覚めるよな。


 当たり前のことにホッとした俺は、それ以上彼女の邪魔はせず、キッチンへ行ってコーヒーメーカーのスイッチを入れた。旧式の機械からは耳障りな音が出るが、それぐらいじゃサシャは起きない。


 ちっ、頭が痛い。昨夜はなかなか寝付けなかった。いつものことだが、頭の中にいろいろ浮かんできて、寝なきゃと思えば思うほど寝られなくなってしまう。ようやっと寝付いたのは、窓の外が明るくなってからだ。


 俺と違って妹のサシャはよく寝る。っていうか、ちょっと寝過ぎなんじゃないかと思うぐらいだ。こいつだって思春期だし、いろいろ悩み事もあるはずだが、いつもベッドに入って3分後にはもう寝てる。朝だって、放っておくといつまで経っても起きて来ないから、心配になってさっきみたいに大声で起こすことになる。


 ん? それでも今日はあっさり起きてきたぞ。って、うわあ、寝癖ひでえな。ちゃんとしてれば結構な美少女なのに。


「うーん、もう寝れない……目が覚めちゃった」


「おはようさん。コーヒー入ったとこだ」


「ありがと。でも兄ちゃん、毎朝大声で起こすの止めてくんない?」


「ああ、すまんすまん。でもお前がぐうぐう寝てるの見ると、奴らみたいに『目覚めない朝』が来たんじゃないかと不安になってくるんだ」


「相変わらず心配性ねえ。私たち不応者ノンレスなんだから大丈夫だよ」


 ああ、分かってる。俺たちはノンレスだ。俺たちの脳は出来損ないで、健常者レスポンダの奴らとは違う。なかなか寝られなかったり、寝過ごしてしまったり、思うようには眠れない。でもそれだからこそ、毎朝目が覚めるんだ。



☆☆☆



 人類は理性に目覚めて以来ずっと、思うようにならない『睡眠』に悩まされてきた。誰もが動物のように寝たい時に寝、起きたい時に起きることを望んだが、よく発達した大脳皮質と文明社会がそれを許さなくなった。


 しかし西暦2022年、偉大な発明が人類の睡眠を変えた。大脳皮質に設置した数個の電極から脳波と似たガンマ波帯域の交流電流を流すことで、まるでスイッチを切るように眠りに入ることができるようになったのだ。


 ガンマ睡眠……ノーベル賞受賞のこの技術は、瞬く間に世界中に行き渡った。電流を流す装置も安価な物だし、電極の設置だって簡単な手術だ。人はこぞって電極を埋め込み、子供も生まれるとすぐに手術を受けさせられた。世の中から不眠症はなくなり、朝寝坊で遅刻するなんてこともなくなった。人類の生活は大きく変わった。21世紀半ばにはもう、両耳の後にガンマ睡眠用の接続プラグを持たない人間は地球上どこにもいなくなった。


 しかしごくまれにガンマ睡眠に反応しない者がいた。彼らは睡眠をコントロールできない。つまり寝たい時に寝られず、起きたい時に起きられない。極めて不自由で非効率的な生活を余儀なくされた。そういう人間は『健常者レスポンダ』に対して『不応者ノンレス』と呼ばれ、社会の底辺で暮らすしかなかった。


 特に不幸なのは、生まれて間もなくノンレスと判明した子供だ。赤ん坊は本来、夜泣きするし、眠くなるとぐずる。ガンマ睡眠で生活をコントロールしている親からすれば、まるで別種の生き物だ。哀れな子供たちは、虐待を受けたり、捨てられたり、人身売買の対象にすらなった。


「兄ちゃん、今日はどの辺に行くの?」


「そうだな……食料は足りてるし、久々に31番街の赤いビルに行ってみようか。あそこはまだそんなに荒らされてなかったよな。何かお宝があるかもしれない」


「ああ、あそこね。前に行った時も収穫あったもんね」


「うん。でもまたタチの悪い大人と戦闘になるかもしれないから、しっかり食って体力つけて行かないとな」


 そう言いながら俺は、これまた旧式のトースターに、旧式の冷凍庫から取り出したガチガチの食パンを放り込んでスイッチを入れた。


 スラム街でもこの辺りはまだソーラーシステムが生きてるから良い。大半のブロックは水も電気も止まって人が住める状態じゃない。俺たちの他にも『目覚めない朝』を生き残ったノンレスの大人はいたが、みんなスラムを出て行ってしまった。


 因みに俺は、このスラムにある養護施設の前に捨てられてた赤ん坊だ。サシャは3歳の時、母親の虐待から保護されて来た。つまり俺たち、血のつながった兄妹じゃないんだが、子供たちの中でもノンレスは俺たちだけで、いつも2人セットで扱われるうち、サシャは俺を本当の兄貴みたいに慕うようになり、俺もこの子を唯一の肉親のように思うようになった。


 だから目覚めない朝が来て世界が崩壊しても、俺たち2人だけで施設を出て、廃墟となった大都会を徘徊し、遺された食料や日用品を漁って生き延びてきたんだ。



☆☆☆



 ごちゃごちゃしたスラムとは対照的に、31番街は高層ビルが立ち並ぶアッパータウンだ。壁面をソーラーパネルで覆われた黒いビルが多い中、1つだけ赤いビルがある。ソーラーシステムがまだ生きてるビルもあるが、この古いビルは他から電力を供給されてたのか、今は完全にアンプラグドだ。住み着いてる不応者もいない。


 2人乗りのホバーバイクをエアーロビーに停め、俺たちは建物の中に入る。手にはレーザーガンだ。


 住み着いてる奴はいないとはいえ、俺たちのようにガラクタを漁りに来てる連中と鉢合わせする可能性はある。ノンレスの大人たちは、社会の底辺で長く抑圧されてきた恨みか、たいてい排他的で乱暴だ。それにサシャが女だと判ると、違う意味でも狙われる。


「ちゃんとフードかぶっとけよ。髪が見えないようにな」


「うん、分かってる」


「女だってバレたらえらいことになるからな」


「分かってるって」


 遺伝子の関係でノンレスは男の方が多い。つまり今のこの世界では、女性は貴重な存在だ。女性と見るや襲いかかってくるような奴もいるらしい。しっかり対策しとくに越したことはない。


 このビルには前にも1回来たことがある。中層階にあるエアーロビーから下に降りて行くとショッピングモールになっていて、いろいろなお店が並んでる。かつては俺たちなんて近寄ることもできないハイソな場所だったんだろうが、今は薄暗く、ひっそりと静まりかえっている。たいていの店は略奪に遭って高価な物は残っていないが、衣類やちょっとした日用品なんかはたくさん残ってる。


 ロビーから上層階はマンションになってて、こちらはまんま住人たちの墓場になってる。部屋の中にはいろいろな品物が残ってるだろうが、墓荒らしのようなことはしたくない。


「この上でレスポンダの人達は眠ってるのね」


「ああ、永遠にな」


「目覚めない朝が来るって、分からなかったのかしら」


「そりゃ、分からなかったんだろうな。最初はただの病気だって言ってたしな」


 目覚めない朝は突然やって来た。いつものようにガンマ睡眠で眠っていて、ある日突然、電流を切っても覚醒しなくなる。文字通り目覚めない朝だ。いったんこうなるともうどんな治療をしても意識は戻らない。そう、ガンマ睡眠には致命的な副作用があったわけだが、それが判った時にはもう遅かった。既に人類の脳には毒性物質が蓄積し、脳細胞を蝕んでいた。


「みんなどんどん目覚めなくなっちゃったもんね」


「だよな。施設の職員さんもあっという間に減って、最後は誰も来なくなって、あん時は焦ったよな」


「周りの友達もみんな寝たままになっちゃった」


「そうだな……」


 目覚めない朝が来て人は次々眠ったままになった。もちろん眠ったままでは生きて行けない。最初のうちは点滴やチューブなんかで命をつなぐこともできたが、すぐに病院のベッドはあふれてしまい、医療関係者も眠ったままになり、誰も延命なんてできなくなった。


「すぐにガンマ睡眠止めれば良かったのに」


「いや、一度ガンマ睡眠を始めてしまうと脳が依存しちまって、もう絶対に自然には寝られなくなるんだ」


 結局、人類に残された選択肢は、不眠にもだえ苦しみながら衰弱死するか、ベッドで眠り込んだまま餓死するか、そのどちらかしかなかった。わずか数年で世界は崩壊した。核戦争でも気候変動でもなく、生命科学という名の魔法に依存し過ぎ、自滅したのだ。



☆☆☆



 物音に気をつけながら非常階段を下りて行く。このフロアにはアパレル系のお店が並んでいたようだ。お洒落な服を着たマネキンたちが暗がりにジッとたたずんでいる。何だか不気味だ。手汗でぬるつくレーザーガンを握り直す。自分のビビリようが恥ずかしくなる。


「ああっ! あれ可愛い!」


 突然サシャが叫んで駆け出したので心臓が止まりそうになる。


「おおいサシャ、でかい声出すなよ。どこかに誰か潜んでるかもしれないんだぞ」


「だって、このパーカー可愛いんだもん……あっ! こっちの長Tも可愛い!」


 聞いてくれない。ティーン向けのブランドショップなんだろう。彼女は目の色を変えて商品を漁りだした。やれやれ……お年頃の女子だからな、仕方ないか。俺は店の外に出て周囲を警戒しておく。


 小一時間もして店から出てきた彼女の両手にはパンパンになった紙袋が握られていた。


「お前、そんなに荷物抱えて、誰かに襲われたらどうすんだよ」


「そんなの兄ちゃんが何とかしてくれるでしょ?」


「お前は守れても、お前の荷物までは守れんぞ」


「ダメよ。この荷物は私の命よりも大事よ」


「馬鹿なこと言ってんなよ」


 さらに降りたフロアには雑貨屋さんが並ぶ。その一角に中古雑貨の店があり、ここが俺のお目当てだ。


 身の回りの物、特に家電品はアンティーク物に限る。最近の製品はネットに接続しないと作動しないし、ネットなんてもうこの世に存在しない。さらにごちゃごちゃ付加機能が多いから壊れやすい。その点、アンティーク物はシンプルで壊れにくいし、多少ソーラー電圧が変動しても問題なく使える。俺たちの部屋の家電品が旧式の物ばかりなのは貧乏なせいだけじゃない。


 俺があれこれ物色してる間、さっきとは逆にサシャが周囲を警戒してくれてる。お、旧式のヘアドライヤーがあった。それに、これはヘアアイロンか。あいつは寝ぐせがひどいから役に立つな。壊れてるっぽいが、これぐらいなら直るだろう。持って帰ろう。


 ん? これは何だ? 機械式の時計?


 店の奥、陳列ケースに入った一品が目に留まった。ピンクの丸い置き時計……前世紀のものだろうか? ゼンマイ式の時計だ。しかも頭に大きな金属製のベルが付いている。このベル、何に使うんだろ? 


 これ、ひょっとして……


 ニンマリ笑いがこみ上げてくる。これはサシャにぴったりだ。俺はハンドバーナーでガラスを焼き切り、時計を取り上げて、バックパックに丁寧に収めた。今日一番のお宝だ。


 他のいろいろなジャンク品は布袋に放り込む。両手にいっぱいの荷物になった。サシャのことを笑ってられないな。



☆☆☆



 しかし店から出た所で俺は固まった。ひげ面の大男が2人、サシャにレーザーガンを突きつけていたのだ。


 しまった……油断してた。


「やっぱりな。娘がこんな所に1人でつっ立ってるはずがねえと思ったよ」


「おおっと、兄ちゃん、動いちゃいけねえ。この子の頭に穴が空くぜ」


 俺にも銃が向けられた。ガラも頭も良くなさそうなオッサンたちだ。前に遭遇した奴らとも違う。どこから現れたんだろう。


「このビルは俺たちのシマだ。ここの品物に手を付ける時にゃ、相応の対価を支払ってもらわねえとな」


 こういう場合、時間をかければかけるほど向こうに有利になる。先手必勝だ。しかし……俺の両手にはガラクタの入った布袋、レーザーガンは腰のホルスターだ。すぐには発射できない。くっ、最悪のパターンだ。


 しかしその時、


「ねえ、オジさんたち、お願い。私を連れて行って。助けて欲しいの」


 サシャが意外なことを言い出した。


「ほう、お嬢ちゃん、どういうことだ?」


 男たちの顔からニヤニヤ笑いが消えた。


「私、その男に拉致られて、連れ回されてたの。それに毎晩ひどいことされて……」


 サシャはそう言って声を詰まらせた。


「なるほど……そうかそうか。お嬢ちゃんは美人だからな。ありがちな話だ」


「お嬢ちゃん、もう安心しな。俺たちの住処に連れて行ってやろう。高級マンションの一室だぜ。展望風呂にジャクジーもある」


 男たちの顔にニヤニヤ笑いが戻った。しかしその笑いは先ほどとは違う色を帯びていた。彼らの視線が自分の胸やお尻に向けられてることに気付いているのかいないのか、サシャは


「良かったあ! ありがとうオジさん」


 嬉しそうな声をあげ、荷物を放り出して男に抱きついた。


「うっほっほ! お嬢ちゃん、よっぽどひどい目に遭ってたんだな。今晩からは俺たちが可愛がってやるぜ」


「兄ちゃん、そういうことだ。この子は俺たちが引き取らせて……」


 その時、サシャがこちらにウインクした。合図だ。


「うぎゃあああっ!」


 突然、男の悲鳴が廃墟に響き渡った。


 見ると尻の辺りにサバイバルナイフがぐっさり突き立っている。サシャ、グッジョブ! 彼女は物も言わず駆け出した。


「このガキ、何しやがる! 騙しやがっ……うわあっ!」


 もう一方の男には、俺が放り投げたジャンク袋がヒットした。男のレーザーガンは空を撃った。旧式のレーザーガンはチャージに5秒はかかる。俺は落ち着いて男の脚を撃ち抜いた。追って来られなくなるだけでいい。殺すことはない。


「ぐわあああああっ!」


 男の絶叫を後に、俺もサシャを追って非常階段を駆け上がった。


 可哀想に、ホバーバイクのシートで彼女は震えていた。


「大丈夫か?」


「うん、大丈夫。兄ちゃんは、ケガない?」


「ああ、大丈夫だ。危険な目に遭わせてごめんよ。前にも似たようなことがあったのにな。すっかり油断してた」


「ううん。私もぼーっとしてたから。ああ、でもなあ……」


「どうしたんだ?」


「あのパーカー、可愛かったのにな」


「置いてきちゃったのか?」


「そうなの。袋の中に入れてたから」


「ああ……俺も袋に入れてた物はぶん投げちゃったからなあ」


 その時、バックパックに入れた時計のことを思い出した。


「でもな、1つだけバックパックにお宝があるんだ。後でお前にやるよ」


「えっ!? そうなの? やったあ!」


「大変な思いをして収穫なしはゴメンだからな」


 俺は彼女にサムアップして見せた。



☆☆☆



「ごちそうさま。さあ、そろそろお宝開封の時間だ」


「待ってました! パチパチパチ」


 夕食後、俺はバックパックを持って来て、サシャの目の前で、うやうやしくピンクの置き時計を取り出した。


「えっ! 何これ、可愛いじゃん! 時計?」


「ああ、そうだ。アンティークの置き時計だ。動かし方はだな……ここをこうやって」


 ゼンマイを巻き上げる。カリカリっという音と手応えが心地よい。しっかり巻かれたゼンマイは機能を回復し、秒針がカッチカッチ時を刻み始めた。


「動いた! すごい!」


「当たり前だ」


 と言いつつ、ちょっとホッとした。動かなかったらどうしようかと思ってたんだ。


「その頭に付いてるベルみたいなのは何?」


「これだよ、これ。ただのアンティーク時計じゃないんだぞ。見てろ、この小さい針を動かしてだな……」


『ジリリリリリリリリ!』


 唐突に大きな音が鳴り響いた。


「うわっ!」


「きゃっ、何!?」


 びっくりして落としそうになりながらも、あちこち触ってどうにか音を止める。


「……ふう。やっぱりな、間違いない」


「何がやっぱりなの?」


「これはだな、この小さい針を朝起きたい時刻にセットしておいてだな、短針がここに来たら鳴り出すんだ。『目覚まし時計』ってんだ」


「すごおい。アラームみたいになってるんだね」


 サシャは目を丸くしている。


「昔々、人類がまだガンマ睡眠を知らなかった頃、サシャみたいな寝ぼすけは、こういう目覚まし時計で朝起きてたらしい」


「ああ、そうなんだ……」


「これでもう、俺が大声で起こさなくっても大丈夫だろ」


「……」


 何だ? 急にうつむいてしまったぞ。


「兄ちゃん……」


「何だ?」


「兄ちゃん、生意気言ってごめん。私ね、兄ちゃんに起こされるの、本当は嫌じゃないの」


「え? だけど今朝だってお前、大声で起こすの止めてくれって言ってたじゃん」


「うん……寝起きは機嫌悪いからそんなこと言ったけど、私のこと心配してくれてるの分かってるし、本当は嬉しいの」


「何だ。本気で嫌がってるのかと思ってた」


「うん、でもね。私、この時計使う。大事に使う。でもこれで起きられなかったら、兄ちゃんが起こしてね」


「ああ、もちろんだ。お前は放っといたら昼まで寝てるからな」


「うふふ、私、この時計の音ぐらいじゃ起きないわよ」


 そう言ってテーブルに時計を置いた。会話が途切れ、しばらくカチカチいう音だけが周囲に響く。


「兄ちゃん、あのね……」


「ん? 何だ?」


 大きな瞳でジッと見つめられると、妹ながらドキドキする。


「実は、私もね、バックパックにお宝を1つだけ入れて来たの」


「えっ、そうだったのか」


「うん。本当はね、そのうちサプライズで兄ちゃんに渡そうって思ってたんだけど……今、持ってくるね」


 そして彼女のバックパックから出てきたのは木製の小箱だった。


「これ何だ? これも服屋にあったのか?」


「うん、子供服のコーナーに飾ってあったの。非売品って書いてあったんだけど、関係ないもんね」


 ふたに可愛いウサギの絵が彫ってある。小物入れか何かかな? ただ、どうも俺には似合いそうにないアイテムだ。


「これを俺にくれるのか?」


「うん。兄ちゃんの役に立つかなと思って」


「え? これがどうやって役に立つんだ?」


「ちょっとふたを開けてみて」


「こうか?」


 蝶番を微かにきしませながらふたが開く。その途端、小箱の中から可愛らしい金属音が鳴り出した。それはどこかで聞いたことのあるメロディーを奏でていた。


「これは……子守歌か」


「そう。子守歌のオルゴール。兄ちゃんにぴったりでしょ」


 確かに、優しい音色のリピートを聴いていると、心の底が深くなったような落ち着きを感じる。


「ありがとう、サシャ。いいよこれ。聴いてるとちょっと眠くなってくる」


「でしょ? うふふ」


 俺は幼い頃から不眠症だったらしい。施設でもお昼寝の時間には職員さんが子守唄を歌ってくれた。ノンレスの上に不眠症で眠れない子供だなんて、本当に厄介な子だったと思う。でも今やそんな俺たちだけが生き残ってる。皮肉な話だ。


 オルゴールの音を聴いてるうちに、何だか寂しい気分になってきた。


 俺たちこれからどうなるんだろう。人類はみな死んでしまった。オルゴールがフェードアウトするように、生き残ったノンレス達も、互いに攻撃し合って消えて行くんだろうか。


 その時だった。サシャが赤い顔をして言った。


「あのね、兄ちゃん……私、思ってるの」


「ん? 何だ?」


「このオルゴールね……あのね……私たち2人の子供がなかなか寝ない時にも使ったらいいなって」


 は? 俺たち2人の子供? どういうこと?


「えと、あの、先にシャワーして寝るね! 今日はもう疲れてるから。おやすみ!」


 唖然とする俺を置いて、彼女はパタパタと走り去ってしまった。


 オルゴールが、ゆっくりゆっくりになりながら、まだ子守唄を奏でている。しかしもうおやすみどころじゃない。俺の心臓は早鐘のように打っている。


 さっきのは何だ?


 告られたのか?


 プロポーズだったのか?


 サシャは俺のことを……?


 俺たち兄妹だけど、血はつながってないし……そりゃ、俺だってサシャのことは大好きだ。うん、愛してる。間違いなく、愛してる。


「……アダムとイヴか」


 つぶやいてみて、自分で猛烈に照れる。頬がカッカする。


 その時、とうとうオルゴールが止まった。


 眠れ。禁断のリンゴを食べ過ぎた人類よ、安らかに眠れ。不眠症のアダムは今夜も寝られそうにない。ってか、今夜こそもう全く寝られないかもしれない。


 沈黙したオルゴールの横で、ピンクの目覚ましがカチカチ時を刻んでいる。後であいつの枕元、いや耳元に置いといてやろう。何せこの世界のイヴ様は超・朝寝坊だからな。


 前世紀の遺物よ。こんな2人だけど、どうか新しい人類の誕生を見守っていてくれ。


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