閑話 私の選択
妹エリス視点です。
お兄様は私にとって、優しくて強くてカッコイイ最高の男性。将来結婚するならお兄様以外考えられないくらい、私はお兄様のことが大好きだった。
普段優しく微笑んでいるお顔も、一心不乱に剣を振っている凛々しいお顔も、お父様にコテンパンにやられてこっそり泣いているお顔も、全部全部大好き。
家を出る前、お嫁さんになってあげると言ったのは冗談でもなんでもなく、本気の本気だった。お兄様には軽く流されてしまったけれど、いつかきっと振り向かせる。そう思って、お母様の辛いレッスンにもずっと耐えていた。
そんな日々を過ごしていたある日のこと。それはお兄様が家を出て大体二年くらい経った日のことだった。
早朝というにはまだ早い時間帯、私はリビングから聞こえてくる野太い声に叩き起こされ、階下へと降りた。
漏れ出る明かりをこっそり覗くと、そこにはテーブルに着いたお父様とお母様。それからお父様のご友人のデイズ・グレイシス様が慌てた様子で話し込んでいる。
微かに聞こえてくる声に耳を傾けてみると、お兄様が瀕死の状態で石像になってしまったという。
「お兄様が死ぬかもしれない」
そう聞いた瞬間、私の心臓は一度止まった。
息がうまく吸い込めず、パクパクと口だけが動き、目の前がどんどん暗くなってくる。
何が何やら、詳しいところはさっぱり分からなかったが、どうやら誰かを庇ってそうなったということだけは何となく聞き取ることができた。
私はそんなカッコイイお兄様を頭の中で思い浮かべ、優しく撫でてくれる温かい手を想像する。しだいに息が整い、落ち着いてきた私は、再び明かりを覗き込む。
話を聞き終えたお父様が茫然自失となり、フラフラとした足取りで玄関を出ていった。呆気に取られていたお母様とデイズ様もやがて回復し、お父様を追いかけて行くのが見えたので、私も思わず追いかける。
「お父様・・・」
先ほどの話とはまるで違う、支離滅裂なことを語りだしたお父様は、歪んだ笑顔でこちらを見てきた。私たちが何も答えられないでいると、お父様は再び歩き出し、道端の小石に躓く。
「あっ!」
私が声を上げたときにはお母様がお父様を抱きとめており、二人はそのまましばらく話し込むのだった。
すると唐突にお父様が勢いよく立ち上がって宣言。
「俺がお前たちの英雄になる!!」
なぜだかそれを聞いたとき、私は安心して少しだけ泣いてしまった。
――リビングのテーブル。
お母様は、そこへ全員が座るのを待ってから話し出す。
「カイルとデイズは知っているだろうけれど、私はこのガレーリア王国の王女として生まれ育った」
「えっ!?」
なんとお母様はこの国のお姫様だったらしい。全然知らなかった。あれ? っていうことは私もある意味お姫様なのかしら? でもでも、すでにお父様と結婚してお家を出てしまったわけだから、私はやっぱりただのカーティス家の息女ということになるのかもしれない。
はぁ~でもお兄様は王子様のようにカッコイイお方だから、全然おかしくない。むしろ、しっくりきすぎて私のほうがおかしくなりそう。
そんなことをあれこれ考えていると、お母様は突然真剣な顔を私に向けてきた。
「エリー。あなたにはのちほど話さなければならないことがあります。それまでは静かに聞いていてちょうだい」
「はい」
はしたなく驚きの声を上げてしまったのが良くなかったのかしら。静かに、いい子にするのよエリス! お兄様にふさわしい立派な淑女を目指すのだから!!
そう自分に言い聞かせて、黙ってお母様のお話に耳を傾けた。
「これは、本来王族しか知り得ないこと。だから決して他言しないで」
お母様と目を合わせて、私たちは無言で頷く。
「王家には代々、特殊な魔法薬を作製するためのレシピ、すなわち “ 禁書 ” と呼ばれる書物が受け継がれていたわ。元々は、王族の血筋を後世に残すために作られた数々の魔法薬、その作り方を記した本だったのだけれど。国が大きく成長した今、それらをいつまでも秘匿すべきではないと考えた王家は、これを開示して広く一般的なものとした。でも、実は一つだけ。唯一、王家が隠した秘薬が存在するの。それが万能薬【エリクシール】。どんな傷をも一瞬で治すことができる奇跡の薬よ」
まるでおとぎ話でも聞かされているような心地だった。とても信じられないお話だけれど、お母様が言うならきっと本当の話なのだろう。なんとなく確信があった。
「ただ、これを作製するには特別な素材が必要になる。そこが問題よ」
「大丈夫。俺とエーファならできる」
「ええ。私もそう信じているわ」
「で、その素材っていうのは?」
「一つはすでにあなたが持っているわ。“ ドラゴンの魔石 ”よ」
「ふむ。ようやくあれが役に立つのか」
「残るは三つ。“ 月光花の雫 ”、“ 獣王の眼球 ”、“ そらのおとしもの ”」
「ちょっと待った。最後のはなんだ? 俺も聞いたことがない素材だ」
「ごめんなさい。実は、私もこれだけは分からないの。ただ、おそらく北の最果てにヒントがあるはずよ。私の勘だけれど・・・」
「ま、まあとりあえず、二つを先に確保するとしよう」
「そうね。“ 月光花の雫 ” は南の最果て、満月の光を存分に浴びた世界樹が、月が真っ黒な影に隠れたほんのひと時だけ咲かせる花、月光花の蜜。“ 獣王の眼球 ” はウラノス西部のザビルス樹海、その奥地に潜む強大な魔物、獣王ライオネルの眼球。どちらもおとぎ話に出てくる、本当に実在するのかも不明確な素材。でも、私は信じているわ」
「ああ。俺も信じる。絶対ジェフリーを助けられるはずだ!」
話をまとめる二人に、デイズ様が一言。
「ところでカイル、エーファ様。エリス嬢はどうするんだ?」
「ええ。そのことなのだけれど・・・」
お母様は先ほどの真剣な眼差しを私に向けて言った。
「エリー。あなたはデイズのもとへ預けます。そこで淑女としての教育を受けるのです。最近こっそり練習している魔法の勉強についても、私の知り合いに頼んでおきますから安心なさい。私たちの旅はあまりにも危険すぎて、あなたを連れていくことはできません。何年も会えないかもしれない、旅の途中で命を落とす可能性だってある。それでも、私たちを信じて待っていて欲しいの」
私はお母様の言葉を一つ一つ噛み締めながら、こぼれ落ちそうになる涙を必死で抑えた。何となく予想はしていたのに、言葉で聞いてしまうとどうにもこたえる。
でも、ここで私が気持ちを吐き出したら、二人に余計な心配をかけてしまう。それだけは嫌だった。二人には全力でお兄様を迎えに行ってほしかった。
だから私は、涙がこぼれないように無理矢理目を細めたまま、強引に口の端を持ち上げて笑顔を作った。
「はい。お待ちしていますっ!」
きっと大丈夫。お父様とお母様が絶対にお兄様を救ってくれる。そう信じて、私は待つことを選んだのだ。




