エピローグ
予定どおり、前回の投稿から1週間で投稿することができました。
このエピローグで「第1章 光一くんの初体験はプライスレス」はひとまずの完結となります。
時間があればプロローグから読んで頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。
7月1日。
月曜日。
午後8時40分過ぎ。
お風呂に入り後は寝るだけとなった光一は、リビングにL字型に並べられたソファーのちょうど角の場所に座りテレビを見ていた。
「光一。ボーナスは出たか?」
シャワーを浴び終え、冷えた缶ビールを右手に持った父親がリビングへと入ってきた。
「出たよ。でも、まだ1年目だから思ってたよりも少なかったかな」
「そうか。だけど継続は力なりだからな。冬のボーナスには期待して良いと思うぞ」
缶ビールを開けながら、L字型に並べられたソファーに座る光一の左斜め前に父親は腰を下ろした。
「大学受験に失敗した光一がまさかその年に就職して、こうやってボーナス談義ができるようになるなんて思ってなかったな」
父親はビールを一口飲んで「ふぅー」と深く息を吐いた。
「俺もそう思うよ。こうやって公務員になって働くことになるなんて、あの時は全く想像してなかったよ」
そう言うと、光一は視界に入っているものから、3度目の大学受験を失敗したあの時の記憶へと意識を移した。
「公務員になった光一は、いずれ星野家の稼ぎ頭になるだろうからな。今からでも光一に対する態度を改めておく必要性があるな」
「まだまだ稼ぎ頭には程遠いんだから、そんなプレッシャーをかけないでよ」
マジな目をしながら冗談を言う父親に、光一は苦笑しながら反論した。
「ははは。しかし、息子が働き始めるというのは感慨深いものだな……」
そう言うと再び父親はビールを一口飲んだ。リビングに穏やかな時間が流れていた。
それからしばらくも経たないうちに、光一と父親が眺めていたテレビの画面はニュースへと変わった。
「こんばんは。この時間はエリアのニュースをお伝えします」
クールビズスタイルの若い男性アナウンサーが原稿を読み始めた。
「今年6月。夫である二宮洋平さんを保険金目的で殺害し死体を遺棄したとして逮捕された二宮紫帆とその知人である石橋健吾を、今日、佐賀地方検察庁は殺人と死体遺棄の罪で佐賀地方裁判所に起訴しました。この事件は――」
ここで、テレビの画面は佐賀地方裁判所の全景へと変わった。
(あの2人は起訴されたんだ。さて、どうなるのかな……)
「光一? どうした、ボーっとして?」
テレビの画面を見ながら感慨に耽っていた光一に父親が尋ねた。
「いや、別になんでも無いよ」
「そうか。しかし保険金目的で自分の夫を殺すなんてひどい女がいるもんだな」
守秘義務がある以上、自分がこの事件に関わったんだよ、なんてことを言えるわけがないから光一は適当に誤魔化そうとした。
「確かにね。まさか自然消滅した関係の方を取る――」
だけど、それがかえって裏目に出てしまった。
「ん? 自然消滅?」
「あ……いや、べ、別に妻が夫を殺すのは関係が壊れてる時だろうし、妻に他の男がいても――」
「はは。聞かなかったことにするよ」
口を突いて出てきた言葉を父親に聞かれ、さらに焦りからドツボに嵌まっていく光一に優しい笑みを浮かべながらフォローを入れた父親は、それ以上のことについて尋ねることは無かった。
全てのニュースを読み終えた男性アナウンサーが、テレビの画面が切り替わったタイミングで、
「それでは明日の九州地方の天気です。まず気象衛星の――」
画面に映し出される雲の様子を説明し始めた時のことだった。
「兄さん? 何をしているの?」
「み、美紗!?」
光一に話しかけながら美紗がリビングへと入ってきた。
「そんなに驚かなくても良いんじゃない?」
「あ、いや、別に驚いたというわけじゃ……」
その格好を見た光一は即座に視線を逸らした。ピンク色のTシャツと淡い黄緑色の短パンという薄着は、美紗が自分へ好意を寄せているということを知っている光一にとっては、刺激が強過ぎるからだった。
「そういう美紗はな、な、何をしに……」
視線をテレビの方へ向けながら光一は美紗に尋ねた。
「勉強の息抜きにジュースを飲もうと思って来ただけだよ」
そう言うと、美紗は光一の隣に少し距離を空けて座った。
「兄さんこそ、そんなに焦ってどうしたの?」
そっぽを向いている光一からすると、今の美紗がどんな表情をしているかは分からない。だけど、声色から察するに美紗は笑っているようだった。
「べ、別に、ああ、焦ってるとかは無いけど……」
「受験勉強はどんな調子だ?」
フェードアウトする光一の声に被せるように父親が尋ねた。
「問題無いよ。先生からは、今の成績なら十分に射程圏内だって言われてるし、油断しなければ大丈夫じゃないかな」
「そうか。そういう話なら大丈夫そうだな。頑張れよ」
「うん。ありがとう」
美紗との会話が一区切りついたところで、父親は再び光一の方を向いた。
「これは今までの人生で実感したことなんだが、人生には色々と選択肢があって、そのたびにどちらが良いのか選択肢そのものを調べたり、周りにアドバイスを求めたりすると思うけど、最終的に決めるのは自分自身なんだよな。そう考えると、紗英もそうだけど、美紗も光一も置かれている状況で頑張っているから、父さんはとても嬉しいよ。人生は何があるか分からないけれど、これからも2人には飛び込んだ先で努力を積んでいってほしいと父さんは考えているよ。まぁ、どうしても合わない時は状況を変えても良いけど、その分だけ苦労するということは覚えておいてほしい」
そう言うと、父親は缶ビールをぐっと飲み干してから大きく息を吐いた。
「話し過ぎだな。父さんは酔っているようだから寝るな。2人とも、おやすみ」
「うん。おやすみ」
「おやすみなさい」
光一と美紗の言葉を背に受けながら、空き缶を片手に父親はリビングから出ていった。
「ところで兄さん?」
父親が部屋を出てしばらくした後、最初に口を開いたのは美紗の方だった。何を話して良いのか分からない光一としては、そろそろ沈黙に耐えられなくなっていたから助かったと思ったその反面、どういう話が来るのか分からずヒヤヒヤもしていたわけで、その胸中は複雑だった。
「ど、どうしたの?」
光一の言葉が震えているのを無視して美紗は話を続けた。
「期末テストがあったんだけどさ、かなり成績が良かったんだよね」
「良かったって、順位が良かったってこと?」
「うん。まさかの7位――」
「7位!? へ、へぇ、す、すごいじゃん!」
自分が取ったことがない成績を美紗が取ったことに驚きつつ、何を言われるのか分からない光一は、もう逃げ場がないはずのソファーの端にその身を寄せた。
「でしょ。頑張ったって思うでしょ?」
「うん。すごい頑張ったって思うよ」
「そんな頑張った妹にはご褒美をあげても良いって思わない?」
そう言うと、美紗は微妙に距離を詰めた。
「そ、そそそ、そうだね。た、確かにご褒美――」
「わたしね、オーシャンワールドに行きたいんだ。できれば兄さんの奢りで行きたいなー」
「え、は、え、ちょ――」
「来週の土曜に2人で行けるようにしておいてね。それじゃ、おやすみなさい」
ウィンクを飛ばした美紗は、光一の反応を待つことなくリビングを出て行ってしまった。
その後ろ姿を光一は呆然と眺めることしかできなかった。
「来週の土曜か……」
いつの間にか、テレビの画面は9時から始まった全国のニュースへと変わっていた。
「ご褒美なんて言われたら断り切れないよな……」
自分が断ることができない状況を作り出した美紗の軍師ぶりに舌を巻きつつ、
「どうしたものかなぁ……」
テレビに映るアナウンサーを眺めながら、勝算の無い「星野美紗軍」との戦いをどう進めるか、光一は必死になって考えることしかできなかった。
前書きでも書きましたが、第1章はこれでおしまいとなります。
終わるまでに54話もかかりましたが、ここまで続けることができたのは、協力してくれた方々や、このお話を読んでくださった方々のおかげです。本当にありがとうございました。
感想やブックマーク、評価や「いいね」をしていただければとても励みになります。
第2章はある程度書き溜めてから投稿したいと思いますので、もしよろしければ今後ともよろしくお願いします。