事件のその後について語ります
前回の投稿から2週間もかかってしまい、本当に申し訳ありません。
時間があればプロローグから読んで頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。
6月10日。
月曜日。
午前10時半。
突然掛かってきた電話に功人が応対し始めてから、既に15分が経過していた。
「……それで次はどのような質問でしょうか?」
電話の相手は、功人が話す言葉の端々から察するに九州管区警察局の副局長のようだった。
防犯部で作成した報告書は、調査の依頼元である各県警本部長へ送られる前に、功人とその上司である副局長、そして局長による決裁を受けることになっていて、この決裁が全て終了した段階で、今のように副局長から功人へ電話による連絡が来ることになっている。その電話連絡は、ほとんどのケースでは2分にも満たないのだけれど、今回は話し始めてから既に15分を経過していた。
「118号の報告書に記載した死体遺棄事件の被疑者2名の人定の件ですが――」
口調に出さないように努めてはいるものの、副局長の質問に答える功人の表情は辟易しているようなものになっていた。
「1人は防犯カメラの映像から二宮紫帆と判明していますが、もう1人はおそらく119号で報告した殺人未遂事件の被害者である石橋健吾です……どうして分かったか説明しますと、殺人未遂事件の被害者である石橋健吾が殺人事件の自供をしているということを119号の報告書に記載しましたが、118号で報告した死体遺棄事件についても自供をしているという報告を佐賀県警から内々に聞いています……はい……そうですね、まだ福岡県警と佐賀県警が合同捜査をしている最中ですので公にはできませんが、間違いないと思います……そうですね……それで他にはありませんでしょうか? ……はい、分かりました……」
功人の表情に「温かみ」が戻ったのが分かった。
「それでは、118号と119号の報告書については局長の決裁まで終了したということで、各県警の本部長に送付させていただきます……はい、それでは失礼します」
やっと終わった、と言わんばかりの疲れ切った笑顔を見せながら、功人は手にした受話器をそっと置いた。
「お疲れ様でした」
「ははは、これは部長の仕事だから仕方がない」
様子を窺うように声をかけた貴格に、苦笑しながら功人が答えた。
「いつもよりもだいぶ長かったですが、やはり、別々の事件に関与している思念が同一の被疑者から発生しているからでしょうか?」
考えるような仕草をしながら、彩子が功人に尋ねた。
「そうだと思う。118号事件が発生したのは5月21日で、119号事件が発生したのは5月30日。期間が空いている2つの事件の背後に同一の被疑者を由来とする思念が存在するなんて、局長も副局長も想像していなかったはずだ」
軽く頷きながら、功人は苦笑して見せた。
「そういえば――」
功人の話が終わったタイミングで、貴格が口を開いた。
「118号事件の2人の被疑者はどのようになるのでしょうか?」
「118号事件の今後か。そうだな……」
そう言うと、功人は革張りの椅子へその身を委ねた後、貴格の方を向いて答え始めた。
「本来であれば、118号事件は、筑後川に被害者を投げ込んで亡くなったとしても構わないという『未必の故意』が認定されるかどうかがポイントになると思うが、防犯部が作成した報告書があるから、福岡県警の本部長は『未必の故意』を積極的に認定しないよう根回しをすると思う」
とここで功人は何かを思い出したような表情を見せた。
「そういえば、被疑者側の弁護士が色々と動いているということや、被疑者2人とも被害者を筑後川に投げ込んだ事実について精一杯の謝罪をしているという話を福岡県警の本部長から聞いている。それを踏まえれば118号事件は、示談の成立を以って起訴猶予、釈放になると思う」
「なるほど。その話のように118号事件が落ち着けば良いですね」
そう言い終わると、貴格はホッとしたような表情をして見せた。
「119号事件についてはどう思われますか?」
功人が118号事件に関する見解を話し終えたタイミングで光一が尋ねた。自分が書いた報告書で事件がどうなっていくのか気になったからだった。
「手持ちの情報が少ないから、これはわたしの想像になるが――」
功人は、椅子にその身を沈めながら、両手を組んで自分の見解を話し始めた。
「石橋健吾が二宮洋平に対する殺人と死体遺棄事件について自白と言っても過言ではないほどの内容を話し始めたのは、共犯関係にあった二宮紫帆が自分を殺そうとしたことへの報復だと考えることができる。もし、この仮定が正しいならば、石橋健吾は二宮紫帆を許すつもりは無いだろうから、118号事件のようにはならない可能性が高いかもしれない」
「しかし、そうなると119号事件の報告書はどうなるでしょうか?」
ここで光一はすかさず尋ねた。貴格が作成した報告書は、思念の影響を受けていた118号事件の被疑者2人をフォローしているのに、自分が作成した報告書は119号事件に関して全く無意味なものになるのでは、と考えたからだった。
「星野君が作成した報告書が無駄になることはない」
光一の胸中を慮ったのか、功人は笑顔を見せながらすかさず答えた。
「確かに防犯部への調査は『被疑者が思念の影響を受けているかどうか』という内容であるから、我々が作成した報告書の内容次第で被疑者の今後が決まることは多い。しかし、報告書は我々の本業の副産物であって、我々が本来すべき仕事は、事件の本質を見抜くことにある。だから、ここに無駄という二文字は存在しない。だから、星野君にはこれからもここの仕事に邁進していってほしい」
「なるほど。はい! 頑張ります!」
功人の力強い言葉に、光一は笑顔で答えた。
「ところで、光一君。今回の仕事はどうだった?」
功人と光一の話が終わったところで彩子が尋ねた。
「どうだったと言いますと?」
「だって、今回の調査で古賀さんや夏奈ちゃんと一緒にした事件の捜査というのは、本来のわたしたちの仕事とは違うものなのよ」
「確かに春日さんの言うとおりです。船着き場の調査の時、僕の判断ミスで思念を消去せざるを得ない状況になってしまったのを覚えていますか? 光一さんに思念を消去してもらったおかげで難を逃れることができましたが、その結果として部長の命で118号事件の真相を掴むことになりました。ですが、これは防犯部の仕事の範囲を逸脱しているものなので、僕としては光一さんには苦労をかけさせたと思っています」
彩子の説明に乗っかった形で説明をした貴格が、申し訳なさそうな表情で心境を吐露した。
「そうですか? 俺はそうは思っていませんよ」
光一は貴格の言葉を笑顔で否定した。
「鑑識活動を目の当たりにしたことや、捜査会議に参加したことは俺にとって初めての経験の連続だったので、とても価値があったと思っています」
「なるほど。光一さんは前向きですね」
自分の懸念が杞憂に終わったことにホッとしたようで、貴格が笑顔で頷いた。
「良い表情をしていますね」
その隣の席にいる冬美も笑顔で頷いていた。
「それにさ、光一君は夏奈たちにはできない経験をたくさんしたよね?」
「貴重な経験ですか?」
夏奈が口にした「経験」の真意を理解できなかった光一が尋ね返した。
「悪魔が実体化したことだよ! 夏奈はナベリウスに会ったことは無いんだもん」
「確かにそうね。わたしもフルカスに会ったことは無いわ」
「僕もです。アンドロマリウスに一度は会ってみたいですね」
「自分は確かアスタロトでしたね。怠惰な王子という話を聞きましたが会ったことが無いのでどんな姿をしているのか興味があります」
「ねぇ、光一君! どうやったら会えるのか、グラーシャ=ラボラスに聞いてくれない?」
「えっ!? お、俺がですか?」
「だって、光一君しかいないんだもん!」
にじり寄るように光一との距離を詰めてくる夏奈。
「そ、そそそんなことを言われてもですね……」
パニックになりかける光一と周りの視線を気にしない夏奈に、他の4人は温かな視線を送るのだった。
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それからおよそ2年後。
二宮洋平にかかる保険金目的の殺人・死体遺棄事件の被告人として起訴された石橋健吾に対して、福岡地方裁判所は裁判員裁判の結果として次のような判決を下した。
「主文。被告人石橋健吾を懲役19年に処す。ただし、未決勾留日数615日を刑期から差し引く」
また同事件に追加して、石橋健吾に対する殺人未遂事件の被告人として追起訴された二宮紫帆に対して、福岡地方裁判所は裁判員裁判の結果として次のような判決を下した。
「主文。被告人二宮紫帆を懲役18年に処す。ただし、未決勾留日数615日を刑期から差し引く」
この判決に2人は刑が重すぎるとして控訴したが、福岡高等裁判所は棄却の判断を下した。2人はそれを不服としてさらに上告をしたけれど、最高裁判所は認めなかった。その結果、2人に対する一審の判決が確定することとなった。
それではこれから、警察の捜査と裁判の記録を基に、二宮洋平にかかる保険金目的の殺人・死体遺棄事件と119号事件の流れを明らかにしていこう。
二宮紫帆と石橋健吾の関係性について。
2人は同じ高校に通っており、同じクラスだった高校2年生の時に交際していたが、3年への進級と同時に石橋健吾が他県の高校へ転校したことがきっかけに自然消滅したということだった。その後、二宮紫帆は3年の時に同じクラスになった二宮洋平から交際を申し込まれたことで、2人は付き合うことになったということだった。
二宮紫帆が石橋健吾と再会したのは事件が発生する前年の10月末のこと。高校2年生の時のクラス会が開かれた時に、石橋健吾が佐賀に戻ってきていることを知ったことで、自然消滅した2人の関係に再度火が付いたということだった。また、二宮夫妻の周囲にいる僅かな人数のみが把握していた情報として、事件発生前年の7月頃から二宮洋平と二宮紫帆の夫婦関係はややギクシャクしており、これが二宮紫帆と石橋健吾の復縁を後押しすることになったようだった。
事件の流れについて。
5月20日の夕方。人目の付かない場所で二宮紫帆の軽乗用車に乗り込んだ石橋健吾は、目撃情報のとおり午後5時過ぎに二宮紫帆が帰宅した後も、軽乗用車の後部座席に身を潜めたまま待機をしていた。
午後6時前に二宮洋平が帰宅すると、二宮紫帆は「仲直り」などという口実を作り家で一緒にお酒を飲む流れを作った後、市販の睡眠薬であるリミナミラールを一緒に飲ませることによって二宮洋平を眠らせた。その後、二宮紫帆の合図を受けた石橋健吾は、軽乗用車から降りて家に入り、二宮洋平を浴槽へ沈めて溺死させた。
午後7時15分頃になると、二宮洋平が着ていた服を着た石橋健吾は、二宮洋平のスマートフォンを手に家を出た後、居酒屋を2軒回り二宮洋平が生きていたと思わせる偽装工作を行った。
午後11時過ぎに自宅を出発した二宮紫帆の送迎で、午後11時半に二宮紫帆の家へ戻ると、石橋健吾は自分が着ていた二宮洋平の服を遺体に着せ直し、持っていた二宮洋平のスマートフォンを服に入れた。そしてその後、深夜1時過ぎに118号事件の舞台となった例の船着き場に死体を持っていき、防犯カメラの映像のとおり死体を遺棄した。
その後、5月30日に二宮洋平の死亡保険金が支払われないことに憤慨した石橋健吾が午後7時半頃に二宮紫帆を尋ね、逆上した二宮紫帆が石橋健吾の首を絞めて殺害しようとした。
以上が、警察の捜査と裁判の記録を基にした事件の流れである。
しかし、あくまでもこれは裁判所が認定した事件の流れであり、防犯部の調査から分かるように、二宮紫帆が二宮洋平を殺害したのが真相である。仮に石橋健吾が二宮洋平を殺害しているのであれば、犯行に及んだ被疑者を由来とする思念は男性の姿をしていなければならない。しかし、防犯部が消去した思念は女性の姿をしており、裁判所が認定した事件の流れとは矛盾するのである。
しかし、裁判所は検察と弁護士が提出した証拠から事実を認定するため、このような齟齬が生じてしまうのは仕方が無いことなのである。
裁判員裁判の争点について。
二宮洋平の殺害と死体遺棄に関する審理で争点となったのは「今回の事件を主導したのはどちらか」ということであった。なぜなら、功人の予想どおり、119号事件の発生をきっかけに2人は敵対する関係となったからである。
「わたしは計画を立ててない! 薬とお酒を一緒に飲ませたらちょっとやそっとじゃ起きなくなるから、その時にお風呂場で溺死させようって石橋が言ったのよ! わたしはその計画に乗っただけなの!」
「俺が主導するわけないじゃないか。夫には元々生命保険をかけてあるから、事故に見せかけて殺して保険金で遊ぼうって言ってきたのは紫帆の方だ!」
このように2人の言い分は真っ向からぶつかった。
そのため、裁判員裁判の前に行われた「公判前整理手続き」では、この争点について重点的に審理を行うことが決定され、両被告の人となりを証言する情状証人が数多く呼ばれることになった。その結果、争点について以下のような判断が下された。
市販の薬を使って人を眠らせる方法を何度も繰り返し検索していたことや、多額の借金を抱えていたという事実を考慮し、裁判所は石橋健吾が事件を主導し殺害したと認定した。ただし、119号事件が発生した時に、二宮洋平の殺害と死体遺棄について自白したことを情状酌量として考慮した。
情状証人の多くが「二宮紫帆は他人に対して従属的な性格をしている」という証言をしていたことを考慮し、裁判所は二宮紫帆は石橋健吾の指示に従って犯行を協力したと認定した。しかし、石橋健吾の計画に乗り事件を止めなかったことについて情状酌量の余地は無いと断罪した。また、119号事件について、石橋健吾が保険金目的で家を訪れて口論になったことについて情状酌量の余地はあると判断されたが、首を絞めて殺害しようとした事実は断罪されることとなった。
118号事件で採取された証拠品に関する鑑定結果について。
118号事件が発生した船着き場で採取された足跡は二宮紫帆と石橋健吾のものであり、2人が二宮洋平の死体を持ちながらスロープを下り、筑後川へ遺棄した後、軽乗用車に戻ったという行動を裏付けるものであった。
縁石から採取された黒色の塗膜片は、二宮紫帆が所有していた軽乗用車の塗膜片と色調や材質が一致したため、防犯カメラに映っていたことを裏付けるものになった。
最後に、今回の事件に関わった人について。
福岡県警と佐賀県警の合同捜査本部は、事件を解決へ導いたことを評価され、警察庁長官より賞誉が贈られた。
大川中央署刑事第一課の課員のうち、山中巡査部長と後藤巡査部長には、福岡県警察本部長より事件解決功労に対して賞誉が贈られた。
本庄南署刑事第一課の課員のうち、二宮紫帆と石橋健吾の取り調べを行った警察官には、佐賀県警察本部長より事件解決功労に対して賞誉が贈られた。
なお、刑事一課長を除く事件に携わった鑑識課員等について、特に功労の寄与が大きいと判断された警察官については各所属の所属長による表彰を行われた。また、各署刑事一課長に対する表彰はされなかったものの、評価を上げるように防犯部の功人が各県警の本部長に対して上申が行われた。
そしてただ1人、大川中央署刑事第一課に所属する山野警部補は、先入観を持つ人物は事件捜査に適さないという人事評価を下されたことにより捜査から外され、その年度末の人事異動により刑事第一課から同署地域課へ異動するという結末を迎えたのだった。
以上が今回の事件に関する全ての顛末である。
次回の投稿である「エピローグ」で、この「光一くんの初体験はプライスレス」は終わりとなります。
とりあえず、次の投稿は1週間から10日を目途に考えています。
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