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手前

天井を眺めていた。小さな虫が蛍光灯へ向かって必死に体をぶつけている様子が何となく気になった。光に必死に向かっているが、到達する事はない。それは希望ではなく、単なる熱なのだ。最後は体を焦がし、その屍は部屋に転がる。


 自分に似ているかも、とネイサンは思った。

 人のためになると思って、かけた何気ない一言が、却って怒りを買ってしまった。

 自分が、羽虫に重なった。自分は人の怒りをかき立てる何かに向かって必死にぶつかっていただけなのか。


 ネイサンは熱に焼かれて、四肢が動かない。

 熱は脳を焼いて、病を克服し、健康になった体を蝕み、体の自由を奪った。

 人の怒りや中傷はこうして人を蝕んで行くのだと思った。


 階下で、姉さんが何かを数人の誰かと話していた。怒鳴り声をあげて。

 最近の姉さんは怖い。人が変わったようだ。

 ネイサンには笑顔を向けてくれるが、憂いが奥に見えた。

 いつも遊びに来てくれるエスメラルダもそうだった。もう、あの頃は戻って来ない。


 ネイサンは人の死や、怪我をする様が見えた。現実の映像に紛れて、それは突然現れる。ネイサンにとっては全てが現実のものとして映る。人が死んだり、怪我をしたりするのを見るのは辛い。我慢ができない。これは回避できる問題なのだ。質問より先に答えが見えるのに。

 誰も信用しなかった。ネイサンが全てを仕組んだ事になるのだ。未知への恐怖に対処するには、既存の見識を集め、最適な答えを出さなければならない。

 人々は恐怖に対する答えとして、ネイサンを畏怖するようになった。


 彼はこの悪夢のような魔法を解きたかった。

 だが、ネイサンに難病治療の薬を投与した、医療薬品工場は早々に撤退していた。


「何度も言ってるだろ、あんたらが街を歩いてると、皆が怖がるんだよ。無料とは言ってないだろ。金は街中でかき集めるから、それもって、どこかへ引っ越してくれればいいんだ」


 野太い、静かな声で姉に誰かが告げた。


「馬鹿な事、言うな! 突然、そんな事言われて了承できない! 帰ってよ!」

「あんたの弟に、うちの父が殺された。池の氷が固まって無い場所に誘い込まれて、落ちて凍死した」

 ガラガラ声の女性が抗議した。


「釣り竿や道具一式持って、勝手に池に行ったんだろ! 弟は関係ない」

「あんたの弟が、父に池に落ちて死ぬって言ったのを聞いた人がいるんだよ!」

「ウチの犬もだ」

 声の高い男が言う。

「旦那が雪で滑った所を車にひかれて大怪我したんだ」

 またしても高い声の女。少し、しゃがれている。高い声にも細かい種類があるものだと、冷静に考えていた。


 あらゆる種類の声が、姉一人に向かって投げつけられている。ネイサンはベッドから身を起こし、階下へ向かった。必死の形相の姉が振り返った。目が合った。手を何度も上へあげる仕草で戻るように告げられた。


「皆が、摘み出せと言っているのを、せめてお金を集めて、新しい土地で不自由しないように最後の面倒を見てあげようと、エスメラルダの義父が皆を説得して回ってくれたんだ、感謝がほしいよ。それを、お前等は。しぶといんじゃないか?」


 姉の怒りは更に増した。今日は長引きそうだ。

 エスメラルダの義父さんが、そんな事を言ったのか。ネイサンはベッドに戻った。

 小さい頃から仲良くしていたので、彼の人柄はわかる。良い人だ。最早、周囲を止める事ができなくなったのだろう。


 出ていくのは良いが、最後にエスメラルダに会いたいと思った。

 エスメラルダが頬に手を差し伸べてくれると、安心した。

 三人の中で背が一番小さい彼女をいつも、見上げているしかできなかった自分には彼女がとても大きく見えた。病を克服し、自立できた時、彼女の背が思いの外小さい事に、改めて気付く。なんとなく、今度は自分が彼女を守るのだ、と考えていた。


 突如、辺りから音が消えた。

 また、未来の風景が見えているのか。うんざりした。音まで未来の現場のものに切り替わる。場所は変わらない。ただ、登場人物と出来事が異なるだけだ。静かなのは、姉と住民の決着がついたということなのだろう。僕はどうなるのだろう、やっぱり、この街を出ないといけないのか。


 階下から、ボキっと太い木の幹が折れるに似た音がした。

 本当に木が折れたのではない。ネイサンの耳に、嫌悪の余韻を微かに残す、鈍い音。

 音が消えた。漸く、未来の映像から解放されたか、とため息をついた。

 ボキボキボキボキボキぶちゅる


「!?」


 さっきの鈍い音と、より強い力でねじ曲げられた何かのアチコチが折れた。何か、粘っこいものが、床にぶつかる音。まだ、未来の映像は続いている。

 ネイサンはベッドから急いで、立ち上がり、階下に降りた。

 姉さんが背を向けて立っていた。ピンク色の光に包まれて、それはウネウネ動いて、床を這い回っていた。そして、床には。


「姉さん!!」


 声が聞こえたのか、聞こえていないのか、彼女は虚ろな目を向けてネイサンにむけてゆっくりと歩いてきた。彼女の体はネイサンの体をすり抜け、部屋の隅に転がる、人間に屈んで何かをした。ネイサンには彼女が何をしているのかが、見えた。

 彼女が何かをつぶやいた。


「あんたら、人を馬鹿にしすぎだよ・・・・・・」


「姉さん!」

 ネイサンは手を伸ばしていた。目の前には、丸い目を向いて驚いている姉と、不審な目を向けている顔見知りの住民達がいた。


「突然、降りてきて叫んで、こんどは自分の姉を殺すつもりなのかい?」


 誰かが叫ぶと、住民はざわつきだした。姉が何か言う前に、ネイサンは二階へと駆け戻っていた。姉は言い争いを始めた。


 動機が止まらなかった。

 姉が人殺しをする。それも、魔法のような不思議な力を使ってだ。

 ネイサンは戸棚に走り出した。左手で必死に探し回った。未来予知は、近い将来に起こる出来事を映す。例外は無かった。早く、止めないと姉が手を血に染めてしまう。戸棚から、何かが固い音を立てて勢いよく落ちた。ネイサンが必死に探していたそれだった。S&WM39。自動拳銃だった。


 ネイサンは拳銃を撃った事がない。病気にかかる前、姉が裏山で缶をいくつか並べ、的に見立てて練習したのを見たことがあった。左手一本と、壁と、顎を使って、入っている弾を確認した。二発。脳が生み出す甘美な思い出が濃い幻影となって、彼の側に広がっていた。エスメラルダ。

 拳銃を階下で一生懸命、口喧嘩をしている姉の頭部に添える。

 照準の付け方は姉に習った。撃った事はない。当時は恐ろしくて仕方なかった。今も恐ろしい。手が震えている。エスメラルダの幻影が姉とネイサンの間に立ちはだかった。彼女は歯を見せて笑いかけていた。彼の一番好きな、彼女の表情だった。


 やがて、ネイサンは覚悟を決めた。

 ごめん、姉さん。僕のせいで、こんな事に。

 さようなら、エスメラルダ。

 

 一発の銃声が耳を抜けていった。

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