9.クロエ家のお仕事
“コンコンコン”
軽やかなノック音が執務室に響く。その音に机の上に置かれていた資料に目を通していたココノアは顔をあげて入室の許可を出す。
「どうぞ、入って」
そう声をかけると重厚感漂う執務室の扉が開いて、自分の傍つきであるキースが姿を見せる。
「只今、戻りました」
そう言って部屋に入ってくるキースにココノアは微笑む。
「お帰りなさい」
そう声をかけたココノアは今まではキースから言われる事が多かった言葉を自分がかけることに気恥ずかしさを感じて目を逸らす。“お帰りなさい”と口にしただけだが目の前の相手が優しく目元を緩めるのがわかる。その姿にココノアは胸の鼓動が早くなったような錯覚さえ覚えるのだ。
「お嬢様もお疲れ様でした」
昔から自分の婚約者兼傍つきだと分かってはいるが年を重ねる毎にドキドキする。こんなにも自分がドキドキしているとは露とも知らないキースが微笑みながら机に近づいてくるのに目一杯の自制心を働かせたココノアはいつも通りを心がける。
「ファイルから貧民街に行ったと聞いたわ。何か問題があったの?」
いつも通りにすまして問いかければその言葉にキースは“ええ”と頷きながら浮かない表情でため息を吐く。
「その件もあってお食事前に来ました。お嬢様もご存知かと思いますがここ数年、春になると地方から王都にやってくる貧民が増えてはいます。しかし、今年はどうも例年以上の流れ込みがあり何の手も打たなければ貧民街で餓死者が出るのではないかとの相談がありましたので確認も含めて行って来ました。貧民街の管理を任せているセディアからも毎年報告は上がっていましたが、今年は予想以上の流れ込みのようですね」
浮かない表情をしたキースから貧民街の報告を聞いたココノアは少し思案する。それから伏せていた目をキースに向けた。
「そう。状況は分かったわ。でも、王都でそれなら地方はもっと危なそうね」
「そうですね」
ココノアが嘆息するのにキースも同意する。少し前から少しずつクーラ国も近隣国との調和を考えながら国民の福祉に力を入れ始めてはいる。だが、制度は出来ても上手くいかないのが世の常。どうしても綻びは出る。ため息を吐き、考えを纏めるをために天井を見上げたココノアはさてどうしたものかと白い指を口元にあてる。
「先王は国民に対してこの国で生まれたからには生存する権利があると仰られていたわ。それに基づけば食べ物を配って餓死者を少なくするのが一番手っ取り早いわね。でも、それは一時しのぎにすぎない。それにこれ以上貧民が王都に増えたら王都の貧民街もパンクするわ。治安も悪くなる……25年前から始まった取り組みだけどこれについては難しいわ。王都に関してはうちの倉を開けてもいいけど、この分だと他の地方は持たない可能性が高い」
「だと私も思います」
ココノアが述べた考えに同意したキースはどうしますか?と目で問いかける。それにココノアが口元を緩める。
「この件に関しては早急には陛下にもご報告した方が良さそうだから、近いうちにお伺いしたいとの旨を伝えてくれる?あとは他の地方の状態も把握しておきたいから報告を早急に上げさせて」
「畏まりました」
その指示に頷いたキースはそれからココノアを改めて頭の先から見下ろす。
「で、お嬢様。その様子ですとまた着替えるのを面倒臭がりましたね」
「うっ……」
キースの指示に難しい話は終わりとばかりに机の上の書類を片付け始めていたココノアは呻く。キースから今までにも何度も皺になるから着替えろと言われているのだ。キースから呆れた視線が向けられているのに唇を尖らせながらココノアは書類をや小物を引き出しにしまっていく。
「別にいいじゃない。減るもんじゃないし」
最後に鍵つきの引き出しの鍵を閉めたココノアは上目遣いにキースを下から覗き込む。その仕草に慣れているキースは淡々と事実を指摘する。
「何を仰られてるんですか、皺になったらどうするおつもりですか?侍女達に余計な仕事を増やさないで下さい。そもそも皺のついた制服は心の乱れに繋がります」
その淡々とした指摘にココノアはプクリと頬を膨らませる。
「はぁ~!意味分かんない!キースの意地悪!小姑!」
「お嬢様が困らないようにとの親心でございます」
「誰が親よ!」
いつもの舌戦を繰り返したココノアはキースを見上げるもその顔に浮かぶ笑みにため息を吐きながら嘆息する。
「分かったわよ。私が悪いわよ」
降参とばかりに肩を竦めて背後の椅子にポスンと背中を預けて白旗を降ればキースは恭しく頭を下げる。
「分かって頂けて嬉しいです。お嬢様は私にとって誰よりも大切な方でございますから」
その言葉と笑顔にココノアは押し黙る。本当に自分の側近は自分の笑顔の使い方を心得すぎだ。
「お嬢様?」
「何でもないわ……」
突然、押し黙った自分を心配してか顔を覗き込んでくるキースにココノアはわざとらしくため息を吐いて立ち上がる。
「夕食前に着替えてくるわ」
「それがよろしいかと」
「はいはい」
その小言を聞きながら、キースと二人で部屋を出る。部屋に鍵をかけてココノアの部屋に向かいながらもキースは穏やかに微笑む。
「ファイルさんから夕食の準備も出来ていると聞いています。着替えが終わりましたらまずは食事にいたしましょう」
「ええ。そうしましょう。お腹がもうペコペコよ」
「では早く着替えて食事にしましょう」
並んで歩いていたキースは“そう言えば”とココノアに話を振る。
「そう言えば、そろそろテストの結果が出る時期では?」
その言葉にココノアはちらっとキースに視線を移し、今日の学園での出来事を口にする。
「知ってるとは思うけど、学園の中間テストで1位だったわ」
「おめでとうございます」
「でも、1問間違えたみたいだから間違った所が分かったら教えて頂戴」
「畏まりました」
学園での1位という成績に対して、そこまでの価値を見いだしていなかったココノアは肩を竦める。
「中間テストで1位をとったことはそこまで嬉しくなかったけど、また第2王子からお前は何者だと騒がれたわ」
王子以外はあまり指摘されないので助かってはいるが“まさか”自分の常識がずれていることを学園に通えば通うほど痛感させられる。
「貴方にクロエ家当主たるものダンスも剣術も馬術も出来て当たり前だと言われて来たことをこなしているだけなのに」
自分はキースに教えられた通りを実践しているに過ぎない。だが一々彼の王子は騒ぎたてるのだ。若干、それが学園での負担になりつつある。浮かない表情でココノアからもたらされる報告にキースは凄まじく“いい笑顔”を浮かべる。
「さようですか。サリアからも聞いています。もし、あの馬鹿王子がお嬢様にとって目障りこの上ないように感じられるようでしたら始末しましょうか?」
「……………………」
“暗殺しましょう”というナチュラルな申し出にココノアは押し黙る。元々、そういう仕事は多いがなぜか学園に通うようになってから繰り返される提案の内容が日に日に物騒さを増していくのは自分の気のせいだろうか。そう思っていると“いい笑顔”を浮かべたキースが更に微笑んでくる。
「何でもあの馬鹿王子がお嬢様に指を突きつけたと聞きましたよ。お嬢様」
「サリア……」
情報の出所を正確に悟ったココノアは眉間に寄った皺を指で伸ばす。そしていい笑顔を向けてくるキースに丁重にお断りする。
「とにかくそんな事で一々、始末してたらこの世はやっていけないから慎んでお断りするわ」
自分の言葉を受けて少し残念そうな空気を漂わせたキースを無視して歩き出せば背後からキースの意気消沈した声が届く。
「そうですか……残念です」
そのいかにも残念そうな言葉にキースが事ある毎に“王子の暗殺をほのめかして”くることに肩を竦めながら再び歩きだす。
「まぁ、それはいいとして……実はそれとは別に学園で出来たお友達からお茶会をしたいというお誘いを頂いてるの。近いうちにうちでやりたいから、都合をつけてくれる?」
そう問いかければキースは“もちろんです”と微笑む。
「当家はお嬢様の女性のお友達でしたらいくらでも歓迎いたしますよ」
その笑みにココノアは自分に突っかかってくる王子がいつか本当に消されるのではないかと本気で心配している中、自称ココノアの保護者は大事なお嬢様に群がる第2王子を悪い虫と見なしていたのだった。
お読み頂きまして、いつもありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。