8.気にいらない存在
「あー、腹が立つ!何なんですか!あの馬鹿王子!」
屋敷への帰宅途中。馬車の中で吐き出される言葉にココノアは向かいに座る護衛兼侍女に目を向けた。その視線を無視してサリアは怒りにうち震えたままに言葉を紡いでいく。
「何が“貴様”ですか!うちの可愛いお嬢様に向かって指を突き付けるだなんて万死に値するわ!あの馬鹿王子!」
学園内での護衛として自分と一緒に入学したサリアはココノアの一番の友達という立場で傍にいる。そのため、学園内に入ってからの王子が起こす問題に人一倍憤慨していたのだ。
たた……その内容は王族に対して決して聞かれてはいけない内容ではあるが。
「一体、あの王子は誰のおかげでああして今も“生存”出来ているとでも思ってるんでしょう!王家を守る影を統率するお嬢様がいるからこそ、あの馬鹿王子は今、この世で息をすることを許されているんですよ!」
今日が特別珍しい訳ではなかったため、ココノアは苦笑するに止める。入学式以降、毎日のように絡まれているのだ。
「女が勉強が出来るのはそんなに嫌なのことかしらね………」
そう口にしてしまうほど、第2王子から絡まれている。そんなココノアとは裏腹に主が学園に通い初めてからの数々の暴言をサリアは冷ややかな笑顔で常に聞き流してはいたが、今日という今日は許せなかった。自分の敬愛し、お仕えする唯一の主である少女のに対してのあの言葉使いを許せる訳がなかった。
「お嬢様、王子を殺害してもよろしいですか?」
主の独白に後押しされたサリアはまるで“散歩はいかがですか?”ぐらいの乗りで提案する。その言葉にココノアは苦笑して、首を振る。
「ありがとう。サリア。貴女の気持ちは嬉しいわ。でも、別に殺す必要はないと思うわよ?」
別に命を狙われている訳でもなく、ただの暴言だ。そう言えばココノアを愛するサリアは“ご安心下さい”と微笑む。
「ご安心下さい。我が家の暗部は優秀です。お嬢様が疑われるような失態などありえませんから」
「別にそこは心配してはないわよ。みんな、優秀だもの。それに……」
どうあっても自分に暴言を吐く王子を許す気のないサリアの言葉を止めながらココノアは薄く暗くなってきた馬車の外に目を移した。
「私を思って怒ってくれるサリアの言葉は嬉しいけれど、私にとって王子はただの言葉を話す物体にしか思えないのよね」
ずっと小さい頃から自分を育ててくれた両親や使用人。そして、学園で出来た友達を自分は人として愛してやまない。だから周りの同級生達と交流する時、ココノアの心は未知の体験に心が震える。同じ年の少女達の甘い砂糖菓子のような言葉。同じ年の少年達が未来に夢を馳せ、語り合う姿は今までクロエ家しか知らなかったココノアにとって刺激的な毎日だ。その姿を見られるだけでも学園に通って良かったなと思うぐらいに。そして、そんな彼らが生きる国を守りたいと改めて、ココノアは思うようになった。
しかし……
サリアが怒る姿からココノアは自分が王子から気分を害してもおかしくないことを言われていると分かってはいるが何も思わないのだ。本当に王子が自分に指を突き付ける姿を見ても何の気持ちもわかないのだ。気味が悪いぐらいにココノアの中に“王子”という存在はなかった。
「私にとって価値を持つのは“王”だけ。私の王じゃない人には興味がないみたいなの。だから、そんなに怒らないでサリア」
そこまで言ってココノアは穏やかに微笑む。
「貴女が代わりに怒ってくれるだけで私は充分よ」
「お嬢様」
「貴女が私のために怒ってくれる姿は嬉しいけれど、私は貴女のそんな顔よりも笑顔が大好きよ」
「お嬢様~!サリアが一生。一生お守りしますからね~!」
ココノアの言葉に感極まったサリアは主に向かって手を伸ばすとむぎゅっと抱きしめた。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
サリアから“お嬢様の事は私が一生お守りします”との心強い言葉をもらったココノアが屋敷についた馬車から降りるとこの屋敷の管理を一手に担う老執事が深々と頭を下げた。
「ファイル、ただいま」
そう答えると老執事が穏やかに微笑む。それに頷くと自分よりも先に馬車を降りて頭を垂れているサリアに言葉をかける。
「サリア、今日もお疲れ様。部屋に帰ってゆっくり休んでちょうだい」
「ありがとうございます。何かございましたらお呼びください」
「ええ、また湯あみの時はお願いするわ」
そう声をかけたサリアが一礼して去っていくのを見送っていると執事が見計らったように言葉をかけてくる。
「お嬢様、学園で何かございましたか?」
その言葉に気だるげな視線を投げかけ、ココノアは肩を竦める。
「いつもの騒ぎよ」
そう言うとココノアは学園の鞄をサリアとは別の侍女に預けてから執事と共に歩きだし、屋敷への階段を昇る。
「また平和の国の王子様が私は何者なのだと騒いでくれたの。そのせいでサリアが今日も凄く怒ったのよ」
自分の機嫌に敏感な相手にそう説明して、肩を竦めると事情を知る執事はゆっくりと頷く。
「さようですか」
「ええ。一々、自分より成績がいいからって突っかかるのさえ止めてくれたら学園生活は平穏無事ってところなんだけど」
1ヶ月前から学園に通いだしたココノアはそう学園の感想をそう述べる。
「周りのクラスメイト達もいい子ばっかりだし、楽しいのに……あの王子様さえ居なければね」
そう言いながら屋敷のエントランスに入ったココノアは恥じらいもなく、“うーん”と伸びをした。その様子に苦笑を漏らしながらも執事は嘆息する。
「お疲れ様です。ですが、お嬢様が楽しく日々お過ごしのようで安心致しました」
「今の話を聞いたら私が苛められてるって普通なら心配しない?」
クーラ国の第2王子という立場の人間から邪険にされているという話をしたのに“楽しそう”と評されたココノアは昔から屋敷に仕えてくれている執事にジト目を向ける。ジト目を向けられた執事は“ほほほ”と笑う。
「嫌がらせをされて寝込むようなお嬢様ではありませんのを私は重々知っておりますよ。我らのお嬢様は逞しくお育ちになりましたからな。軟弱な王子に苛められるだけでお済みになる訳がないと思っておりますが?」
「ひどい!」
学園での愚痴に対してそう返されたココノアは憤慨したように頬を軽く膨らませるも執事の顔を見上げてふふっと噴き出す。
「でも、確かにそうね。私が苛められて泣き寝入りなんて柄じゃないもの」
「そうでしょうとも」
ココノアの顔から気だるげな表情が消えたことに安心しながらも頷いた老執事は今日の屋敷の報告のために口を開く。
「さてそんな学園に通われてお疲れなお嬢様にご報告してもよろしいでしょうか?」
「もちろんよ」
茶目っ気たっぷりの言葉に笑い声を上げてココノアは穏やかに執事を見上げる。すると執事も心得たようにわざとおどけてみせる。
「本日は何事もなく、屋敷への訪問などはありませんでした」
「そう。ありがとう」
執事からの報告にココノアは心の底から嘆息する。
「特に何事もなくて良かったわ」
学園に通い始めると決めたのは後悔していないが、仕事に支障が出ないかクロエ家の当主としての心配もあったのだ。しかし、蓋を開けてみれば屋敷を離れている間にトラブルが起きたことはまだない。学園に通うと我が儘を言ったのは自分だがやはり当主として学園に行っている間の屋敷の事は気になるものだ。何よりクロエ家の当主であるココノアにとっては屋敷の把握も大事な仕事の一つ。1ヶ月の日課となった帰宅時の家の状態を把握して息を吐いたココノアはそこでようやくいつもの見慣れた姿がない事に気づく。
「そう言えばキースの姿が見えないようね」
いつもは迎えに現れるキースの姿がないことに思い至ったココノアはそう言いながらエントランスを見回すもやはり自分の傍つきの姿はない。ココノアの問いかけに老執事は“はい”と頷く。
「キースにつきましては只今、貧民街の方に行っています」
「貧民街?」
ファイルの言葉にココノアは軽く小首を傾げて目を伏せて、考えこむように口元に指をあてる。帰宅後と休みの日に家の仕事は片付けているが貧民街と聞いてすぐに思い出すものはない。
「何か問題でもあった?」
貧民街を管理するのも国の暗部を担うクロエ家の当主の仕事。考えても思いあたることがなかったのでそう聞けば執事は頭を下げる。
「貧民街を任せている者から少し相談したいことがあるとの事で出かけられました」
「そう……」
執事の言葉にココノアは目を伏せて考えると顔をあげる。
「分かった。ありがとう。夕食までは執務室に居るわ。それからキースが戻ったら執務室に来るように伝えてくれるかしら?それ以外にも何かあったら声をかけて頂戴」
「畏まりました」
「お願いね」
自分の言葉を頷きながら聞く執事に指示を伝え終わるとココノアは自分の執務室に向けて階段を登り出して、思い出したように振り返る。
「あ、そうだ。喉が渇いたからお茶と夕食まで持つようなお菓子もお願い出来るかしら?」
そう振り返って頼めば自分の後ろ姿を見送っていた執事が微笑みながら恭しく頭を下げる。
「お嬢様、畏まりました。すぐにご準備致しますので部屋でお待ち下さい」
「ありがとう」
その言葉に微かに首肯するとココノアは学園の制服姿のまま執務室へと歩きだす。その姿は学園で一喜一憂する少女ではなく、国の暗部に根をはり、国を影から支えるクロエ家の当主そのものであった。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。