6.キース・クロエの人生
「では失礼します」
食事を摂るココノアの表情が陰ったのに気づいたキースは一礼して食堂を後にする。今日の報告は別に急ぐものではない。昔から王の処刑人としての役目を果たす少女は朝食の際にもたらされる血生臭い報告を苦手としている。そのため、普段は気をつけているが学園に通うとなるとそうも言ってられなくなる。その事にため息を吐きながらキースは廊下で足を止める。
“私、友達が欲しいわ”
そう半年前の夜に突然そんな事を言い出した主の言葉を思いだしてため息を吐く。少女に対してクロエ家を支えるために必要な知識は湯水のごとく注いだが、少女が望んだ“友達”という存在は自分の中でクロエ家を支えるために必要なものではなかった。もちろん彼女の健全な育成のためにこちらが選んだ存在とは遊ばせた。今、ココノアの侍女を務めるサリアもその一人。しかし、彼女もクロエ家の分家筋の娘であり、ココノアとは強固な主従関係にある。そのためココノアにとってはクロエ家での世界が全てであり、キースにとってもココノアが全てと言っても過言ではない世界で生きてきたのだ。
“私にとってお嬢様は何にもかえられない大事な存在だ”
ため息を一つ追加し、ココノアが学園に向かうまでに報告を纏めて置かなければと再び執務室に向かって歩き出しながらも思い出すのは16年も前のあの日だ。
「キース、おいで」
名を呼ばれて、少女が生まれた部屋に呼ばれた時の事を今でも鮮明に思い出せる。それまでもクロエ家のためにと身を鍛えて、知識を身につけてはいたが自分がこんな栄えある役目に抜擢されるなど思ってもみなかった。だが、クロエ家の公爵夫人が身籠り、跡取りが生まれると聞いてから数日。その子どもの護衛兼教育係に選ばれた。それから幾月かたってつい先日、クロエ家に待望の跡とりが生まれたのだ。いつ会えるのだろうかと心を震わせながら主からの呼び出しを待ったのはあれが最初で最後だろう。
「さ、そんな所にいないでもっとこっちにおいで。この子が君の主だよ」
呼ばれた部屋の中に入ればそこには当代の主とその夫人。緊張のあまり固まった自分に優しく微笑んでくれる主の声と手招きに従って恐る恐る近づいた先に居たのは夫人の腕に抱かれた小さな赤子。
「あなたがこの子の守役なのね」
ベッドに座って赤子を抱く女性が自分の姿に目を細めるのがわかる。そんな二人の視線を受けたキースは凄まじく緊張したまま、また一歩また一歩と近づいた。生まれたばかり赤子は女性の腕の中で眠っていた。
「可愛い……」
その姿を見た途端、キースの心はココノアに奪われた。すやすやと穏やかに眠るこの小さな赤子がこれが自分の主なのだと。その姿を見た瞬間、キースは生まれて来た事を神に感謝したぐらいだ。
「可愛いいだろう」
「はい!」
主の言葉にキースは満面の笑みで返事をした。その様子に満足したクロエ公爵は頷く。
「では約束どおり頼んだよ」
「はい!慎んでお役目を頂戴します」
公爵の言葉にキースは迷うことなく頷く。昔からの慣例でクロエ家には子供が生まれたらクロエ一族の中から傍つきに相応しい子供が選ばれて付けられるという慣わしがあるのだ。それはクロエ家に身を置くものとして、その役目を拝命することは何よりも嬉しいこと。まだ目も見えない赤子を食い入るように眺めているとまだ若き“王の処刑人”が生まれたばかりの娘を見下ろして微笑む。
「ココノアという。キース、頼んだよ」
「はい。私の命にかえても」
その言葉に知らず知らずのうちに膝をついて頭を垂れたのはまだ16年前の出来事。
しかし………
「うちのお嬢様ときたら……」
過去を回顧しながら廊下を歩いていたキースは深いため息を吐く。
「学園に通うだなんて……」
主が学園に通いたいと言い出してまず、自分の頭に過ったのは少女の身の心配だった。屋敷内であれば常に自分が少女の隣に控えており、何かあればこの身を盾にして守ることも出来る。しかし、学園という不特定多数の人間が通うような場所でココノアの身を守れる場所に自分が居れないことから猛反対した。ココノアと6歳も年が離れていた事を悔いたのはこれが初めてだ。年齢の問題から自分は彼女が通いたい学園に通うことは許されず、その身を直接守ることが出来ない。
「お嬢様の身に何かあったら……公爵様に顔向け出来ない」
その事がココノアが学園に通う上での1番の懸念。もちろん、そこらの暴漢に負けるような鍛え方はしていないが、それでも万が一何かあったらと不安になる。何度もその点を訴えに訴えたが少女がその意見を変えることはなかった。そんなキースには懸念事項が実はもう1つあった。
「うちのお嬢様に悪い虫でもついたらどうしたらいいんだ……」
生まれた時からココノアを育て上げたキースには誰よりも確信があった。
“うちのお嬢様が一番器量よしで可愛い”……と。
「万が一、お嬢様に不埒なことをする人間がいたら必ず殺害する」
拳を握ってそう宣言し、キースは頷く。少女が生まれた時から目に入れても痛くないほどに蝶よ花よとココノアが社交界に出ても、家の役目にしても困らないように育てて来た。だからこそ、誰よりも頑なに主張したい。この世で1番可愛いい少女はうちのお嬢様だと。そんな存在がどこの馬の骨ともしれない男にちょっかいをかけられる姿を想像しただけで膓が煮えくり返しそうになる。しかし、少女が学園で恋をしたら潔く身を引く覚悟もしている……しているが!
「絶対にお嬢様に悪い虫がつく前に絶対に消してやる!」
そんなココノアに聞かれたら生暖かい視線を向けられそうなことをキースは本気で心配していた。だから、少女が学園に通うと決めた時にキースも決めたのだ。まかり間違って目に入れても痛くないほどに可愛いココノアに邪な欲望を抱き、勘違いする輩が出たら即座に消すことを。よって、そんな思いで少女を送り出すキースはココノアを前にするとつい心配から小言が増えてしまう。なのでここ最近は必要最低限以外の接触を避けているぐらいだ。そんな自分の涙ぐましい努力を知らない少女は不満気だが、感情をぶつけて少女が傷つくぐらいなら自分の方が傷つく方がいい。
「……という事だ。分かっているな」
深呼吸をして誰もいない空間にそう呟けば“はい”と声が返り、屋敷の影に潜んだ人影が現れる。現れた影もキースの決意を受けて力強く頷く。
「お嬢様の御身は必ずや」
「よし」
その言葉にキースは満足気に頷く。少女が学園に通うと決めたその日からクロエ家内の隠密を総動員して少女の身に危険が及ばないような護衛態勢を築いたキースは更に言葉を重ねる。
「今年は同じ学年に第2王子が入学するが優先されるべきはうちのお嬢様だ。第2王子の護衛なんざ最小限でいい。王子に代わりは居るからな。だからお前達は何があってもお嬢様を優先しろ」
「もちろんです」
キースの指示にクロエ家の暗部を担う小隊長は即座に頷く。キースの言葉がなくともクロエ家に仕える人間達は“お嬢様至上主義者”で構成されている。クロエ家にとっては王家よりも主の健康第一だ。仕えるべき主が健やかに生活している事が何よりも最優先。いくら王子とはいえ、クロエ家の主が同学年にいれば主の身の安全が最優先だ。
「必ずやお嬢様の御身には傷一つお付けしません」
「頼んだぞ」
真顔で何よりも主も身を優先するクロエ家の常識は国家安定よりも主の身の安全に傾いていた。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。