5.ココノア・クロエの人生
「お嬢様、お似合いですね」
その言葉にココノアは鏡の中の自分を見つめる。そして鏡越しに侍女に微笑みかける。
「ありがとう。サリア」
「本当のことですからね」
ココノアの傍で長年、侍女を務めるサリアは主の髪を整えなが胸を張る。今回、侍女ではあるがココノアの護衛として年をごまかして入学することになったサリアも同じ制服を着ているが落ち着きが先立ち、可愛いよりかは大人びた印象が強いのだ。
「そう言ってもらえて嬉しい。何よりこの制服、やっぱり可愛いわ」
鏡台の前に座り、髪を整えてもらっていたココノアは制服に視線を落とす。予想以上に可愛いらしいこの制服をココノアはいたく気に入っていた。この1週間は暇さえあれば着ては皆に見せびらかしていたぐらいに。一回転すればふわりと舞うプリーツスカートは黒いが光沢があり、赤茶色の上着と相まって可愛い。赤いタイを首元でリボンのように結べば自分はどこから見ても学園の一生徒だ。その事に満足して目を細めたココノアは視線を鏡に戻し自分に嘆息する。制服に身を包み、鏡に映る少女は何も知らない無垢な少女にも見える。
“実際には違うけど……”
鏡にうつる自分は何も知らない無垢な少女であっても自分はこの国の暗部を担う家の主だ。無垢な少女の姿を借りて、この国のためならば躊躇いもなく人を殺す人形だ。どこからともなく浮かんだ考えに自嘲したココノアは目を閉じた。自分は生まれた時から両親と周りの皆に愛されて生きてきた。クロエ家の役割を知りながらも皆が幸せならココノアも幸せだった。
だが……それが儚くも崩れたのは5年前。それから自分は……。
深く沈みそうになった考えを振り払うようにココノアはいつも微笑む。
「サリア、まだかかる?」
「もうちょっとお待ち下さい」
「そう。よろしくね」
ニコニコと自分の髪を整えるサリアが同意するのにぎこちなく頷きながらココノアは自分が嫌になる。じっと鏡を眺める自分の姿をみたサリアが何を感じたのか分からないが鏡越し肩に手をかけて微笑む。
「お嬢様はお嬢様ですよ。さ、楽しみましょう」
その言葉にココノアは今度こそ、心からの笑みを浮かべる。
「そうね。我が儘言ったんだから楽しまなくちゃね」
「その粋です。私は片付けをしますのでお嬢様は朝ご飯を食べて来て下さい」
「ありがとう。行ってくるわ」
自分の支度のために広げた道具を片付けながら自分に声をかけるサリアの言葉に肩から力が抜けるのを感じながらココノアは立ち上がる。
「サリア、ありがとう!」
「いいえ」
自分の言葉にわざとらしく肩を竦めるサリアに笑いながらココノアは部屋を後にした。その姿を見送ったサリアはココノアの姿が見えなくなったのを確認して、目を伏せる。
「お嬢様があんな風に笑うのは辛いわ」
昔は陰のある笑みを浮かべることのなかった少女にサリアは深いため息を吐いた。
「おはよう!今日もいい朝ね!」
そんなサリアの杞憂も知らず、部屋を出たココノアは家に仕えてくれる使用人の一人とすれ違い様に気軽に声をかける。
「おはようございます。お嬢様」
その姿を見た他の使用人もココノアの姿に笑みを顔に浮かべて気軽に頭を下げる。クロエ家では昔から主人と使用人の距離が近い。それはココノアが生まれる前から変わらない。クロエ家の使用人達は表向きの役職とは別の何かしら役目も担っている。今、すれ違ったハウスメイドも暗器を手にすれば王族の命を守る影となる。それはクーラー国内における様々な役目を担うクロエ家ならではの特徴だろう。王家の護衛から諜報に、各地方都市の治安維持もクロエ家の大事な仕事だ。そして、そんな主と使用人達の近い距離の関係をココノアは愛していた。毎朝の習慣にココノアも大きな声でそれに返事を返す。
「ええ、おはよう!」
家に仕えてくれる使用人でありながら、大切な家族でもある彼らと言葉を交わしつつ、ココノアは食堂に急ぐ。足早に階段を降りれば食堂の扉が見える。
「おはよう!」
いつも通りにわざと大きな声を上げて扉を開ければ予想通り。先に来ていたキースの背中が見える。
「おはようございます」
キースの隣に立つ自分の姿に気づいた執事が穏やかに笑いながら頭を下げるの。それに微笑みで応じながらもこちらに背を向けて、家を取り仕切る執事と何かしらの打ち合わせをしている相手にココノアは嘆息する。
「キース、おはよう」
名指しで声をかければようやく相手が自分を振り返る。
「……おはようございます。お嬢様」
「おはよう、キース」
“低血圧なの?”と言いたくなるような低い声を出しながらこちらを見る相手に肩を竦めながらココノアは自分の席に近づく。彼が不機嫌なのはあの日以来ずっとなので気にしていたら自分の負けだ。キースの反応を無視して椅子に近づけば、近くにいた使用人がよって来て椅子を引いてくれる。
「どうぞ」
「ありがとう」
椅子を引いてくれた使用人に礼を言って席に腰を下ろしたココノアに傍に控えていた別の使用人が待ってましたと言わんばかりに用意していた朝食を机に置く。
「美味しそうね」
「今日はお嬢様の好きな卵を使ったスープでございます」
「嬉しい。料理長に御礼を伝えておいてくれる?」
「かしこまりました」
給士係の使用人に御礼を言付けてカトラリーを手に取る。ココノアが食事をし始めればそれに合わせて用意されていた焼きたてのパンやサラダが机に揃えられていく。その食事に舌鼓をうちながらココノアが口に運んでいるとようやく打ち合わせが終わったらしいキースが執事と分かれて近づいてくる。
「失礼します。お嬢様」
「話しは終わったの?」
キースの声に顔を上げれば無表情で自分を見下ろす相手と目が合う。今日もあまり機嫌はよろしくないらしい。
「今日の屋敷の打ち合わせも終わりました」
「そう……後で聞くわ」
淡々と告げられる言葉にいつも通りの言葉を返しながらもココノアはこっそりとため息を吐く。実はこの瞬間がココノアは昔から苦手だった。どれだけ美味しいものを食べていてもに今まで食べていた食事が一気に色褪せてしまうのだ。生まれてから父が亡くなるまでも1人で摂る食事がなかった訳ではない。ただ、父を亡くしてからは常に1人。そして“王の処刑人”となった今では毎朝、血なまぐさい報告を聞きながらの食事になるのだ。昨夜の仕事内容を思い出しつつも、げんなりしたココノアは好物のトマトにフォークを刺しながらキースを見上げる。
「急ぎの件?」
「いえ、お食事が終わりましたらご報告します」
「分かったわ…」
「では」
それだけの会話を交わすとキースはココノアに一礼してから場を後にする。その姿を目で追いながら、ココノアは嘆息する。ココノア・クロエとして生を受けたことを後悔したことはない。
ただ……
ココノア・クロエの人生は常に王家の闇とともにあった。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。