6. 悲しい片思い
「サリア、今日は図書館に寄っていくわ」
授業が終わり、後は帰るだけとなった教室で帰り支度を整えたココノアは席を立つと自分の様子を伺っていたサリアに声をかける。
「ご一緒しますわ」
ココノアの言葉を受けてサリアは自分の席を立つと連れ立って歩き出す。廊下に出て、図書館に繋がる道を歩き出すとサリアは横を歩く少女に目を移す。
「今日は早く帰らなくてよろしいのですか?」
そう問いかければ学園ではいつもは穏やかな笑顔を崩さないココノアが頬を膨らませる。
「いいの!少しぐらい心配させるの」
誰にとは言わないがそう言えばサリアがクスクスと笑い出す。
「それはそれはキースも慌てるでしょうね」
「…慌ててくれるといいけど」
サリアのからかいにココノアは寂しげに目を伏せる。昨夜、久しぶりにキースと大喧嘩した。学園の友達から巷で有名な“野バラの姫と剣の王子”の歌劇に誘われたので見に行きたいと口にした。するとキースが厳しい表情で首を振ったのだ。
“駄目です”
その言葉に“どうして?”と返せばお嬢様の身に何かあったら心配だと言うのだ。何でもかんでも“心配“で止められたらせっかく学園に通ったのに何も出来なくなってしまう。
“心配なら貴方がついて来てくれれば問題ないわ”
それが嫌で学園の生徒だけでは駄目だと言うなら貴方が観に連れて行ってくれたらいいのにと呟いたココノアにキースは呆れた表情を向けて来たのだ。
“ただでさえもお嬢様が学園に通われている間のお仕事を補助するので大変ですのに我が儘を言わないで下さい”
そう呆れ返ったと言わんばかりの表情で言われて、ココノアの堪忍袋が弾けとんだのだ。
“キースの分からずや!”
そう叫んだ後は仕事以外に口を利かないという無言の抗議中だ。今朝も冷戦状態のまま、学園に出て来た。沈んだ表情を晒すココノアにサリアは嘆息する。
「キースも頭が堅いですからね。お嬢様が何を望んでいるのか分からなかったんでしょうね」
そう口にしながらもサリアはため息を吐く。幼い頃からココノアの傍にいたサリアは少女の初恋の相手もその相手が婚約者であることも知っている。
「お嬢様はキースとデートしたかったんですよね」
少女がきちんと婚約者に恋をして恋人としての過程を歩みたいと思っているのに対して、キースは少女の婚約者が自分であることに迷いを持っている。だからすれ違うのだろう。しかし、サリアはキースがココノアに対してみせる過保護さは溺愛の証拠と言える。
“お嬢様”
普段は敬称でしか少女を呼ばない癖に1人になると“ノア”と少女に自分だけが許された愛称で呼んでいるし、きっと今朝の少女の態度に傷ついているだろうから今日も殺人的なスケジュールを抜け出して少女の気に入りの茶菓子を買いに走っているに違いない。
“不器用すぎる”
青年の少し気持ち悪い愛情の示し方にサリアは遠い目をしながらも少女に微笑みかける。
「大丈夫ですよ。キースもお嬢様のことが大好きですから。今は難しいかもしれませんが、そのうちお二人で遠乗りでも行って来てください」
そう慰めればココノアが浮かない表情でため息を吐く。恋する少女の気持ちは複雑なのだ。
「そうね。ありがとう、サリア」
その言葉に込められた切なさにサリアは胸が痛くなる。
「ま、そういう事でしたら今日は閉館ギリギリまでお楽しみ下さい。さ、キースに思う存分心配させてやりましょう」
見えてきた図書館を前にサリアは“にやり”と笑いながら少女の背を軽く押した。
今日も窓から黄金色の光が差し込む。その光を背にアルフはリリアに向かって厳しい表情を見せた。
「いい加減諦めたらどうだ?」
そう言葉にすれば少女が寂しげに微笑むのが分かる。それに苛立つ気持ちを押さえながらアルフは吐き捨てる。
「いくら待ってもあの方は来ないぞ」
「………アルフ様」
耳に届いた声にアルフは唇を噛み締める。少女が今日、初めて自分の前で口にしたのは自分の名前。その甘く優しい声音にアルフは自分の胸がざわつくのに苦々しい思いを抱く。
「そんな風にすがってもあの方はお前を見やしないぞ」
彼女を傷つけたくないと思っていながらも口から零れるのは鋭い言葉。自分の言葉にリリアが寂しげに微笑むと口を開く。
「ありがとうございます。アルフ様。分かっております。男爵の娘である私があの方の傍にはずっといられない事は」
「なら!」
「ずっと傍にはいられなくても私はあの方の心に寄り添いたいのです」
声を荒げたアルフにリリアは優しく微笑む。
「アルフ様、あの方は知らないのです。人に無条件で思われ、愛されることがどんなに幸せで………代えがたいものなのか」
そう口にすれば目の前のアルフが顔を歪めるのが分かる。
「好きにしろ!」
怒ったように身を翻すアルフを目で追いながらも、ため息を吐いてリリアは窓の外をみやる。そこには別の女性と戯れる彼の姿が目に入る。そこに図書館を後にしたアルフが合流するのを眺めてリリアは目を細める。
“思いが届かないのは知っています”
彼が自分をただの火遊びだ思っている事はリリアにも想像はついている。
しかし………
『君といると楽でいい』
いつもの王子然とした彼が目元を緩めてそう呟くのだけは信じている。常に周りから見られている彼はそれが何なのかも分かっていないだろう。
「私、1人ぐらいあの方の木漏れ日でいたいわ」
彼に何も求めず、ただ傍にいる。そんな関係でありたいと願うのは傲慢なのかもしれない。
「これは私の悲しい片思いね」
そう呟いて、苦笑すると彼が図書館前から去るのを待つ間の暇つぶしに再び本を開いたリリアは再び黄金色の光が遮られたのに気づいて顔を上げる。
「あら、貴女は?」
リリアが顔を上げた先に居たのは黒髪に紫色の瞳をした1人の少女。少女は自分の問いかけに柔らかく微笑むと椅子を引く。
「お忙しい所に申し訳ありません。先輩。私もご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか?」
そう問いかけはするものの既に座ろうとしている見知らぬ少女にリリアは“ええ”と微笑む。
「もちろんよ」
「ありがとうございます」
リリアの返答にココノアは席に座るとそっと窓の外に視線を移す。そこにはリリアが見た光景と同じものが映り込む。
“第1王子”
視界に入った男の姿にココノアは剣呑に目を細める。今日はギリギリまで図書館に籠るつもりでいたココノアは人気があまりない書棚の前で読む本を物色していた。その時に聞こえて来たのが目の前の少女と第1王子の側近として名高いアルフ・ユドルのやり取りだ。それもあって何事かと気になって、近づいてしまったのだ。カモフラージュに本を開きながら窓から外を見ていると目の前の少女から声がかかる。
「あの……」
「はい」
言い淀むようなの言葉にココノアは窓から視線を少女に移す。見上げると少女がたじろいだように瞳を揺らすのが分かる。暫く待っていると少女が意を決したように口を開く。
「貴女のお名前はなんと言うのかしら?」
その問いかけに口元を緩めたココノアは優しく微笑む。
「私はココノア・クロエと申します。先輩」
胸元についたバッチによって自分よりも上の学年だと判断したココノアはそう口にした。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。




