30.クロエ家の常識
「キース、どうする?屋敷にいるメンバーは先に始末しておくか?」
横を走る相手にマルクス・クロエはそう問いかける。夜の帳が降りきる黄昏時は人の姿が一番霞む。その問いかけに基本的なクロエ家の実働部隊を担う面々と変わらぬ速度で走っていたキースは嘆息する。
「そうですね………お嬢様を救出している間に屋敷の制圧も済ませて頂ければその後の仕事は楽になりますね」
かなりの速度で走っているのに息すら切らさず、キースはそう結論づける。よくココノアからは“貴方は人間の皮を被ってるの?”と聞かれるが大事な主を守るためなら自分は“人間”すら辞められる。そんな“ココノア至上主義”のキースにマルクスは更に打ち合わせを重ねていく。
「了解。なら、掃除は必要あるか?」
“掃除”
それはクロエ家では目撃者を皆殺しという意味の隠語だ。マルクスの問いかけにキースは“ええ”と頷く。
「お嬢様の姿を目にしたならず者達は掃除で結構です。貧民達は速やかに連れ出し、クロエ家の領地に連れ帰って下さい………ああ、申し訳ありませんがスミス・チャドイックには手をかけずにしておいて下さい」
「分かった」
「よろしくお願いします」
幾度かのやり取りで今後の方針を決めると更にスピードを上げて行く。道なき道であろうともそこに“主”がいればクロエ家の“影”はどこにだって現れる。
“お嬢様……”
目的地に向かって走りながらもキースの胸を焦燥が締め付ける。昼前に屋敷に届いた一報はキースを酷く驚かせたもの。
「お嬢様が……?」
最初は意味が分からずに口を開けたが、目の前で膝をつくのは確かにココノアの影の護衛を務める一人だった。
「はい。最初は様子を伺っておられるだけでしたが、王子達がならず者達に斬りかかろうとしたのに気づいて……」
「第2王子など代わりがいるんです。お嬢様の命が最優先でしょう」
何の疑問を抱くことなく、そう発すれば報告した男の横にいたマルクスが苦笑しながらこちらを見てくる。
「キース、お前なぁ。ま、俺も同意見だが、お嬢様の決断だろ?お前らは悪くないからそのまま引き続き護衛でついてろ。ただ、お嬢様の身が危なくなったらお嬢様がなんと言おうと御身をお守りしろ」
「畏まりました」
「行け」
「はっ!」
その指示に伝令が下がって行くのを見ながらキースはマルクスを見る。
「お嬢様の御身はこれで大丈夫だろ。だから、そんなに人を射殺すような目でみないでくれるか」
「そうですね……」
マルクスの指摘に殺気をかきけしたキースは嘆息して考える。この家の者は国ではなく主に忠誠を誓う。だから王家というだけでは忠誠を誓うには当たらないのだ。むしろ主の身を守るためなら切り捨てても何ら罪悪感は抱かない。
「ま、予想外ちゃあ予想外だが。そこまで慌てることはないだろう」
「確かに。どうせ、今日。始末する予定でしたし」
そう言って、キースは仕事のためにかけていた眼鏡を外す。
「精鋭を見繕って下さい。お嬢様の救出と同時に掃除します」
「だな。出発は黄昏時か?」
「あまり姿を見られたくありませんし、それで大丈夫でしょう。ならず者達の中にはうちの手の者も入り込んでいるのでお嬢様の身に何かあるとは考えにくい」
そこまで言葉にしてキースはため息を吐く。
「それにしてもうちのお嬢様の情け深さには呆れます」
別に容赦なく人を見捨てろとはキースは言わない。お嬢様が家族のように自分達を思ってくれているのは好ましいと思う。
「ただ、命をかけるに値しない人間のために命を捨てるのは馬鹿のすることです」
キースもこれが少女の“王”だったなら何も言わなかっただろう。しかし、助けたのはまだ“王”になると決まった訳でもない王子。
“これで勘違いでもしようものなら消すか……”
そう決めたキースはマルクスに微笑む。
「さ、我々は我々の仕事をしましょう」
その柔らかな笑みとは裏腹にその下に隠した刃の鋭さを知るマルクスは肩を竦める。
「そうだな。では後で」
「はい」
大切なお嬢様は目に余る馬鹿を見捨てられなかっただけなのだからと自分に言い聞かせたキースは仕事の時刻までいつも通りに仕事を再開した。
「見えた」
誰の声か分からないが、目標の屋敷が視界に入った者の呟きにキースはローブの下で口元を緩めた。そのまま息の揃った動きで一気に郊外にひっそりと立つ屋敷に肉薄する。悪事に手を染める人間は何か後ろめたさを感じることが多いのか街から離れた場所を選択する。先に潜入していた面々から屋敷についての見取り図は聞いている。目的の人物が屋敷に入ったのも確認済み。
“行け”
マルクスが手を振るとそれぞれの役目を理解した人間が散会していく。それを見送り、屋敷の裏口に潜んだマルクスとキースと幾名かは無造作に扉をあけた。そこで屋敷の下働きの人間がこちらの姿には気づかずに料理を作っているのに肉薄して、意識を奪う。
「さぁ、行きましょうか」
何も知らない人間には手を下さずに意識を奪ったキースはニヤリと笑った。
「出せ!」
“ガン”とリオンが牢屋の鉄格子を蹴りつける音を耳にしてもココノアは最早注意するのを諦めていた。静かにしていれば“迎え”が来ると説明しても“なぜ、そう言える”とこちらの言葉に耳を貸さなかったリオンはあれからも牢屋の鉄格子を殴ったり、声をあげたりと忙しい。その様子にはサリアも呆れ顔を向けているが自分の側から離れる様子はない。ヨーゼルもじたばたしても意味がないと分かっているのか微動だにしない。その様子に嘆息していたココノアは“ふっ”と自分に触れた違和感に目を閉じる。
「お嬢様」
「ええ」
同じように違和感を感じたサリアの声にココノアは目を閉じたまま、微笑む。
「来たわ」
そう言って目を開ければ、牢屋の前に膝をつく自分の“剣”の姿がある。その姿にココノアは座っていたベッドから立ち上がる。
「待っていたわ。キース」
「お待たせ致しました。お嬢様」
鉄格子越しにココノアのかけた声にキースは恭しく頭を下げた。
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