20. 一度、壊れたら簡単には戻らないもの
「急に取引を中止するだなんて、我が家を潰すつもりか!」
その言葉にクーラ国でも比較的貧しい土地に領地を持つベナルド家の応接室内には怒鳴り声が響き渡る。その声に長くベナルド家に仕えてきた執事は無言で向かいあう両者を観察する。突然の取引中止の報に顔を真っ赤にして怒鳴り散らす40代半ばの男性が自分の主だ。興奮気味に怒鳴る主とは裏腹に深く帽子を被った男は冷静にその怒鳴り声に口元を緩める余裕させあった。
「それでは我が国としても反論させて頂きたい。いきなり我が国へ輸出する予定であった羊毛に高額の関税をかけられたことによって我が国が輸入する予定だった量が大幅に減ったんです。別の国から安い羊毛が手に入る状況で我が国エンクロージャがなぜわざわざ高い金を払ってクーラ国から買わないとならないんです」
「ぐっ……」
「むしろ私の方が損害賠償を頂きたいぐらいなのを取引の中止だけで済ませようとしているのを感謝して頂きたいぐらいだ」
その上から目線の言葉にギリギリとベナルド家領主ラポール・ベナルドは歯を噛み締めた。しかし、ここで下手に噛みついて賠償金を請求されても敵わないのでラポールは押し黙る。悔しげに自分を見つめる相手に帽子を被った男は勝ち誇ったように笑った。
「くそっ!」
エンクロージャ国の商人が屋敷から去り、執務室に戻ったラポールは苛立ちを隠しもせず、机を叩く。エンクロージャ国に輸出するつもりで作っていた羊毛に最早価値はない。国内では羊毛よりも麦の方が価値がある。
「ちっ……」
舌打ちして“ドサリ”と椅子に腰を下ろしたラポールは静かに自分の背後についていた初老の家令に八つ当たり気味に口を開く。
「こうなれば仕方ない、スミス。農民達は戻って来ているのか?」
「申し訳ありません……旦那様。ご命令通りに帰還命令は出しておりますがあまり状況は芳しくなく……」
親子二代に渡って、ベナルド家の主に仕えたスミス・チャドイックは頭を下げる。その言葉にまたラポールの顔が興奮に赤くなる。
「この無能が‼」
「申し訳ありません……」
「どいつもこいつも役にたたんな!」
そう言いながらも羊毛の輸出によって、入ってくるはずだった収入を補うことが先決だとラポールは思考を巡らせる。常に他領と比べて貧しいのは必要以上に水捌けの良い土地で、農作物の栽培が上手くいかないのがベナルド家の昔からの悩みだ。そんな貧しさに喘いでいたラポールの元にエンクロージャ国から商人がやって来たのた二年ほど前。エンクロージャ国で羊毛が高く売れると聞いて、初めは半信半疑に。一昨年と昨年の数字を見て、悪くない商売だと転換を考えていた頃、急に王家からエンクロージャ国への羊毛の輸出に対しての関税処置。そして穀物の作付け量を増やすようにという方針が下され。麦を作るのならば人手が必要なので、些細な理由で土地を奪った農民達に不問にしてやるから戻って来いという触れを出したが戻ったのは追い出したうちのたった1割。行く宛もない浮浪化したやつらの行き場所などしれていると高を括っていたが彼らは帰って来ないのだ。悪いこと重なるもので羊を飼うために畑を放牧地に変えたせいか、再び畑に戻すにはかなりの労力と時間がかかるとの報告が上がってくるのだ。そのため領内は今、人手不足の極みにあるのだ。あまりの帰還率の低さに衝撃もあったが識字率の低い農民達には“触れ”として出した告知の文字が分からなかったのかと領内の様々な場所で口頭での告知をしているにも関わらず、農民達は一向に帰って来ない。
「私がこんなにも譲歩してやっているのに……」
些細な理由で農地を奪われた農民達が驚愕の目を向けてきそうなことを呟く。その言葉にベルナド家に親子二代に渡って仕えている初老のスミスは無言で目を伏せる。そんなスミスの仕草に気づかないラポールは“まぁいい”と吐き捨てる。
「とにかく、農民達には引き続き、許してやるから帰ってこいと触れをだせ」
「かしこまりました」
ラポールの言葉に頭を下げながらもスミスには確信があった。この土地で生まれ、育ってきた人間は元からベルナド領は自国内でも比較的水捌けが良すぎる土地にあり、農作物の育ちが悪いと知っている。何より麦だけでは領民が暮らしていくだけの収穫しかないとだから、ベルナド家が麦以外に貧しき領を発展させるものがないかと探して来たのかを領民達は知っており、それを領民達も分かった上でベナルド家を慕っていたのだ。
……しかし……今は……
「まったく、私が戻って来いと言ってるのに戻って来ないと……忌々しい奴らめ!」
そう忌々しげに言い放つラポールも最初は貧しい領を豊かにしようと取り組んでいた。しかし、それはもうベルナド家を豊かにするためのものに変わってしまった。そこに最早、領民達への愛はない。
“変わってしまわれた……”
昔は貧しくとも、笑顔が絶えなかった領地から一人、また一人とベルナド家に仕えてくれていた領民達が失望した表情で去っていく姿は辛かった。それは今までベルナド家が集めていた信頼を失ったのを如実に表していた。失望してこの領を去った人々は今さら、方針を変えたとしてもそう簡単には戻らないだろう。そう思うスミスをよそにラポールは語調を荒げる。
「いいな!何としても農民達を連れて来い!」
「……かしこまりました」
かつての領を豊かにしようとしていた姿を失った主に頭を下げながらスミスは深いため息を吐いた。
「うーん」
学園から帰宅し、制服から部屋着に着替えて執務室に戻って来たココノアは眉間に皺を寄せる。キースから今日の報告とともに渡された資料の中身は予想以上に芳しくない。そのため、資料に目を通しながら唸っていた。そして考えを纏めるために行儀悪く執務机に肘をついてため息を吐く。
「お嬢様」
その淑女らしからぬ仕草に気づいたキースがため息混じりに注意をすればココノアは“むすっ”とした表情と眉間の皺はそのままに自分の右腕を見上げる。
「キースの石頭。ちょっとぐらいいいじゃない」
少しでも行儀の悪いことをすると小言の嵐を降らせる相手にココノアは不満げに唇を尖らせる。その仕草にキースは肩をすくめた。
「お嬢様が外で恥をかかないようにとの親心でございます」
昼間、ビートにからかわれた時のような年相応の表情ではなく、表用のすました表情でキースは小言を口にする。昼間のキースを知らないココノアは内心で“頭が硬いんだから”と愚痴りながらもため息を吐く。
「まぁいいわ。資料ありがとう。でも思っていた以上に事態は深刻ね……王都に領内から溢れてきた農民達が集まって貧民になってるから帰還を促す案を講じてみたけど動きが悪いわ」
「そのようですね」
深いため息を吐いたココノアにキースも難しい表情を崩さない。安易に領主が羊毛の増産のために農地を没収しないように羊毛の輸出に関税をかけ、農地を失って浮浪化した農民達を領に戻すために国王から各領主に対して農作物の作付け量の増加を指示してもらった。それに伴って王都の貧民街に集まった農民達を領内への帰還を促すための施策を継続しているがその動きは鈍い。領に帰還させるために国主導で馬車を出しているのに数が多いのと領に戻ることにあまり乗り気ではない農民達が多いのだ。クロエ家領内から王都への流出はないが貧しい領ほど農民達の流出が激しい。
「何が不満なのかしら……」
暮らしなれた場所に戻れるのならその方がいい筈なのにと心の中で呟く。再び、報告書に再び目を落としたココノアが眉間の皺を深くする傍らでキースも報告書を覗き込む。そこには帰還を促す案を出し前と後の貧民街の人数が記載されているがその数字は目に見えて減っているとは言いがたい。その数字が如実に貧民達の気持ちを表しているように感じたキースは眉間に皺を寄せるココノアに口を開く。
「お嬢様の打たれた手が間違っていたというよりかは……そうですね……多分不安もあるのでしょうね」
「不安?」
その言葉に次はどうしようかと頭を悩ませていたココノアは自分の右腕を見上げる。その視線にキースは頷く。
「はい。彼らは領主の我が儘により住み慣れた土地から追い出され、行く宛もなくさ迷ってようやく王都にたどり着きました。いくら自分の住み慣れた土地に戻れるようになったとはいえ、また追い出されたらどうしようかと思う面々も多いのでしょう」
「……それも一理あるわ」
キースの指摘に同意し、ココノアは再び報告書に目を落とす。確かに一度、追い出された経験はそう簡単に払拭は出来ない。この方策で王都の貧民の増加を少しでも改善出来るのではないかと期待していたココノアは嘆息すると報告書を鍵つきの引き出しにしまう。
「まぁ、一朝一夕で成果が出なくて当たり前ね。もう少し様子を見て判断するわ。貴方の言うように確かに言葉だけで戻れと言っても夢物語にしか過ぎないもの。一度、住み慣れた場所を追い出された人々と領主の間にあった信頼関係はそう簡単には戻らないものね。じっくり進めて行きましょう。ユンファ達にもそう伝えて頂戴」
「かしこまりました。それにしてもいやにあっさりですね。何かありましたか?」
今までならもう少し頭を悩ませていただろう案件に対していやにあっさりと判断を下したことを指摘するとココノアは“そうね”と嘆息する。
「今まではどうにかしなくちゃいけないと思い込んでいたけど、学園に通うようになってそんなに簡単に色々上手くいかないことにも気づいたわ」
まだたった数ヶ月の出来事だが、学園に通うことによって得た体験は以外にもクロエ家当主としての仕事にもいかされつつある。
「そうですか」
その言葉に少し寂しく思いながらも、キースが少女の成長を噛み締める。キースの言葉にココノアも深く頷く。
「ええ。でも、一番はキースが居るから私は好きなことが出来るのよ。ありがとう」
その言葉に少女の成長を噛み締めていたキースが再び驚きに目を見張る横でココノアは仕事を片付けると席を立つ。
「さ、夕食にしましょう。お腹がペコペコだわ」
「そうですね。今日はお嬢様の大好きな白身魚のバター焼きと聞いてます」
「嬉しい!」
何気ない会話を交わしながらもキースと共に夕食に向かうべく、一歩を踏み出したココノアは自分の向かった扉に新たに傷が増えていることに今、気づく。
「あら?」
「お嬢様、どうされましたか?」
扉の前で立ち止まった自分にキースが不思議そうに小首を傾げるその先で、ココノアは新たに見つけた扉の傷を指差す。
「昨日はなかった傷が扉に増えてるんだけど、何があったの?」
その問いかけにキースは“いえ”と綺麗な微笑を浮かべて首を振る。とある理由から自分が投げたナイフの刺さった後だとは少女には言えない。
「何もございませんよ。お嬢様」
ココノアの疑問にキースはよそ行きの笑顔で首を振った。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。




