2.最年少の処刑人
只今、改稿中です。ご迷惑をおかけして申し訳ありません
「あ~、もうなんでこんなに仕事が多いの!」
その声は中央大陸の中でも有数のクーラ国で侯爵家を務めるクロエ家の執務室に響き渡っていた。
「毎日、毎日書類ばかり片付けて……私はなんて可哀想なのかしら」
何百年という年月を経て色褪せ……違った味が出た執務椅子に座るのはまだ14、5歳の少女だ。憂い気な表情を浮かべてはいるがそこに不健康さはない。病的とは裏腹なむしろ白く透き通り、張りのあるキメ細やかな肌である。艶やかな黒い髪と意思の強そうなアメジストのような瞳が印象的だ。それがバランスよく配置され、黙って座っていれば“傾国の美少女”と呼ばれそうなほどに麗しい少女は眉間に皺を寄せていた。
「そもそも私はまだ15歳のピチピチの女の子なのよ。なのにもうずっと屋敷に閉じ籠ってばかり!干からびちゃうわ!」
執務室でぶちぶちと文句を言いながらも仕事に励む少女の名前はココノア・クロエ。まだ15歳という年齢でありながらも少女はこのクロエ家の当主という地位についていた。だが、女性が当主を継ぐのも昨今では珍しくなくなったとはいえ、まだ15歳のココノアには継承権は認められない。よって現在は対外的に亡きココノアの父であった前侯爵の弟である叔父がクロエ家の当主して認められている。しかし、クロエ家の役目は特殊。そのため、対外的には叔父が家の実質的な仕事と亡き父の役割を継いだのはココノアだった。そのため、まだ15歳でありながらココノアは日々こうして当主の仕事に励んでいるのだ。
「お外に出たい~!」
ポンと書類一枚に判子を押す度に愚痴一つをくっつけながら仕事を片付けていたココノアにその横で静かに仕事に励んでいた青年がため息を吐きながら視線を移す。
「お嬢様、先ほどからうるさいですよ」
そう言って少女に突っ込んだのはまだ年の頃20才ほどの男性キース・クロエだ。少女のいつ終わるともしれない愚痴に嫌気が差したキースがそう口にするとココノアは自分の側近であり未来の夫でもある青年をぎっと睨み付ける。
「何よ!ちょっとは同情してくれたっていいじゃない!だって……だってもう冬なのよ!」
そう言いながらも机を叩いたココノアは顔を歪めた後、机に突っ伏す。
「それにこの前外出した時に着たワンピースは夏用だったのに、もう冬なのよ」
仕事が多忙を極めたためにここ数ヶ月屋敷から一度も外に仕事以外で外出することのなかったココノアは若干、病んだ瞳をしながら首を振る。
「せめて秋に一度でいいから外出したかったわ……」
当主という地位にいるココノアが気軽に年頃の少女達が開くお茶会に参加することなど出来ず………お誘いの手紙をどれだけ涙を飲んだと思うのだ。長年の付き合いの少女の呟きを聞いたキースも自身も外に目をやって嘆息する。
「そうですね……冬ですね……」
少し前までは色とりどりの落ち葉が仕事に疲れた目を楽しませてくれていたが今や外の木には葉の一枚もない。だが、これは別に今年だけの事ではない。
「秋は仕事が立て込む時期ですからね。それに仕方ないではありませんか、お嬢様はクロエ家当主ですので」
そうニコリと疲れの滲む顔でキースが涼やかに言い切ればココノアは目に涙を溜めた。
「そんなの嫌よ!クロエ家の当主でもまだ私は15歳の女の子なの!」
そう言い募りながら顔を手で覆う。
「毎日、毎日。仕事と仕事よ。代わり映えのない毎日。クロエ家の当主だったとしてもあんまりよ!」
そう口に出す少女にキースは嘆息する。
「本音は?」
「…………新調したお気に入りのワンピースが1回しか着れなかったの…」
傍つきのキースにそう白状し、ココノアは仕事を死んだ魚のような目で再開する。当主としての仕事を放棄はしないが年頃の娘のように他愛ないおしゃべりやオシャレをしたい。せめて季節毎に新調したお気に入りの服に3回は袖を通したい。クロエ家当主の仕事を継いでからというもの勉強と仕事に追い立てられ、15歳という年に相応しい楽しい思い出など皆無に等しいのだ。
「このまま執務室で老けていくなんて私は可哀想だわ」
深刻な表情でそう言い放つ少女にキースは嘆息する。
「私だって好きでお嬢様を執務室に閉じ込めている訳ではありませんよ」
「キースの意地悪!」
サラッと返された言葉にココノアは唇を尖らせながらキースに上目遣いを向ける。
「私だって年頃の女の子達みたいにはしゃいでみたいわ」
そう言うとココノアはペンを放り出す。そして窓の外を眺める。完全に仕事を放棄した少女の横で仕事に励んでいたキースは困ったように笑う。
「王の処刑人の称号を引き継がれると決めたのはお嬢様でしょう? 」
「うっ……」
キースの正論に言葉に詰まったココノアは肩を竦めると寂しげに笑いながら嘆息する。
「ごめんなさい……気が立ってたわ」
「いいえ、私にやつ当たりして気が済むのでしたらいくらでも」
その寂しげな笑みにキースがそう言うのを聞きながらココノアは首を振る。
「貴方が言うようにこの家を継ぐと決めたのは私だもの。後少しだから、頑張るわ」
そう言って仕事に戻りはしたが浮かない少女の横顔を眺めたキースは嘆息すると席を立つ。
「根を詰めすぎましたね。少し休憩にしましょう」
「……そうね」
キースの申し出に仕事に意識は戻したものの浮かない表情だったココノアは書類から自分の傍付きに視線を移す。
「喉が乾いたからお茶の準備をお願い」
「かしこまりました」
そう言って一礼して部屋から去っていく傍付きを見送ったココノアは執務室の窓から見える景色に目を移して嘆息する。
“……お父様が生きてたら私はまだ無邪気に笑っていたのかしら”
ココノアが前当主だった父からこの役目を引き継いだのは五年も前のこと。そのこと事態を考えても詮のないことだと分かっていてもつい考えてしまう。父親が生きていたら自分のこの手はまだ白いままだっただろうか。そこまで考えてココノアは椅子に背を預ける。
「でも……私にはお父様達が継いできたお役目を放棄することなんて出来なかったものね」
そう呟いてココノアは天井を見上げる。この椅子は長きに渡り、クロエ家の当主の仕事を引き継いだ者の背を支えてきた。
ー王の処刑人ー
それは代々クロエ家の当主の座に就くものに与えられる役目であり、称号でもある。
“王に仇を為すものには死の鉄槌を“
その言葉の通り、国が生まれた遥か昔から王家を影から守るのがクロエ家の役割だったのだ。しかし、今やその盟約を知るのはクロエ家の当主とクーラ国王のみ。古に交わされたクロエ家と王家との間に結ばれた盟約を知る者はもういない。そして王家の人間を影から守る以外にクロエ家に課されたもう1つの役目。
それは…
ー王に相応しくないものが王になればその者を処刑することー
王家を守ることは国を守ること。クーラ国が長きに渡って繁栄してきたのもクロエ家が古の盟約に沿って王に相応しくない人間を排除してきたからだ。表だっての関係性は非常に薄いが王家につく影の護衛は全てクロエ家の手の者。裏での関係性は濃密なチョコレートよりも粘っこいのだ。
“亡き父に変わり、これからは私がクロエ家の当主として王をお守り致します”
そう言って現王の前で頭を垂れた自分はその時まだ10歳の子供だった。そうやって自分もまた歴代の当主達と同じようにその役目を引き継いだのだ。その日から自分はクロエ家の当主であって王の処刑人。
「お嬢様」
いつの間にか戻って来ていた傍付きの言葉にココノアは目を瞬く。
「…キース」
夢から覚めたように目を瞬かせれば、あの日からいつも自分の傍に居るキースを見れば不思議そうに首を傾げてくる。
「いかがされましたか?お嬢様」
「何でもないわ……」
その言葉に首を振れば、キースは不思議そうにしながらも準備してきた茶菓子と自分の好きな紅茶を準備する。
「どうぞ」
「ありがとう」
キースの言葉に微笑して机の上におかれたカップに視線を落としたココノアは目を瞬く。
「あら、珍しい」
自分の前に置かれた小皿にココノアはふわりと笑う。それは小さい頃から元気がない時にキースが出してくれる秘密のお菓子なのだ。口元を綻ばせればキースが心得たように肩を竦める。
「お好きでしょう?」
「ええ」
キースの気遣いに笑ってココノアは小皿に乗せられたクッキーを口に運んでから礼を口にする。
「ありがとう。キース」
「いえ」
少女の言葉に首を降った青年は茶器をカートに戻す。その姿をクッキーをかじりながらも眺めたココノアはふと先ほどもたけだ思いを思い返す。
“私は王の処刑人でなければどんな人生を歩んでいたのだろう……”
それはほんの小さな疑念。
しかし……
その疑念を即座に掻き消せるほどまだココノアはまだ大人ではなかった。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです