14.他国からの甘い誘い
「くそおぉう!」
男は届いたばかりの知らせを受けて憤怒の表情で紙を握りつぶした。今日はあの“夜のお茶会”から1ヶ月が経っていた。お茶会後、事態を重くみたレオードによって提言された“羊毛輸出”についての方針が決まったという知らせが男の元に届いたのだ。男には参加資格のない貴族院で決まったとはいえ、それは男にとって受け入れがたい事だった。
「今の我が国の流れを読めない馬鹿どもが!」
そうもう一度叫ぶと握りつぶした紙を机の上に放り出す。その紙には羊毛輸出の制限と記載されており、羊毛に力を入れるのもいいが自領における農作物の栽培を強化するようにとの旨もしたためられていたのだ。苛立ちのままに机の上に置いておいた煙草に火をつけ、男は煙を漂わせる。
“冗談じゃない”
煙草をふかしながら男はギリギリと歯を鳴らす。この場所は元々、あまり穀物の栽培に向かない土地である。そのためこの地に住んでいた歴代の領主達は常に身を粉にして働いてきた。同時に羊の放牧を始めることでようやく生活にも余裕が出て来ていた。それを受けて、男の家では穀物の栽培と半々の割合で羊から取れた羊毛を他領に出すことで生活を成り立たせてきたのだ。その値段が近頃では少し下がって来て困っていたため、別の産業にも手を出さないとなと思っていた時にエンクロージャー国の商人から話を持ちかけられたのだ。
“よろしければその羊毛を我が国へ輸出して頂けませんか?”と
最初は胡散臭く思っていた男も眉を寄せるが商人の言葉は自分の杞憂をあっさりと流してみせた。
“必要なものであれば商品の数が少なくなると自ずと値段が上がります”
国内での販売に力を入れていた男はその言葉に一理あると納得した。実際に販売に任せてみると男の言ったように国内での値段があがり始めたのだ。その流れに気をよくして、税を払えない弱小の農民達の土地を取り上げ、放牧を広げればどんどんと収入が増えた。土地を失った領民達がどこに行こうとも気にはしなかった。
だが……
「またあいつらが必要になるのか……」
羊の放牧であれば人員はかからないが、畑を耕すとなると人数が必要になるのだ。ギリッと歯を噛み締めた男はしばらくの後、紙を見つめるとため息を吐く。そして、チリンと鈴を鳴らす。
「お呼びですか?旦那様」
鈴の音を聞いて現れた侍女に男はため息を吐く。
「スミスを呼んでくれ」
「畏まりました」
侍女に執事を呼ぶように言いつけると男は深いため息を吐いた。
「これはリオン様」
その声にリオンは足を止める。学園からの帰り道をヨーゼルと歩いていた所を呼び止められ、振り返ればそこに居るのはガマガエルのような顔をした男。
「ブース卿」
そう声をかければガマガエルのような顔が更に歪む。笑っているのか分からないような顔をした男の名前を口にすればわざとらしく頭を下げてくる。
「お名前を覚えて頂けて嬉しいです」
「国を支えてくれている面々を忘れる訳がないだろう」
そう言えば更に顔を歪ませるのにヨーゼルが小さく“ガマガエル”と呟く声が聞こえる。それを無視してブースにリオンは笑みを浮かべる。
「それにしてもブース卿。貴方がこの時期にこちらにいらっしゃるとは珍しい」
広大な農地を持つブースは基本領地におり、社交界シーズン以外では姿を見せない。そう声をかければガマガエル……違ったブース卿が憂いた表情をみせる。
「そうなんですよ……陛下が急に羊毛に関税をかけると言い出されまして我々としては街に押し寄せる貧民達だけでも頭が痛いのに気まぐれには困ったものです」
そう肩を竦める相手にリオンは目を瞬く。第2王子という立場上、表だって国政への介入を控えている身だが父親である国王はよく納めているように思える。一瞬、どう返そうかと悩むがその表情をどうとったのかブースは更に困った表情で口を開く。
「お忙しい所をお呼び止め致しまして申し訳ありませんでした。我々も領地を納めるのは忙しいのでこれで失礼致します」
「ああ」
言うだけ言って頭を下げて去っていく男を見送り、リオンはさてと肩を竦める。
「何が言いたかったんだろうな」
「さあね」
背後で静かに控えていたヨーゼルにふると肩を竦めてくる。王宮内では常に人の目があるために聞かれて困るような会話はしないように心がけている。しかし、ブースの言葉に改めて王宮内を行き交う人々に目を移せばどこか足早に歩いているのがわかる。
「何かあったみたいだな」
その言葉にどこか文官がせかせかと歩く姿を同じように目で追ったヨーゼルは何気さを装いながら肩を竦める。
「ああ。みたいだね。陛下が何でも麦の作付け量を増やすようにとの勅命を出したと聞いてはいるけど」
「麦の作付け量か……」
世間話のように口を開くヨーゼルの言葉に目を瞬かせたリオンはそう呟くとそのまま無言で自分の部屋に向かって歩き出す。その後ろをついて行くヨーゼルも余計な言葉は口にしない。
「詳しく話せ」
次にリオンが口を開いたのは自分の部屋についてから。行儀悪く部屋のソファーに腰掛け、向かいに座るようにヨーゼルを促す。それに嘆息したヨーゼルは傍の侍女にニコリと微笑む。
「お茶の用意を」
「畏まりました」
ヨーゼルの言葉に頷いて、部屋を後にする侍女を見送るとリオンは自分の側近に目を移す。その視線にヨーゼルはリオンに嘆息する。
「ここの所エンクロージャー国に対して、輸出する量に変化があるのは知ってる?」
「ああ、今までは麦が主力だったがここ半年ぐらいは例年に比べて羊毛が増えているのはな」
ヨーゼルの言葉に頷きながら、リオンは嘆息する。馬鹿王子と言われていても国の動向にはそれとなく気をつけている。兄である第1王子が王位を継げば、次男である自分の役割は国防か外交だと思っている。自分の立ち位置を図る上で国勢を知るのは重要なことなのだ。リオンの言葉にヨーゼルは肩を竦める。
「本当、君って意外に馬鹿じゃないよね」
「なんだと?」
その言葉に眉を寄せれば、ヨーゼルは“誉め言葉なんだけど”と苦笑する。
「で昨日、正式に陛下からエンクロージャー国に対しての輸出品目の羊毛に関税をかける方針が発表されたんだよ」
ヨーゼルか昨夜、会議から帰宅した父親から聞いた言葉を語ればリオンは顎に手を当てる。第2王子で国政に関わっている訳でもない自分には自分から気にしない限り、情報は入って来ない。昨日そんな方針が示されたのも初耳だ。
「だが、別に気になるような量でもなかった気がするが……」
王子として最低限の教養として必要だと思われる資料に目を通した数字を思い出すもそこまで気になる量と金額ではなかった。そう返せば、ヨーゼルは表向きはねと嘆息する。
「エンクロージャー国は10年前の政変から国の方針を切り替えた。今や羊毛を加工した品が輸出の主戦力だ。ただ、国の中の羊毛では足りないらしく、周辺国から羊毛の輸入をし始めた。その価格は今やうなぎ登り。我が国でも価格はそれなりに高い。麦を育てるよりもいいということで麦から羊毛に転向する領主も出始めてるんだよ」
「何が問題だ?」
国として高く売り付けられるなら特に問題はないように見える。リオンが厳しい目を向けるとヨーゼルはため息を吐く。
「羊毛には広い牧草地が必要となる。今まで麦を作っていた農民達から土地を取り上げることになる」
「まさか……」
リオンはヨーゼルの言いたいことを理解して目を見開く。
「そのまさか……だよ。今、各都市や王都には土地を失った農民が流れ混んでる。そこまで今は酷くないが、都市では賄える人間の量は決まってる。それが問題なんだよ」
ヨーゼルの憂の隠った言葉と深いため息にリオンは思案してため息を吐く。
「飢えれば民は国に不満を抱くようになるな」
このまま行けば国が置かれるであろう状況の危うさにリオンは天井を見上げた。
ーその頃ー
「これで一段落ね」
執務室の机に積み上げられた書類の山に最後の1つを積み上げたココノアは“ふぅ~”とため息を吐く。
「お疲れ様でした。お嬢様」
その言葉に自分の机にある書類の処理を止めたキースはココノアに微笑む。椅子に座ったまま、伸びをする少女は“やりきった”と言わんばかりの清々しい表情だ。
「もう本当に疲れた!でも流石、陛下よね。まさか1ヶ月で輸出規制をかけるんだもの」
“んっ”と伸びをしながら、ココノアは“秘密のお茶会”以降の慌ただしい動きを回顧する。秘密のお茶会の翌週までは学園に通う余裕はあったがそれ以降は持ち込まれる情報の精査と根回し。そして陛下の身の回りといった様々な環境を整えるのに文字通り駆けずり回っていた。
「明日は久々に学園に行けそうね」
「そうですね」
そう呟きながら目を閉じたココノアの目の下には年頃の少女のものとは思えない酷い隈がある。伸びをして、仕事モードをオフしたココノアは背を椅子に預けながら嘆息する。侍女に頼んでいたティーセットでいつの間にかお茶を淹れながらキースは嘆息する。
「どうぞ」
お茶を注いだカップをココノアの前にサーブすると疲れた表情で目を閉じていたココノアが目を開けて手を伸ばす。
「ありがとう」
「いえ」
少女のお礼ににこりと笑いながら席に戻ったキースが仕事を再開する横でココノアは天井を見上げて思案する。
“ひとまず、これで流れ込んでくる貧民を止めることが出来たら一安心ね”
街に溢れた貧民に対しては別の案で手を打たないといけないが外から流れ込んでくる人数が抑制出来れば王都の貧民対策への資金も削減出来る。本当にこの政策で農民の土地離れが抑制出来るかは分からないがやるしか道はない。そのことにため息をつきながらもココノアはキースの淹れてくれた紅茶を堪能する。
“でも根本的な解決法ではないから、幾度か手直しは必要ね”
1つ事態は解決しても複雑に構造化した問題はそう簡単には解決しない。周辺諸国での取り組みにも目を通そうと心に決めたココノアはそう言えばとキースに目を移す。
「ねぇ、キース。今さらなんだけど私が学園を休んでる理由は何にしたの?」
あまりに処理すべき仕事が増えてきたので、3週間前から学園を休み続けている。確か遠い記憶に“お休みの理由はいかがしましょう?”とキースが聞いてきた気もしないではないがそれどころではなかったので“適当にしといて”と資料を読みながら返した記憶がある。
「お嬢様……」
「だって覚えてないんだもん。仕方ないでしょう?」
キースが呆れた表情を向けてくる姿にココノアは椅子て器用に肩を竦めてみせる。その姿に嘆息したキースは学園側に伝えてある理由を口にする。
「病弱なお嬢様は流感にかかって熱が下がらないとお伝えしてます」
「……明日は大変ね……」
周りから質問責めにされるだろうことを予想し、ココノアはげんなりとする。少女のその様子をキースは微笑ましげに眺める。
「何よ?」
「いえ」
視線に気がついたココノアがこちらを睨むのを横目にキースは仕事を進める。少女の反応が全て可愛らしくてたまらない。
「キ……」
“コンコン”
クスクスと笑いながら仕事をする傍付きの名前を呼ぼうとした瞬間のノックにココノアの視線は扉に向いた。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。