葛藤と勝利~2~
放課後、僕は三浦達の誘いを断り、ある場所に向かっていた。
小綺麗な中層マンション。オートロックは掛かっていなかった為、ロビーに並ぶ郵便受けの名前を確認する。
「二階か……」
エレベーターも設けられていたが、敢えて階段を選んだ。それは心の準備の為だったのか、僕自身にもわからなかったけど。
目的の部屋の前で呼吸を整え、インターフォンを押す。
この時、松井の家に謝りに行った両親の気持ちが苦しいくらいによくわかった。
改めて悪い事をしたと反省しながら、返事を待つ。
反応がない事に少しホッとしないでもなかったが、もう一度押してみた。
『……はい』
蚊の鳴くような小さな声で返事があった。
「あ…あのっ…なななっ、中川です!」
まさか当人が出るとは予想もしていなかった僕は、しどろもどろでかなり怪しかったに違いない。
『───えっ?』
それっきりで沈黙が続く。
「さ…斉藤さん。少しでいいから顔出してもらえないかな?」
『………』
「今日は謝りに来たんだ」
やっぱり返事は、ない。でも僕には、ちゃんと謝罪する義務があった。
「じゃあ……そのままでいいから話を聞いてくれる? あのね、僕、斉藤さんに酷い事ばかりしてしまって……本当に……謝って済む事じゃないのは分かってるんだけど……」
微かな息遣いが、機械越しに伝わってくる。斉藤さんは、きっと聞いてくれてるに違いない。
「───ごめんなさい! 嫌がらせしてたのは僕だから。僕だけだから。もう絶対にしないから……学校に来てくれないかな?」
そのまま暫く返事を待った。どんな小さな声でも聞き逃さないよう、神経を耳に集中させて。
ブツっと微かな音がして、通話が切断されたのだと気付くのに数秒を要した。
やっぱりダメか……
それでもまだ諦めきれず、その場を離れる事が出来なかった。もう一度押すべきか。でも……
斉藤さんが僕なんかと話したくもないのなら、しつこく聞いてもらおうとするのはただの自己満足じゃないだろうか。
悶々と葛藤する中、カチリと控え目な音がした。
即座にインターフォンを見たが、繋がっている様子もなく、僅かに玄関の扉が開かれている事に気付く。
「……斉藤さん?」
話を聞いてくれるのだろうか。
大きく扉を開きたい衝動に駆られたが、そこはグッと我慢して、本人が自ら顔を出してくれるのを待った。
たぶん、たった数分の事だったんだろうけど、僕にはもっと長く思えた。
徐々に開いた扉から、記憶よりも痩せた彼女の顔が見え、胸が痛む。
あんなに愛らしかった大きな目が、落ち窪んで別人のようだった。




