生まれたての感情~1~
机に視線を落とし、漠然とこの先を想像してみるも、何も浮かばない。グッチャグチャになった頭の中が、全て空っぽになったような感覚だった。
コトッ……と軽い音がして、突然視界に飛び込んだ銀色の小さな包み。
「難しい顔しちゃって!」
さっきの女の人だ。
「それ、私のパワーの源なの。食べて元気出して!」
そう言って差し出されたのは、チョコレート。
そんなもの食べる気になるはずもなく。
いつまでも手を出さずにいると、包みを破り、グイッと口に放り込んだ。
───なんて強引な人なんだ。
呆れると同時に、口の中一杯に優しい甘さが広がる。
少しずつ口内で溶けていくそれは、今まで食べたどのチョコレートよりも身体に染み込んでいくような錯覚を与えた。
チョコってこんなに美味しいものだったっけ?
気持ちまでとろけるような……
「落ち着くでしょう?」
素直に頷くのはなんだか小さな子供みたいで気恥ずかしかったけど。
「……はい」
「全部言ったらスッキリしたでしょ?」
「……」
「来た時と顔つきが違うもの。憑き物が取れたような。あなたの歳で色々なものを一人で抱え込むなんて無理よ。重すぎる。もっと周りを頼りなさい」
可笑しな人。
僕は嘘つきなんだ。嘘つきが周りに頼る?
そんな事、出来る筈ないじゃないか。
僕の訝しげな目つきを読みとったかのように、女の人は話を続ける。
「完璧を演じなくてもいいの」
その一言が、脳に激しい衝撃を与えた。
完璧────
僕は完璧な人間なんかじゃない。それは自分が一番良くわかっている。
でも、それを隠したいが為に嘘をつき続けてきた。良い子に思われたくて。だって、人から嫌われたくない。本当は愛されたかったんだ。
「私は心理学者じゃないから本当の所はわからない。だけど、あなたを見てると昔の自分を思い出すのよ」
「え……? お、お姉さんも?」
何て呼んだらいいのかわからなくて、思わずお姉さん、なんて言ってしまった。
「ふふ。久しぶりにお姉さんなんて言われたわ。私の名前は好美。好美って呼んでくれて構わないわよ」
そう言って彼女は、いたずらっぽく笑った。
女の人を下の名前で呼ぶなんて、初めての事でドキドキした。
「本題に戻るわね。──私もね、昔はよく嘘をついたの。その時は気付かなかったけど、今になればわかる。嫌われたくなかったのよ、親や友達に」
そう言うと好美さんは、窓の外に視線を移した。というより、過去の思い出を見つめているようにも思えた。
憂いを含んだ笑みから何を感じればいいのか、僕にはまだわからなかった。
「弱いのね、嘘をつく人間って。ありのままの姿を見せて軽蔑されるのが怖いの。だから嘘で仮面を作ってしまうのよ」
全くその通りだと納得する事は出来ても、だからどうすればいいのかなんてわからない。
「でも、誰でも完璧じゃないの。みんな人に知られたくない部分は持ってるし、それを見せたって構わないのよね」
ずっと黙って聞いていた僕も、思わず口を挟まずにはいられなかった。
「人に見せてしまったら……嫌われるんじゃないですか?」
すると好美さんは、当たり前のように言った。
「いいじゃない、嫌われたって」
嫌われたって、いい?
何を言っているのか本気で分からない。
嫌われたくないから嘘をつくのに、嫌われたっていいなんて、理解出来るはずもない。
「……やです。嫌われるなんて嫌です」
「どうして?」
そんな無邪気に聞き返されても、嫌なものは嫌。僕の答えはその一つしかない。
すると好美さんは、人差し指を唇にあて、少し考える素振りをしてから言った。
「君は、完璧な人間しか好きにならない?」
「……いや、そんな事は……ないです」
「でしょ? むしろ完璧すぎる人って敬遠してしまわない?」
そうかもしれない。
あまりにも完璧だと、自分を余計に卑下してしまうかも。
「欠点が逆に親近感を覚える事だってある。相手にないものを補ってあげたり、自分にないものを吸収させてもらったりして人は成長していくんじゃないかしら? もちろん、全ての人間に好かれるなんて無理よ。人気アイドルだってそうでしょ? 100人中100人が、可愛いって感じると思う?」
突然アイドルの話に変わって戸惑いながらも、僕は首を左右に振った。