暴かれる嘘~1~
翌日。
「───ええ、そうなんです。だから今日は学校休ませますので。はい、失礼致します」
お母さんが受話器を置くのを、他人事のように見ていた。
昨夜からお父さんもお母さんも口数が少なく、かなり落ち込んでいる様子が見て取れた。
「お父さんが帰ってきたら中津警察に行きましょうね」
不況の中、有給を取る事もままならない筈のお父さんは、無理矢理休みを貰って朝からタイヨーに行っていた。
何をしに行っているのかは知らされていない。気になった僕が聞こうと思った矢先、玄関の扉が開く音が聞こえた。
「おかえりなさい。どうだった?」
お父さんが入ってくるなり、堰を切ったようにお母さんが聞く。
「やっぱり駄目だった。でも警察からの申請があれば見せてくれるらしい。と言っても俺達にはやはり見せれないみたいで……警察の人になら、って話だ」
何の話だろう?
「そう。でも警察の方になら見せてくれるのね? それなら───」
少し希望に満ちたお母さんの言葉を遮るように、お父さんは言った。
「ただし期限は一週間。一週間たてば消してしまうんだそうだ」
「一週間……今日は確か───三日目よね? まだ間に合うわ! 早く警察に行きましょう」
一体、何の話をしてるんだ?
急かされるまま車に乗り込んだ。
そして、逃げ出したくなるような事実を車内で聞かされる。
「防犯……カメラ?」
「そうだ。玩具売り場の防犯カメラを見せてもらえないか聞いてきたんだ」
「……それで?」
右折する為に神経を集中させているのか、お父さんは黙ったまま。
焦りと苛立ちを隠して、ジリジリと次の答えを待った。
「警察の人になら見せてくれるそうだ。でも一週間たったら消してしまうそうだから、今から行って頼むんだよ。調べてくれるように」
目の前が真っ暗になった。
防犯カメラ。その存在をすっかり忘れていた。
と言うより、最初から頭になんか全くなかったんだ。
どうしようか。今回ばかりは、どう切り抜けてよいのやら見当もつかない。さすがに警察相手に、上手く立ち回れる自信もなかった。
焦れば焦るほどに、時間だけが残酷に過ぎて行く。
噛み合わない両親と僕の想いを乗せた車は、とうとう中津警察の駐車場へ着いてしまった。
僕はただ、二人の後を黙ってついて行くしかなかった。
お母さんは昨日も一人でここへ来たとあって、受付を通さずとも、場所は頭に入っている様子。
薄暗い脇の階段を三階まで上がり、左へ曲がった突き当たりの少年課まで、僕達は一言も話さずに歩いた。
思っていたより、随分汚い所だった。
ドラマとは違うんだな。と、余裕もないのにそんな事を考えていた。
廊下はまだ、午前中だというのにやっぱり薄暗かった。
あちこち剥げ落ちた壁に貼られた見覚えのある顔写真の数々が、妙に現実味を帯びていて寒気を覚える。
少年課の入り口に立つと、手前の席に座っていた女の人が立ち上がり僕達の方へ歩いてきた。
「何かご用で?」
年齢にして30歳前後だろうか。
長い髪を一つに束ね、化粧っ気のない顔は肌が透き通るように白く綺麗だった。
「昨日も来たのですが……山根さんはおられますか? 中川と申します」
「山根ですか? 少々お待ち下さい」
小柄ながら、背筋をピンと伸ばし颯爽と歩くその姿に、僕は見とれた。
あの人も警察の人なのかな。ここにいるんだからそうだよね。
程なくして戻ってきた女の人は、
「山根は今、別件で手が空いておりませんので、こちらで少々お待ち頂けますか?」
そう言って、少年課の横に三つ並んだ小さな部屋へと案内する。
脇にキャビネットが置かれている事を除けば、机と折り畳みの椅子しかないそこはまるで、テレビで見た取調室のようで、一気に脈拍数が上がった。
「どーもどーも! お待たせしましたな。おっ? 君が充君か!」
この人が、山根さん?
屈強な感じを勝手に想像していただけに、僕の身体からは力が抜け落ちた。
どう見たって、その辺りの飲み屋にでも居そうな普通の人当たりの良いおじさんだ。
『どーも……』と声にもならない口の動きで会釈する。
お母さんは挨拶もそこそこに、いきなり本題に入るべく切り出した。
「昨日はどうも。実は今日はお願いがありまして……」
「ほう……何ですかな?」
見事に目尻に刻まれた笑い皺が、心持ち伸びた気がした。
「なるほど。わかりました。とりあえずそのタイヨーという店に連絡入れておきましょう」
顔を見合わせ安堵の表情を浮かべる二人。
「ちょっと待ってて下さいや」
片手をヒョイと挙げ、ずんぐりした体型からは想像もつかない機敏さで山根さんは席を立ち、あっという間に戻ってきた。
「連絡は入れておきましたので。ちょっと充君と二人だけで話をさせていただけますか? その後でタイヨーに確認しに行きます」
いよいよ始まる。
二人は出て行き、山根さんと僕だけの空間。
今まで何度か経験してきた、気が遠くなるような、尋問の時間。
「そんな固い顔しないで! 事件があった日の事、初めから話してくれるかな?」
再び目尻に皺を寄せ、のんびりと山根さんは言った。
お父さん、お母さん。
交番の人。
学校の先生。
松井の母親。
繰り返し話してきた虚偽の事実を、僕は話し始めた。
彼は魔法を使ったのだろうか。決して疑うような口調ではなかった。なのに。どんな小さな矛盾も見逃さず、確信を突いてくる。
演技には自信のあった僕でさえ、次第にしどろもどろになって余裕がなくなってきた。
今までとは違う。
僕の背中に、ツーッと一筋汗が伝った。
数十分後。
狭い部屋の中には、見事にうなだれている僕と、変わらず穏やかに笑みを浮かべている山根さんがいた。
もう、隠し切れない。
諦めかけた僕に追い討ちをかけるかのように、さっきの女の人が部屋に入ってきて、山根さんに耳打ちした。
『ああ。』と短く頷き退室させると、残念そうに僕に言った。
「後で儂が行こうと思っていたんだが……今の女の人がタイヨーの近くに用があってね、ついでに寄って来たんだそうだ。防犯カメラを見せてもらいにね」
息が出来ないくらいに心臓が跳ね上がる。
「誰も映っていなかったそうだよ。────君以外は、ね」
恐れていた時が、来た。