第20話 【申し出と可能性】
寮に戻った俺たちは、俺とセーラの部屋でご飯を食べることになった。
今は買ってきた料理をそれぞれテーブルに並べているところである。
「そういえば、マーコスさんは何学年なんですか?」
ふと、気になったことを聞いてみる。場合によっては先輩を付けて呼ぶ必要があるかもしれないからだ。
因みに俺は彼のことをマーコスと呼ぶことにした。セーラのようにビーサンと呼ばないのは、彼自身は良くても俺が人をサンダル呼ばわりしたくないからである。
"ビーサンさん"が言いづらいというのもあるが。
「10年生じゃよ。おぬしらは2人とも3年生じゃろ?ここの5階層は3年専用じゃからの」
「ええ、その通りです。10年ということでしたら、マーコスさんのことは先輩と呼んだ方が良いでしょうか?」
「よいよい。呼び名なんぞ気にする年でも無し、好きに呼んで構わんぞい」
「えっ!じゃあ、ビーサンでもいいの?」
「こらこら、セーラ。調子に乗っちゃダメだよ」
「ほっほっほ。ビーサンで良いぞ。坊やの方も下の名前で呼んでも良いのじゃぞ?」
マーコスは自分の耳を撫でながら、そう提案してきた。
まるで髭を撫でるかのような撫で方だが…もしかして獣人にとって耳は髭と同じ感覚なのか?
そんなことを考えながら俺はマーコスに丁寧に返す。
「いえ、お気持ちは嬉しいのですが、それは僕が嫌なのでマーコスさんと呼ばせて頂きます。
マーコスさんこそ、僕のことは"坊や"ではなく、アルムと呼んでください」
「ふむ、分かった。お嬢さんの呼び方はセーラで良いかの?」
「いいわよ!」
と、会話に切りがついたところで料理も並べ終わり、食事が始まった。
俺たちはハンバーガーにかぶり付き、マーコスは何やらおかゆのようなグラタンのようなものをちびちび食べている。
「そういえば、ビーサンの噂って本当なの?」
ソースを口元に付けたセーラが若干もぐもぐしながら問いかける。
いつもセーラには食べながら話すなとは言っているのだが、なかなか守れない。今だって口元についたソースに気付かず、ハンバーガーにがっついている。
こういうところを見ると、普段中々見れない子供らしいところを見れてほっこりした気持ちになる。
しかし同時にこんな出来損ないのマナーで貴族のお嬢様として大丈夫なのかという不安も湧き上がる。
「ほっほっほ、本当じゃよ」
「やっぱり!凄いわね!!
ちょっと、アルム何するのっ、むぐぐ」
「あの、その噂というのはどういうものなんでしょうか?」
俺はセーラの口元のソースをハンカチで拭いながらマーコスにさっきから気になっていたので聞いてみる。
「ふむ、アルムは知らんのか。結構有名なもんじゃと思っておったが……まぁ良い。
話すとしようかの。
そう、あれは儂がまだ三十路過ぎくらいで冒険者として生計を立てておった時じゃ。
儂は、とある魔物との戦いで傷を負い、偶々見つけた遺跡に転がり込んだのじゃ。
そこは森の奥のちっぽけな遺跡でのぉ、崩れかけの薄汚れたものじゃった。
儂はその崩れかけの遺跡の奥の方に身を隠して、魔物が過ぎ去るのを待っておったのじゃよ。
真っ暗な遺跡は気味が悪くての、灯りを灯すと遺跡には文字とおかしな絵が刻まれておった。
じゃが、その文字というのが全く知らない文字での、その頃の儂はどうやって魔物をやり過ごすかで頭がいっぱいで、文字には見向きもせんかった。
時は経ち、今から15年前の話じゃ。
もうその頃には冒険者も辞め、ただただ平凡で退屈な毎日を送っておった。
そんな日々に物足りなさを感じていたある日のことじゃった。
夢の中に1人の青年が現れての『あの文字のことをよろしく頼む』と、そう言ったのじゃ。
文字と言われて、儂はすぐにあの遺跡のことだと分かった。
珍しく鮮明な夢での、きっとお告げに違いないと思った儂は年甲斐もなくワクワクしてのぉ、居ても立っても居られなくて勢いであの遺跡を探す旅に出たのじゃ。
それから1年後。
ようやく遺跡を見つけた時には更に崩れておっての、儂は急いで中の文字と絵を書き写した。
更にそれから4年の間、儂はひたすら文字の解読に励んだ。遂に解読しきった時は嬉しかったのぉ。
そして、解読した年と同じ年のことじゃった。この魔法学園から解読の功績を認め、入学しないかと言われたのじゃ。
特にすることもなかった儂は、当然その申し出を受け入れたのじゃ。これが今から10年前の話じゃ。
これがセーラのいう儂の噂じゃ。
おっと、ほっほっほ。
セーラには老いぼれの話は子守唄になってしまったみたいじゃの」
話の大分始めの方から机に突っ伏して寝てしまったセーラを見て、マーコスは優しくそう言ってくれた。
「すいません、セーラがこんな態度を取ってしまって」
「いいんじゃよ。儂も久しぶりに昔話が出来て楽しかったからのぉ」
「あの、マーコスさん、1つお願いがあるのですが…」
「なんじゃ?」
俺はこの話を聞いていてとても楽しかった。
自分の好奇心の赴くままに行動するマーコスが、そしてその行動の結果がなんとも偉大でワクワクしたのだ。
しかし、その楽しさ中で俺は、1つだけ気になるものがあった。
マーコスが解読した文字だ。
こっちの世界に来てからは異世界人語しか見聞きしたことがなかった。だからこそ、ソレとは違う言語というのが気になるのだ。
ということで、望み薄ではあるがお願いをしてみる。
「その、マーコスさんが解読したという文字を見せてもらえませんか?」
「うーむ………よし、分かった。じゃが、これを見たことは他言してはならんぞ?
何でも歴史を左右する重要なものらしくての、文字でさえ誰かに見せてはいかんのじゃ」
「えっ!そんな大切なものを僕なんかに見せてくれるんですか?」
「勿論じゃよ。さっき儂を助けてくれた礼じゃ。
ほれ、紙とペンはあるかの?」
俺がマーコスの返答に驚きつつも急いでペンと紙を取って来ると彼はゆっくりとペンを動かし出した。
俺はその紙に齧り付くかのごとく、書かれる文字に集中する。
しかし、その集中はすぐに掻き消された。
マーコスが書いたのは「A」であった。
書き順を完璧に無視していたが、確かに"元の世界"のアルファベット、Aだ。
しかし、マーコスは俺の驚きを他所に更に文字を書き続ける。
そして5分としないうちに26文字、AからZまでを書き切った。
大文字と小文字が入り混じっていたが、確実に俺の知るアルファベットだ。
「ほれ、これが文字じゃよ。といっても、分かりはせんじゃろうがの」
「……あの…その、遺跡に書いてあった文章か絵を見せて貰えませんか?」
「ふむ、それはダメじゃな。さっきも言った通り、本当はこの文字を見せることすらは許されておらんのじゃからの。
それに絵はともかく文字も分からんのに文章を見てどうするんじゃ」
「そ、そうですよね、あはは」
不器用に苦笑いをする俺を見て、マーコスはフッと笑うと椅子から降りた。
そして腰をさすりながら窓の方を見て言う。
「さて、もう遅いし、儂はお暇しようかの。
…アルム、しつこいようじゃが、あの文字のことは他言してはならんぞ?」
「はい。誰にも文字のことを漏らさないと誓います」
「うむ、頼んだぞ。今日は久々に楽しい思いをした。セーラにも宜しく言っておいてくれるかの」
「分かりました。今日はありがとうございました。お気をつけてお帰り下さいね」
「ほっほっほ、アルムは本当に大人のような話し方をするのぉ。
あ、そうじゃ。おぬしら、明日の放課後中庭に来てくれんか?
少し付き合って欲しいことがあるんじゃ」
「はい、分かりました」
「では、また明日の」
「はい、お気をつけて」
帰り際のマーコスに出来るだけ自然な笑みでそう返す。
そして扉が締まりきると、俺はリビングに戻り椅子に座って頬杖をついた。
今か今かと待ちわびる脳をようやく働かせるのだ。
マーコスの言った付き合って欲しいことや、俺の下僕疑惑も気になるが、今はそれどころじゃない。
文字だ。元の世界の文字について考えなくてはならない。
俺は頬杖をついたまま、アルファベットから考えられることに思考を巡らせた。
=====
それからどれくらい経ったのだろうか。
既に窓から見える外の景色は暗い黒一色の世界だ。
ふと壁の掛け時計に目をやると夜の10時を指している。
マーコスが帰ってから大体2時間程が経っただろうか。
取り敢えず一旦ここで、俺が考えたことについてまとめてみよう。
最初に、マーコスの書いたアルファベットから分かることは、俺と同じ"元の世界"からの転生者か転移者がいたということだ。
文字の残されていた遺跡は壊れかけていたらしいから、この人物は大分昔に来たのだろう。
次にその人物についてだが、考えつく人物は夢の中に出て来た青年しかいない。
とはいえ、その青年は単にマーコスの想像した架空の人物である可能性もあるため、あまり推測はできない。
というか、その青年が実在する人物だとしても他人の夢の中に出現するなんて、もはや人外だ。
更にいえば青年が文字を残した可能性は限りなくゼロに近い。
現在のマーコスの年齢が推定75、6歳といったところで、マーコスが2回目に遺跡を訪れたのはその15年前だから60歳前後。
そして最初に遺跡に入ったのが30過ぎであるため、文字を見つけたから2回目に遺跡を訪れるまで30年近くの間がある。
仮にマーコスが最初に遺跡に入った時に文字が残されたとして、それを生まれて間もない夢の中の青年が残したとしてもその青年がマーコスの夢の中に出てくる頃には30過ぎのおじさんだ。
まぁマーコスには青年に見えただけで実際はおじさんだったかもしれないし、第一自由に夢の中に出入りできるなら時間を超越することぐらい出来そうだからあまり確かな推測ではないが。
更にここからは推測に推測を重ねることになってしまうが、青年が実在して、夢の中でマーコスにお告げをしたとした場合、『あの文字のことをよろしく頼む』とは一体どういう意味なのだろうか。
まず、よろしく頼む、なんて抽象的にも程がある。
いきなり人の夢に現れてお告げをしたにしてはやる気のない奴だ。
文字のことを誰かに伝えて欲しいのか、それとも単に解読して欲しいのか、全く意味が分からない。
条件の少なすぎる問題に苛立ちを隠せず、俺が机を指で叩いている内にウトウトしてきた。
まだ日も変わっていないのだが、この体はあまり長くは活動できないのだ。
しかしまぁ俺だって今すぐに答えが出せないことは分かっていた。
今日のところは一度睡眠をとって、また明日冴えたところで考え直すことも大切だろう。
そう自分をなだめて、俺は自分のベッドに潜り込んだ。
=====
次の日、無難に1日を終えた俺とセーラは軽い足取りで中庭に向かっていた。
今朝セーラに、放課後にマーコスと会うということを話すとそれはもう飛び跳ねながら喜んでいた。
余程マーコスのことを尊敬しているのだろう。
それも当然だ。
マーコスは最早偉人と言える。転生者だから分かることだが、英語をゼロから、しかもたったの4年で解読したのだというのはとんでもない偉業だ。
そんな偉人から態々会いたいなんて言われたらはしゃぎもする。
因みに俺は一旦文字と可能性について考えることを辞めることにした。
いくら考えても無駄なのだ。
可能性は幾らでも思いつくが、それらはどれも確証のない不確かなものに過ぎない。
そんなものを追い求めるために時間を使うならば、他のことに使った方が良いに決まっている。
そして今、俺たちはマーコスの"付き合って欲しいこと"というのに期待で胸を膨らませながら中庭に出た。
庭を見渡すと丁度庭の中心辺りでマーコスが手を振っている。
それを見つけたセーラが走り出し、それにつられて俺もマーコスの下に駆け寄った。
「いやぁ、態々悪かったの。…アルム、大丈夫か?」
「はぁ、はぁ、大丈夫、です。それよりも、はぁ、マーコスさん、付き合って欲しいこと、というのは?」
「そうじゃたな。と、その前に、お主ら魔法祭には選手として出るのじゃろ?」
「勿論よ!!」
「すー、はぁー。はい、出ますよ」
ようやく息を整えてからそう答えた。
魔法ばかりで運動不足だったのか、俺は体力がない。
そろそろ魔法だけじゃなく、何かしら運動をする必要があるな。今それを痛感した。
情けない自分を悲しむ俺をよそに、マーコスは俺たちの返答を聞いて嬉しそうな顔をして言った。
「そうか!そうか!よし、それならこれからお主らと模擬戦といこうかの」
「「は!?」」
マーコスの唐突な申し出に俺たち2人はキョトンとした顔をした。




