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「スポットライト」  作者: みふら しがゑ
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知らされなかった事実

両親は僕の帰郷をとても喜んだ。実家に帰るのはもう7、8年ぶりになる。時々は両親が上京して僕に会いには来ていたが、こうやって生まれ育った家で両親と会うのは、また格別な思いがあった。

 「すぐるが月々送ってくれるお陰で、お父ちゃんも私も、お蔭さんで楽させてもらいよるよ。野球を辞めた時はこれから先どぎゃん事になるかお父ちゃんもお母ちゃんも心配して神棚さんに毎日拝んどったばってん、ほんに、捨てる神あれば拾う神やね。日々感謝しとかなつまらんよ。」

 「捨てる神あれば拾う神ありか…。」

 全てはあの日から始まった。あの日僕は捨てる神に出会って、そしてポウは拾う神に出会った。そして今度は僕が「写真」という拾う神に出会った。

 母の懐かしい手料理を食べ、相変わらず母と僕の会話に相槌しか打たない父親と晩酌しながら夜は更けていった。

 家は何一つ変わっていなかった。ただ、その昔ジャブジャブと潜水ごっこをしていたお風呂は体を小さく丸めないと入れなかった。僕はその頃の僕を想い出す様に窮屈な湯船に、ゆっくりと体を沈めた。

 部屋に戻るときちんと布団が敷いてあった。昔はこの部屋に一人で寝るのが怖くて、夜中によく母の布団に潜り込んだものだ。

 僕の布団の枕元にバスタオルが数枚重ねてある。どうやらこれが、ポウのベッドらしい。

 「おふくろの気持ちを汲んで今日はここで寝てやってくれよ。」

 ポウは全くそれを無視して僕の布団に入り込んで来た。布団も昔と同じ匂いがした。


 九州への滞在予定は3日間だったが、母が近所の人達を招待して僕を紹介したり、近くにできた新しいショッピングモールに行こうと僕を誘い出したりと、それこそ母中心のイベントをたくさん組んでいたので、3日間はあっという間に過ぎていった。


 「とおる、どうしてる?」

 明日の昼には東京に帰らなければならないという日の夕食の時、僕は思い切って母に聞いた。

「吉村とおる」彼とは同じ野球部のエースとして苦楽を共にしてきた。中学の3年間同じクラスだったが、確か中学校1年生の時に新任の先生が「すぐる」と「とおる」という特に似てもいない名前をいつまでも覚える事ができず、僕を「とおる」、彼を「すぐる」と呼び間違える事が多くてそれで何となく親しくなった様な記憶がある。最も、二人とも野球部に入部してからは彼は守備のエース、僕は投球のエースという事で校内の人気を二分していた事もあり、色々な意味でのライバルであった。そしてまた、一番の親友でもあった。僕が東京の高校に野球で進学が決まった時も一番喜んでくれたのは彼だった。当時彼の家は色々と大変だったらしく、彼は夜間の高校に進む事を決めた。

「野球はどうするんだよ?」

今思えば俺のぶしつけな質問にも彼は笑って

「まぁ、これが俺の運命さ。」

と軽く受け流した。当時の家庭環境が彼をそうさせたのかどうかはわからないが、彼は色々な意味で大人だった。そして、何故か「運命には逆らえない」という哲学を持っていた。彼にはとにかく友達が多かった。僕はどちらかというとあまり友達を作るのが得意ではなく野球部という限られた場所でしか友達を作る事ができなかったが、頼まれれば嫌とは言えない彼の性格や、又、自分を頼ってきてくれた友達に必要以上に心底力を貸し相談にのってあげる優しさからか、彼は驚くほど顔が広かった。僕が上京してからもしばらくは手紙のやりとりが続いたが、男ってものはなかなかの筆不精でそのうちに手紙のやり取りもなくなり、いつしか全く連絡も取らなくなっていた。丁度僕が怪我でごたついていた頃に、誰からか「彼が高校卒業後独立して会社を興し、その後結婚した」と聞いた。相手は「星野由香里」同級生だった。

僕が育った田舎では、学校も就職も同じ町でという事が多く、当然結婚相手も同級生というのも珍しくはない。僕にとっては人生で一番大変だった時期だったので、その当時はあまり彼について深く考える事ができなかった。ただ、星野由香里という名前を聞いたとき、一瞬誰だか思い出せずにいた。そして、「ずいぶん地味な子と結婚したな」と思ったのを記憶している。彼はスポーツも勉強もできたし、当時とてももてていた。その彼が星野を選んだ事がとても不思議だった。

その後僕が写真家への道を選択し、僕自身に余裕ができた頃、一度何かの用事で実家に電話した時に彼の消息を母に尋ねた事があった。が、母は言いにくそうに

「とおるちゃんも色々大変そうやけん。」

と言ったっきり何も言わなかったので、又家庭内での問題か離婚話でも出ているのかとそれ以上は聞かなかった。ただ今回久しぶりに帰郷してみて、せっかくだから一目だけでも彼に会ってから東京に帰りたい気持ちが高まった。

「それで、とおるは今どうしてる?」

僕の再度の問いかけに、その場に何とも言い妙な空気が流れた。

「死になさったたい。」

母親が重い口を開いた。

「今、何て言うた?。」

僕は驚いて聞きなおした。

「電車に飛び込んで死なっしゃった。とおるちゃんは昔から頼まれたら嫌ち言えん性格やったけん、知り合いから借金の保証人になってくれち頼まれて二つ返事で印鑑ば押したとよ。当時はとおるちゃんの会社も良かったけんね。そしたら相手がすぐに逃げてしもうたとげな。後になって保証人になった金額も、とんでもなか金額やっちいう事がわかってから、とおるちゃんもショックやったとやろ。それでも「良か、俺が頑張れば良かっちゃけん」て言うてからほんに頑張りよったとよ。そばってん、不景気が続いてから、もうどんこんしょんなかったとやろ。まだ若かとに、とおるちゃんのごたる良か人が…。ほんなこて可哀想か…。」

母の言葉はそれ以上続かなかった。うつむいてただ涙を流しているだけだった。

「いつんこつね?」

かろうじて言葉が出た。

「あんたが賞ばとってから3年もたっとらんやったろうかね、お父ちゃん?。」

父は茶の間に飾ってある野球部員の集合写真を見ながら黙って頷いた。


 「言うてくれれば良かったとに…。」


 やるせない思いでそのまま外に飛び出した。ポウが僕の後をついてきた。月の光が明るく照らす道を、僕はただただ歩いた。そして、心配そうに僕の後をついてきたポウに言った。

 「ポウ、僕の親友が死んじゃったんだって。」

 月が照らしてできた僕とポウの影が、ゆらゆらと静かに揺れていた。

 「とおるが死んだ。自殺した。」


 家に戻ると風呂にも入らず布団に入った。田舎ながらの静かな夜だ。

 「起きとるね?」

 母が部屋に入ってきた。母に背を向けたまま寝たふりをしている僕に母は言った。

 「とおるちゃんの事、言わんでほんと、ごめんやったね。そばってん、あんたにどげん言うて良かか、どうしたってわからんやったたい。とおるちゃんね、あんたが東京に行った後もちょくちょく家に来てくれよったとよ。

「母ちゃん、すぐるがおらんで寂しかろ?」

って言うて。あんたが怪我して、まだどうするかわからんやった時は、気ば遣ってくれてから、家から美味しいつまみば持って来て「父ちゃん、すぐるの代わりに俺が晩酌につきおうちゃるたい」て言うて、お父ちゃんと飲みよったとよ。私達にとっても息子のごたる存在やったとに。あの時言うてくれたらば、いくらでん都合つけてやったとに。あの子は、自分が辛かとは、絶対言わんでから…。心がもぎ取られるごたった。とおるちゃんの事ば知ったっちゃけん、お墓にでも参ってから帰らんね。」

 「言われんでも、そうするつもりやった。一人にしとってくれんね。」

 涙で声にはならなかった。

 受賞して3年といえば僕は先生と呼ばれて浮かれていた時期だ。そんな時期にあいつは死んでしまった。なぜ今まで知らなかったのか、どうして、せめて心だけでも彼の死を感じてあげる事ができなかったのか。僕の体は地に沈み込んでいく様だった。


 翌朝、菅ちゃんに電話して滞在を一日延ばす事を告げた。

 「先生、やっぱり実家がいいでしょう?まさかその歳でホームシックになったんじゃないでしょうね?」

 いつもの調子で話しかけていたが、電話の向こうの僕の様子がおかしい事に気づくと、

 「わかりました。用事が済んだらお電話下さい。」

 とだけ言うと電話が切れた。


 母によると、とおるのお墓はうちからそう遠くない場所にある様だった。

 「ポウも連れて歩いて行って来る。」

 タクシーでも使った方が早く見つけられるのかも知れなかったが、彼との想い出を探して歩きたい気分だった。

 荒れ果てた畑、小さな川、くずれそうな農具小屋、それぞれが昔よりは歳をとってはいるものの、見渡す風景は過去のそれとあまり変わらなかった。

しばらく歩くと河原へと出た。僕は足を止めた。ここはとおるとよく一緒に練習をした場所だ。部活が終わってへとへとになっているのに、ああでもないこうでもないと言っては足が立たなくなるまで練習した。暗くなってボールが見えなくなると二人して河原に寝転がって取り留めのない話をした。ここは何一つ変わらない。ただとおるがいなくなっただけだ。

 あの時のとおるを感じたくて河原に寝転がった。空はどこまでも青い。

 「ポウ」

 それまで黙ってついてきていたポウが左の方角を見て鳴いている。何気なくその方角を見ると女の人が一人、膝をかかえて座っているのが見える。ポウはどうもその人が気になるらしかった。

 「どことなく寂しげな人だな。」

 次の瞬間、僕は勢い良く立ち上がった。「由香里だ。星野由香里だ。」

 すごい勢いで自分に近づいてくる男を見て一瞬ひるんだ様な表情を見せた由香里はそれが僕だと分かって、驚いていた。

 「すぐる君…?いやー、帰って来とったと?。」

 過ぎた月日が彼女をそれなりに変えてはいたが、うつむき加減に話す話し方は全く変わっていない。」

 「とおるの事昨日聞いた。何も知らんでごめんな。残念やったな。明日東京に帰るけん、その前にとおるのお墓に参らせてもらおうと思ってここまで来た所やった。丁度良かった。お墓まで案内してくれんかいな?」

 由香里は一瞬言葉につまって、それから言葉を選びながら言った。

 「あの人は…、ほら、あげな亡くなり方したけん、まだ何となく吉村家のお墓に入れきらんでおるとよ。あの人のお骨はまだうちに置いとるけん、もしすぐる君が良かなら、今からうちに来てとおるさんに会ってやってくれんね?」

 僕は黙って頷いた。

 家までの道すがら、由香里は僕の知らない中学卒業後のとおるの事を話してくれた。とおると由香里は同じ夜間高校を卒業した。そして高校卒業と同時にとおるは建築関係の会社を興した。その時、その当時卒業してもただ一人就職先が見つからなかった由香里を、自分の会社の事務員として雇い入れた。高校では同級生というだけで話す事も少なかったのに誰からか由香里に就職先がないという事を聞いて、わざわざ彼から電話をしてきたそうだ。そしてそれが二人の出会いとなった。結婚してしばらくは景気も良く、新築の大きな家も建て、例の保証人の件が起きるまで、本当に幸せだったそうだ。しかしとおると一緒に暮らしたというその家は、とうの昔に借金のかたに取られてしまい、今は由香里と8歳になる一人息子の伸夫のぶおと共に暮らしているという事だった。


 今や都心では長屋というものになかなかお目にかからないが、この辺りではまだたくさんの長屋が建っている。長屋の一角の、その中でもひときわ小さくて古い長屋の前で由香里が足を止めた。

 「ここよ。狭くて汚かばってん、かんべんしてね。」

 家に上がりこもうとした時、坂の上から転がるように男の子が下りてきた。

 「おかーちゃーん。今日はもう、仕事、終わったとー?。」

 その子の笑顔を見た時、僕は間違いなくあの頃のとおるを見ていた。思わず両手で彼の頬を抱いて、じっと顔を見た。物怖じしない伸夫はニコニコと笑っている。笑った時の目尻の下がり方、ところどころ薄い眉、歯の生え方までもがとおるにそっくりだった。

 「おじさんに挨拶ばしんしゃい。」

 伸夫はペコリと頭を下げた。顔は相手にむけたまま腰から上だけをペコリと下げる挨拶の仕方までとおるに似ている。伸夫は由香里の手を握ると嬉しそうに家に入って行った。


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