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「スポットライト」  作者: みふら しがゑ
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偶然という必然

その日から僕の生活は一変した。まずは、様々な会社から僕のマネジメントをさせて欲しいと電話が鳴った。もちろん、どこの会社がどれだけの事をやってくれるかなんて、全くわからない。とりあえず連絡先だけを聞いて「折り返し連絡します」と電話を切った。

 20社以上から電話をもらったと思うが、その折り返しの電話番号の中で僕は気になる電話番号を見つけた。下4桁が8918になっている。89は野球、18は和葉かずは、診察室で涙を流し、両親にお詫びの電話を入れてくれた監督の名前であり背番号だ。

監督は「和葉」という字を書くのが面倒だった様で、何にせよサインが必要なときは「18」と書き、当然背番号も「18」にしていた。あの日診察室でうなだれていた「18」の背番号を思い出し、僕の心は熱くなった。そして僕は、おもいがけず監督に再会した様で、そのメモを手に取った。

 「ポウ、どう考えてもここだよな。」

 その会社「エイトナイン」はできてまだ2、3年の小さな会社だった。僕が「エイトナイン」に、マネジメントをお願いするなんて夢にも思っていなかった様で、たまたまアルバイトの女の子が何となくかけてきた電話が今回の出会いとなったのだった。

 「菅原と申します。いやぁー、まさか本当にうちみたいな会社にまかせて頂けるとは…。でも、こうなった以上、死ぬ気で頑張ります。」

 僕より3歳年下というその若い代表取締役は日焼けした顔に白い歯を出して笑った。

 「死ぬ気で頑張る。」か…。監督が良く言ってたな。あれからまだ1年もたっていないのに、もうずいぶん昔の事の様に感じる。

そしてまだ、僕は野球への未練も捨てられずにいた。

 簡単な契約を交わした後、僕はどうしても気になっている事を聞いてみた。

 「菅原さん、お宅の会社の電話番号も89、社名も89(エイトナイン)ですよね。何か意味があるんですか?」

 彼は照れくさそうに笑いながら言った。

 「先生、実は僕はこうみえても高校までプロの野球選手を目指していたんです。結構そこそこいけていたんですが、大学進学を前にして、まぁ、いわゆる難病とうやつにかかってしまったんですよ。少しづつですが、神経が機能しなくなる病気です。今は医学の進歩のおかげで薬で病状をおさえる事ができますが、当時はその薬も使えなくて、僕は泣く泣く野球をあきらめました。」

 一瞬彼の目が赤くなったが、まるでそれがなかったかの様に彼は続けた。

 「最初、死のうかと思ったんですよ、ホント。でも、僕のそばで一緒に泣いてくれている母を見たら、それは絶対できなかった。僕は今、この町のリトルリーグの監督をしているんです。どうしても野球から離れられなくて。再びボールを握る勇気を持つのに3年もかかりました。」

 そして真正面から僕を見て言った。

 「野球が好きなんです。だから、野球選手にはなれなくても、全く違う職業に就いても、常にそれを思い出せる名前をつけたかった。僕の野球人生を、なかったものにはしたくなかった。」

 それからフッと優しい笑顔になって恥かしそうに言った。

 「本当は8989で野球野球にしたかったんです。だけどその番号を買うお金がありませんでした。だからせめてもと下4桁の頭を89“野球”にしたんです。後の18は無理やり“いいわ”だと思ってます。まあ、頭に89があって当時あまっていた番号はこれしかなかったんで…。」

 話し終えた彼を見て、僕は黙って右手を差し出した。信じてやってきた事を諦めるという結論に至った彼の気持ちは今の僕には痛いほどわかった。「死ぬ気で頑張ります。」は彼が長い間送ってきた野球人生から得た最高の頑張りますの表現だ。彼は過去を乗り越えて現在を生きている。彼が買えなかった下二桁の89の番号は、偶然で18になった。そしてそれは奇跡的に18(和葉)、監督につながった。そして僕はここにいる。その18の奇跡が僕達の出会いだと、僕は無性に彼に話したかったが、僕にはその勇気がなかった。彼の様に笑ってそれを話せる自信が全くなかったからだ。


 「ポウ、狭くて古くて小さい会社だったけど、とてもいい会社だったよ。僕は上手くやっていけそうだ。」

 家に帰ると僕は言った。

 ポウはゴロゴロと喉をならして、目を細めた。


 「エイトナイン」は菅原さんが言った通り、死ぬ気で頑張ったらしく驚く程たくさんの仕事をとってきた。毎日毎日色々な被写体を写真に収めた。僕は例のカメラを使い、左手でだけでカメラをかまえて、右手でシャッターを押した。右手首の痛みは、もうずいぶん前になくなってはいたが、今までの野球人生で僕を支えてくれた右手に栄誉を称える意味でも、どうしても右手にシャッターを切らせてあげたかった。

毎日毎日写真を撮るうちに、僕は写真に夢中になっていた。あの日大先生が言っていた事は本当だったのかもしれない。カメラを持つと、僕は時間を忘れて取り続けた。気がつけば朝になっていたなんて事はしょっちゅうだった。

「エイトナイン」が取ってきてくれる仕事の中でも僕は動物を撮る仕事が一番好きだった。ファインダーを覗いていると、まるで動物と会話ができるみたいな錯覚に陥った。自然な姿が良かった。肩の力をぬいて、人間もまた、そう生きるべきだと思った。

菅原さんの助言もあって、写真には必ずタイトルをつける事にした。動物の何気ない姿に僕なりのタイトルをつけた。そのうちに僕の写真は新聞や雑誌にのり、多くの人が目にする事になった。そして、例のピンボケちっくな写真がほんわかと人の心を和ませると評判になり、僕はいつの間にか、名前を聞けば誰もが知っている有名写真家になっていた。

 作品と僕の名前が有名になるにつれて僕を取り巻く環境は大きく変わっていった。6畳一間のアパートから2LDKのマンションへ。2LDKのマンションから4LDKのスタジオつきマンションへ。そして田舎の両親へは二人で暮らすには充分なお金を仕送りできるまでになった。あれから5年、変わっていないのは、監督への想いと、ポウがここにいる事の二つだけだった。


 「そろそろ長期休暇でもとったらどうですか?」

 写真家になって一度も長い休みをとっていない僕に菅ちゃんが言った。もっとも「死ぬ気で頑張ります」の言葉通り、死ぬ気で仕事をとってきてくれた彼らに、僕も死ぬ気で頑張って答えた。気がつけば「エイトナン」も小さな雑居ビルから都心のおしゃれなビルへと拠点を移していた。「菅原さん」もいつからか「菅ちゃん」に変わった。

 「そうだな、少しゆっくりしようかな。」

 「そう言うと思ってました。」

 菅ちゃんは僕に封筒を差し出した。開くと九州までの往復チケットが入っている。

 「ご両親、いつも心配なさってます。たまにはご実家に帰ってあげて下さい。これがワタクシ代表取締役が先生に休みを取っていただく条件です。」

 そう言ってニコリと笑った。


 母はどうやら時々会社に電話をかけているらしかった。「息子ばよろしゅうお願いします。」が口癖の様で、一時期、事務所の若い子達が、かなりあやしい九州弁を使って会話しているのを耳にした。ある時などはたまたま事務所に寄った際に、その都心の一等地とは全く似合わない、らっきょうの匂いがフロア中に充満していて「何事か」と聞けば、田舎の母が手作りのらっきょうを送ってきたという。あまりの匂いの強さに最初は手を出さなかった若い女の子も、母のらっきょう攻撃に負けてとうとう一粒食べた所、その味に魅了され、最近では僕を見かけると、

 「先生、お母様にらっきょうの時期はまだですか?とそれとなく聞いて頂けませんか?以前送ってもらったらっきょう、もうほとんどないんです。事務所の子達で一日一人3個と決めていたんですけど、どうやら残業中にみんなこっそり食べているみたいで。あー。待ち遠しいわ。」

 と言うまでになった。今どきのとてもきれいで可愛い女の子が、お昼時にらっきょうをボリボリと食べている姿もおかしいが、30近い大人をつかまえて、「息子をお願いします。」もないもんだ。

 そんな事を思い出していると、

 「先生、頼みますよ。ポウも一緒に飛行機に乗れる様に手配済みです。どうぞごゆっくり親孝行なさってきて下さい。」

 親孝行にアクセントをつけて、菅ちゃんが、ニヤリと笑った。


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