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「スポットライト」  作者: みふら しがゑ
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出会い

気がつくと小さな公園に来ていた。こんな大雨の中、傘もささずに立ちすくんでいる僕を相合傘のカップルが怪訝そうに見ながら通り過ぎて行く。

 ふと見るとベンチの脇に小さなダンボール箱が置かれていた。重い足をひきずりながら近寄ると、中でごそごそと動く音がする。雨に打たれて崩れかけているダンボール箱を開けると、そこには白と黒のぶち猫がブルブルと体を震わせて座っていた。まだ、子猫の様だ。急に天井を開けられて眩しいのか、目を細めて僕を見ている。大きな雨の粒が猫の毛に当たり始めた。

 「ここにいても濡れるだけだぞ。どこか濡れない所を探すんだな。」

 そう言って箱から猫を出してやり立ち去ろうとした時だった。猫がひょこひょこと僕の後をついて来た。右の前足を怪我しているのか、関節の所に全く力が入らず前足をかばいながら歩いている。かろうじて僕の近くに歩いてくると僕の顔を見上げて「ポウ」と鳴いた。声帯にも異常があるらしかった。

 「お前も俺と同じか。」

 ずぶぬれの猫を抱きかかえると雨の中をまた歩き出した。


 アパートに戻ると僕は猫の体をふいてやった。

 「待ってろよ。今医者に連れてってやるからな。」

 今日僕の身にふりかかった事を考えると猫どころではないのかもしれなかったが、僕と同じ様に怪我をしているこの子を、このまま放っておく訳にはいかなかった。

 急いでシャワーを浴びると、僕はタクシーで近くの動物病院に向かった。猫は車の中でも僕に助けを求めるかの様に「ポウ、ポウ」と鳴いていた。

 動物病院に来たのはその日が初めてだった。受付の奥にはたくさんのカルテがあいうえお順にきれいに並べてあるのが見える。診察を待つ間、問診表に記入を求められた。

 生年月日、不明。年齢、不明。ペットの名前、

 “不明”と書こうとして、いくら何でも名前も不明では不憫な様な気がして、「不明」と書く手を止めた。

 「名前…。ポウ」

 我ながらいい名前だ。僕はフッと笑った。

 診察をしてくれたのは白髪の髭をたくわえたおじいさん先生だった。

「あー。複雑骨折ですな。これは、4、5日たっとるよ。まだ小さいし、手術して、上手く歩ける様になるかどうかは分からんなぁ。喉?これは生まれつきだな。事故かなんかにあって上手く歩けん様になった猫を飼い主が捨ててしまう事にしたんじゃろう。信じられないがこういう事、結構あるんじゃよ。でも、あなたがこうやってここに連れてきてくれた。捨てる神あれば拾う神ありじゃな。」

 先生はカルテを書いていたペンを止めて僕を見た。

 「飼いきれないのだったら、ここでしばらく預かって新しい飼い主を探す事もできるが、どうするかな?」

 僕のアパートはペットを飼ってはいけない。願ってもない申し出だなと思ってもみたが、ポウはまるで僕の心の中をみすかした様にじっと僕を見つめている。

 「2、3日考えてみます。とりあえず連れて帰ってみて、そして次回お返事します。」

 心なしかポウの緊張が解けた様な気がした。

 

捨てられた寂しさだろうか、ポウはまるで僕が昔から飼い主だったかの様に僕にくっついて離れなかった。僕も今日の事、これからの事を考えなければならないのにどこに行くのも足元にからみついて離れない。もっとも6畳一間の狭いアパートだが、トイレまでついてこられたんではたまったもんじゃない。

 「俺、これからどうするんだろ?」

 仰向けに転がってつぶやいた。今まで10年以上野球だけの人生を送ってきた。そしてこれからもそれが続く予定だった。監督からは「最低2球団からのスカウトは間違えない」と言われていたし、事実そういった打診も少しづつ耳に入っていた。


 全く、人生なんて何が起こるかわからない。

「雲行きも怪しいし、今のうちに少し体でも動かすか」と出かけたのが運のつきだった。狭い道で車が自転車に乗った老人と接触し、その老人を支えて僕も一緒に倒れこんだ。あっという間の出来事だった。これくらいの転倒は練習ではいつもの事なのに今日はかってが違った。ひどい痛みが右手首を襲った。

 老人は僕の支えがあって、かすり傷ひとつなかった。

「お年寄りが転倒すると、非常にあぶないんですよ。かすり傷ひとつなかったのはあなたのお陰ですね。」

 駆けつけた警察官が調書を取りながら僕に言った。本来ならば老人に怪我がなかった事を喜ぶべきなのかも知れない。でもその余裕が僕にはなかった。「助けなければ良かった」その後悔だけが僕には残った。


 涙が僕のこめかみを伝ってボトボトと流れ落ちる。すると僕のそばにうずくまっていたポウが僕の涙をペロペロと舐めはじめた。

それから僕の右手に近づくと、ゆっくりと僕の手首を舐め始めた。

 「僕のはいいよ。自分のを治せよ。」

自分の事しか考えられない僕と、自分の傷ではなく僕の傷を治そうとしてくれているポウの違いを考えて、今度は大声で泣いた。

 その夜ポウは僕の布団の中にも入ってきた。もともと動物はあまり好きではなかったのに、どうだろう。ポウがゴロゴロと喉をならしてしつこく僕に体を寄せてくるのを、僕は心地よく感じていた。

 「捨てやしないよ。安心しな。」

 電気を消して真っ暗闇になった部屋で、僕はポウに言った。今までゴロゴロと喉をならしていたポウが一瞬だけそれを止めた。


 それからの僕はポウの怪我を治すのに専念した。野球はやれない、この先の希望もない僕にとってポウの怪我が治るのが唯一の希望だったのかもしれない。そしてまだ、田舎の両親には怪我の事は言えずにいた。

 僕はポウに手術を受けさせる事にした。

 「まぁ、もしかしたら無理かもしれんがな。少しでも望みがあればと飼い主さんが希望されるのであれば、手術をしてみましょう。上手く歩ける様になればいいんだが。」

 先生は言った。

 ポウの手術が終わり、退院の為にポウを迎えに行った僕はポウを見て驚いた。傷口を舐めない様に大きなラッパみたいなプラスチックを首に巻かれていたからだ。ポウはそれが気になって仕方ないらしかった。

 「先生、これ、外してやってくれませんか。この子は自分の傷口は舐めませんから。」

 ケージから出されてプラスチックを外されたポウは上手にトコトコと僕の所に歩いて来た。そして真っ先に僕の手首を舐め始めた。


 それから暫くして僕の手首の包帯が取れた。「日常生活には支障がない。」と先生が言った通り、重たいものを持たない限り、手首に痛みが走る事はなかった。


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