私と、消失
よく眠れぬまま朝が来て、目覚ましが鳴る。
ダラダラと準備をし、朝食を食べる。
母に見せるために持ち帰ってきた、お菓子の化粧箱をもう一度見てみたら、ロゴはやはり黒いハートだった。
家を出て、学校に着く。1限目は数学だ。
かばんから教科書を取り出した時点で気付く。昨日、そんな調子だったから、数学の宿題をするのを忘れていた……。
今から始めても間に合わないが、少しだけでもしよう、とノートを取り出すと、水色だったノートの表紙が、薄い灰色になっている。
隣の席のクラスメイトも同じノートを持っているが、それは水色だ。
そこで何か思いついた。
確か、消しゴムが灰色になった時、上手く描けない事に苛立っていた。
そのあと、カナメにバカにされて、カナメの髪留めが灰色に。
そして怪我をして組み立て辛くなった箱、父の交通事故現場の信号機。
少し前、セイジさんのお店に、理不尽なクレームをつけに来た人がいた。その人が買い物している時は青いシャツを着ていたが、再びクレームを言いに来た時に灰色のシャツになっていた。胸のワンポイントは、同じマークだったのに……。
もしかして、私が嫌な気分になった時の、更に青い物から、色がなくなっている?
そう気づいたものの、どうする事も出来ないし、戻す方法もわからない。
一体、なぜ……?
勉強に身も入らぬまま、その日の授業は終わり、放課後、そのままセイジさんのお店に向かった。
昨夜雨が止み、梅雨明けの宣言があり、一気に本格的な夏の気候。
昨日まで雨が降っていたせいで少し肌寒かったから、そのまま長袖のカーディガンを羽織って今日も登校してきたが、さすがに暑い。
私の嫌いな夏が来てしまった。と、空を見上げた。
今日は快晴と、朝の番組で言っていた。こんなに暑いし、太陽が眩しい。
なのになぜ、曇り空のような色をしているんだろう。
青空がなくなっていた。
私が、夏が嫌いだからだ。
「おぉ、トヨ、今日は早いね。」
相変わらず情けない声だったが、なんだか少しホッとした。
今までこの、青がなくなる事を誰にも言わずにいたが、もう不安で仕方ない。
夏は嫌いだが、青空は好きだ。このまま一生、青空が見れないなんて耐えられない。
父を亡くした時、私を助けてくれたセイジさんなら、また何か解決してくれるかもしれない。
相談してみようと口を開いた瞬間。
「そうだ、今朝ね、僕の家の近くに住んでる主婦さんなんだけど、昔洋菓子店で働いてたって話をしててさ。お子さんも手が離れて、少し仕事をしたいそうなんだ。ウチもありがたい事にお客さんも増えてきたし、ちょっと手伝ってもらおうかと思ってね。」
ケーキに生クリームを絞りながらセイジさんが話す。
「トヨも、もう3年生だし、いつまでもここで居られないだろ?だから……」
言葉を発するより、考えるより、早く両手で机を叩いていた。
大きな音がして、背を向けて話していたセイジさんが驚いて振り返る。
そのままかばんを掴み、私は店から走って出て行った。
主婦さん?手伝い?私が、居られない?
私はもう、要らないの?
涙が止まらない。私は不安で、助けて欲しくて、セイジさんに相談をしようと思ってたのに、なんで、そんな事……。
家に着き、母と顔も合わさず、制服のまま自室のベッドに潜り込んだ。
セイジさんなんて……
散々泣き腫らし、泣き疲れて眠ってしまった。
どこまでも青くて、深い海に沈んでいく夢を見た。
いつまでも底がなくて、息が出来なくて苦しくて、しかも自分の足先や手先が、少しずつ泡になって消えていく。
こうして私は、色を無くし、最後には自分も無くしてしまうんだろうか。
ばたばたと足音が響く。
ドアが開く音がする。
「トヨコ、ねぇトヨコ!今弟から電話があったんだけど、あの、トヨコが働いてる洋菓子店のミハラさん、昨日の夕方事故に遭って、意識不明の重体だって……」
あのまま夢で、泡になってしまえたらよかった。
そう、思った。