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いつか君と光の中で

 「ねえ、僕は誰なのかなあ。どうして僕はここにいるんだろう。」

 不思議な声が聞こえてきた。幼い、はっきりとした子供の声が。

 私は周囲を見回した。都会の真ん中の交差点。子供はどこにもいない。すぐに信号が変わり、大勢の人たちが横断歩道を渡り始めた。私もその中の1人だった。信号が点滅し始めた。私は小走りで渡り終えた。信号が変わると、たくさんの車が走り出した。

 私は立ち止まると、飲みかけだった缶コーヒーを飲み終えた。

 「ねえ、ここはどこなの。お城はどこにあるの。」

 雑踏の中で、その声はさっきよりもはっきりと聞こえた。不思議なことに、声は私のすぐ耳元から聞こえてくる。 

 「助けて、僕を助けてよ。」

 声はさらに大きくなる。私は近くにあった自動販売機の横のゴミ箱に空き缶を入れようとした。

 「嫌だよ、僕が行きたいのは、そこじゃない。」

 空き缶がしゃべった。

 私は手に持っていた、小さな缶コーヒーの空き缶を見つめた。その缶は、夏の暑い午後の陽ざしを受けて、黄金色に輝いていた。それから空き缶は私の手から消えた。

 「ねえ、僕を連れて行ってよ。」

 気が付くと、目の前に、5歳くらいの男の子が立っていた。黒い髪、茶色い肌をして、白い服を着ていた。頭の天辺の髪の毛が、プルトップのように丸くなって黄金色に輝いていた。

 「ね、これなら僕がわかる?」

 「あなたは、誰。」

 男の子は、私の手を指さした。

 「僕はコー。さっきまで、そこにいた。」

 缶コーヒー?まさか、そんなばかな。

 「そうだよ、さっきまで僕の中には、コーヒーが入っていた。」

 男の子はそう言って、私の手を握ってきた。

 「さっきまで、僕は商品だった。でも、今は」

 そこまで言うと、男の子は口をつぐんだ。それから男の子は私にこう尋ねてきた。

 「あなたは誰?」

 「私が誰か、ですって。」

私はしぶしぶ答えた。

 「私は丘野ヒトミ。中学2年生。」

 「ヒトミはひとりなの。」

 「ええ。私、友達がいないの。だから一人で町を歩いているの。」

 「ふうん。じゃあ、自由だね。」

 そう言うと、男の子はにっこりと笑った。

 「そうね。そうだわね。」

 何だか、急に気持ちが楽になった。集団になじめないことや、友達がいないことでくよくよしていた気持ちが消えてしまった。

 「ねえ、僕をお城に連れて行ってよ。」

 「そのお城はどこにあるの。」

 「さあ、僕は知らないんだ。」

 「困ったわね。」

 私たちは手をつないだまま、行先がわからずに道に立っていた。その時だった。捨てられたコンビニの袋から、食べ残しのサンドイッチをつまんでいたカラスと目があった。

 何で。まさか。そんなことがあるはずがない。

思わず目を逸らした。それからまたちらっとカラスを見た。すると、また、カラスと目があった。

 「おい。」

 カラスが話しながら、近づいてきた。

 「俺、カラスの『カースケ』。何か聞きたいことがあるんじゃないのか。」

 私は思いきって、聞いてみた。

 「カースケ、この子のこと、知っている?この子の行きたいお城は、どこにあるの。」

 するとカースケはくちばしでゴミ箱をさした。

 「あんたがまともななら、あそこに捨てるね。でも、そうじゃない奴は、こうやって、どこにでも捨てるのさ。」

 そう言って、カースケはコンビニの袋をくちばしで突き刺した。

 「ま、俺らには、こっちの方がありがたいがね。俺はマヨネーズが好きなんだ。」

 そう言うカースケの嘴には、マヨネーズがついていた。 

 「僕はゴミ箱は嫌だ。」

男の子が言った。その眼には涙が光っていた。涙が黄金色に輝いた。

 「おっと、そうだ。確か、そんな光を見たな。あれは、廃墟になったリゾートホテルの上を飛んでいた時だった。」

 カースケが言った。

 男の子は私に尋ねた。

 「そこ、知っている?」

私はうなずいた。

 「うん。北山の上にある星空ホテルのことだよ。」

 「じゃあ、そこに連れて行って。」

 「わかったわ。バスに乗るけど、いい?」

 男の子はうなずくと、空き缶に変身した。私は空き缶を持ってバスに乗った。20分ほどで、バスは北山の麓に着いた。ここで降りたのは私たちだけだった。町から遠く離れた山里で、周囲には人家もなかった。

 ようこそ星空ホテルへ、という看板が地面に落ちていた。星空ホテルの入り口には、大きな錆びた鉄の門があった。門は閉まっていた。門の前には赤い顔をしたワインの空き瓶が立っていた。空き瓶は千鳥足で近づくと、こう言った。

 「ここは人間はお断りだ。とっとと帰れ!」

 すると、コーは空き缶から男の子の姿に変身して、こう言った。

 「僕はコーだよ。僕はお城に行きたいんだ。」

 『酔いどれ』はびっくりしていた。が、すぐにぼろぼろのコルクの帽子をとると、こう言った。

 「同志。星空ホテルへ、ようこそ。」

 それから重たそうな鉄の門を軽々と開けた。

 「もうすぐ、お祭りが始まるよ。今、ここに居る、この時を祝う、お祭りが始まるよ。早くホテルに行きな。」

 そう言うと、酔いどれは私たちにウインクをした。

 私たちは酔いどれにお礼を言うと、門をくぐった。深い林の中に、細い登り道が続いていた。道の端にはガラスのかけらが並んでいた。ガラスは太陽の光を受けてきらきらと輝いていた。まぶしい黄色の光は次第に夕焼けの赤い光に変わり、私たちが山の天辺にある星空ホテルに着く頃には、満月の光を受けて銀色に輝いていた。

 星空ホテルは巨大な廃墟だった。前庭は雑草が伸び放題、あちこちに壊れた植木鉢が転がっていた。蔓バラ用のアーチは錆びついて、蔦が這い登っていた。噴水はひび割れて泥が溜まっていた。

それでもホテルの窓からは黄金色の光がこぼれ、音楽が聞こえていた。コーとわたしはホテルの中に入った。

 広間では大勢が踊っていた。骨の折れた傘はくるくると回り続け、古びたコードはくねくねとスネークダンスを踊り、シリンダーの壊れたボールペンは見事なストリートダンスを披露していた。

楽団が音楽を奏でていた。柄の取れたフライパンはバック転をしてシンバルになり、穴のあいた樽の上で、くしゃけたペットボトルが跳ねていた。古いパイプの鍵盤の上を、煙突のとれたおもちゃの汽車が走り回っていた。

広間の隅には、たくさんの思い出のものたちが集まっていた。ウレタンのはみ出した熊のぬいぐるみは幼子の思い出を語り、取手のちぎれた旅行鞄は遠い異国の風景を身振り手振りで伝えていた。セピア色の破れた写真はつらかった別れを思い出して涙を流し、色あせたエプロンは祖母の優しさを懐かしんでいた。

突然、音楽が止まった。しんと静まり返った広間に、紺のドレスを着た女王が現れた。その人は星のついたステッキを手に持っていた。

 「星空ホテルにようこそ」

 彼女がそう言うと、一斉に歓声が上がった。

 「私たちには未来はない。ただ、過去があるのみ。だからこそ、今、この時を祝おう。」

 歓声はさらに大きくなった。

 「今日、今がお祝いの時。今、私たちはここにいる。みんな、今、この時を楽しみましょう。」

歓声葉ますます大きくなった。私も思わず叫んでいた。コーも体を折り曲げながら大声で叫んでいた。

再び楽団は音楽を奏で始め、誰もが手に手を取って踊り出した。

 「踊ろう、ヒトミ。」

 「うん。」

 私はコーと一緒に踊り始めた。気が付くと、私はたくさんのものたちと一緒に踊っていた。3本足の椅子や動かなくなった時計、ページの綴じがほどけてバラバラになった絵本のページたち。引っ込み思案な私が、誰にでも手を伸ばし、手を取り合って踊っていた。

 そう、私は今、ここにいる。ただそれだけでいい。みんなと一緒に、今、この時を思い切り楽しむ。自分が何か、回りがどうか、そんなことを誰も気にしていなかった。今は今、私は私、それだけでよかった。私は夢中になって誰とでも楽しく踊った。

 ホテルの中は幸福感でいっぱいだった。

ものたちが幸福感に酔いしれている頃、門番の酔いどれはもつれる足をひきずって、星空ホテルに向かっていた。

「大変だ!奴等が攻めてきた!」

酔いどれは大声で叫んでいた。

「大変だ!大変だ!」

その酔いどれの背後から、ブルドーザーやパワーショベルカーなどの重機の一団がガラスの破片を踏みつけながら頂上のホテルに向かっていた。

 酔いどれの声が風に乗って聞こえてきた。重機の振動も足元から伝わってきた。ものたちは黙り、止まり、恐怖に慄き始めた。広間にあふれていた幸福感が不安と恐怖に変わった。

 女王が叫んだ。

 「私たちに乾杯!今、この時に乾杯!」

 その時、どおんという大きな音とともに、ホテルの壁が崩れ落ち、巨大な鉄球が姿を現した。鉄球は何度も壁に当たり、壁をどんどん崩していく。

コンクリートの塊が落ちてきて、多くのものたちが下敷きになって呻いていた。ものたちは 悲鳴を上げて逃げ惑った。その中央で女王は星のステッキを持って、なおも叫んでいた。

 「私たちに乾杯! 私たちに乾杯!」

だが、その声は重機の騒音にかき消された。

 「逃げて、ヒトミ。早く、逃げて!」

 コーが叫んだ。私はコーに言った。

 「コー、一緒に逃げよう。私と一緒に、ここから逃げよう。」

 すると、コーはこう言った。

 「ううん。僕は逃げない。僕はここに居る。ヒトミだけ逃げて。」

 「そんなこと、できない。だって、コーは私の友達なんだもの。」

 近くで悲鳴が上がった。壁の穴の開いた場所から、ブルドーザ-が突っ込んできたのだ。

3本足の椅子が下敷きになっていた。

 「僕は逃げない。」

と、コーは言った。

 「だって、僕はゴミだから。だから僕はここに居る。だって、僕は僕だから。」

 「違う。コーは私の友達。私はコーと一緒に逃げる。」

 「聞いて、ヒトミ。僕は必ず会いに行く。いつかきっと、黄金色の光の中で、君に会いに行く。約束するよ、だから、逃げて。」

 その時、パワーショベルカーも突っ込んできた。もう、楽団もダンサーも踏みつぶされていた。彼らの残骸をショベルがすくい上げる。

 「コー!」

 私はコーを引っ張ろうと手を伸ばした。   

 その時、鉄球のぶつかる音がして、コンクリートの破片が飛んできて、私の手に当たった。

 「痛い。」

 私は思わず手を引っ込めた。さらに大きなコンクリートの塊が私の頭めがけて落下してきた。

 「助けて。女王様、僕の友達を助けて。」

 コーの叫び声が聞こえてきた。

女王は星の杖を振った。杖の先から、たくさんの星屑たちが飛び出した。星屑たちは川になって、私を押し流した。コンクリートの塊は私の横に落ちた。星屑たちは私を包んでどんどん押し流していく。

 「コー!」

私は叫んだ。

 「コー!私の友達!私の大切な友達!」

私が手を伸ばしても、コーには届かない。私は星屑の海に押し流されて、あっという間に、ホテルから遠ざかっていった。



 気が付くと、私はあの交差点にいた。信号が変わり、車が走り出し、熱い排気ガスの匂いがした。歩道の上でカラスが食べ残しのサンドイッチをつついていた。

 「カースケ?」

そう呼びながら私が近づくと、カラスは飛んでいってしまった。

私は缶コーヒーを持っていなかった。缶はどこに行ったのだろう。耳を澄ましても、コーの声は聞こえない。見回しても、私のコーはどこにもいない。

コーに会いたい。

コー、私の友達。

そう呟いた時だった。

夏の暑い陽ざしの中で、新しく買ったキーホルダーの鎖が黄金色に光った。




 


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