元騎士 4 図書館での珍事
ジャンさん視点です。
これが、グレイリッジ大図書館か。間抜けに開いた口を閉じられない。
「なんだこのでかさは……」
これではまるで、図書館というよりは城のようだ。我が国にも図書館というものはあったが、これほどまでに規模の大きいものでは無かった。
いや、きっとあれが普通の図書館なのだろう。これが規格外すぎるだけだ。
「これが、世界一の図書館か」
感慨深く呟き、建物の中に足を踏み入れる。俺の顔が映るほどに丁寧に磨き抜かれた大理石の床がこつん、こつんと音を響かせた。耳に膜を張ったように一瞬で外の音は遠くなり、まるで世界を隔ててしまったようだった。
完全に中に入ると、ひんやりとした空気が身体を包んだ。何か魔法の類いだろうか。外と中の温度差に驚く。外は暑かったので少し寒いくらいだ。
受付のカウンターで待機していた二人の女性が少し驚いたように俺を見た。こんなに目立つ大きな槍を背に負っているんだ。当然の反応だろう。
「……初めての、ご利用でしょうか」
「ああ」
暫く唖然としていた様子の女性たちであったが、俺が前に立つとすぐに我に返り、笑顔で対応した。問いに頷くと彼女は前にあった水晶玉を手で示した。この透明度からして中々価値のありそうな水晶玉だ。魔力の純度が高い水晶は透明度が高い。
「では、カードをお作り致しますのでお手を宜しいでしょうか」
「……カード、」
どういった用途のカードだろうか。全く想像がつかない。シエレードではそういうものはなかったはずだが。しかし、そもそも俺は図書館には数えるほどしか立ち入ったことがないのでこの記憶も確かなものとは言えない。
明らかに女性の言葉を理解できていない俺を見兼ねてか、もう一人の女性が笑顔で俺に申し出た。
「ええ。御存知ありませんようですので、ご説明致しましょうか?」
「ああ、頼む」
女性が言うには、カードが無ければ本を借りることは愚か、この図書館に入ることすら出来ないようだ。そんなに重要なものなのか……。
そのカードを作るには先程の水晶にそのカードの持ち主となる人物の手を翳すだけ、らしい。すると、その人の人物の名と顔、そして職業が載ったカードが出来上がるのだとか。
言葉で言われてもよく分からん。とりあえず言われるがままに手を差し出し、水晶の上に翳す。……一瞬でカードは出来上がった。出来上がった図書カードはそれぞれが管理するのではなく図書館で保管するのだそうだ。
……いったいどうなっているのかと訊ねたところ、原理を説明してくれたがよく理解できなかった。つくづく魔法というものは不思議だと思う。
これでカードの作成は終了した。早速本を読みに行こうと移動しようとすると女性が俺を引き留めた。なんでも本を閲覧する前の注意事項とやらがあるらしい。
「まず一つ、館内ではお静かにお願い致します」
外の喧騒がまた一歩遠退いた気がした。
常識だな。頷くと彼女はまた続けた。
「古書なども御座います故、お取り扱いには十分に御注意下さいませ」
「ああ、わかった」
「それともう一つ」
「初めてご利用なされる方は皆様戸惑われるのですが……」と彼女は苦笑して口を開いた。
「当図書館では本の貸し出しは行っておりません。本の持ち出しはお止め下さい」
「……貴重な本も多いと聞く。盗難防止か」
「はい」
では、あのカードとやらも盗難防止の意味合いが強いのだろう。万が一被害にあったとしても、顔さえ割れていれば尻尾は掴みやすい。
「万が一、本が館外に持ち出された場合は即座に移転魔法が発動し、本だけは此方へ戻って参ります。そして本を持ち出した方は二度と図書カードの登録が出来ません。御注意を」
なるほど、やはり世界一となるとそのための苦労も多々あるのだな。
軽く頭を下げて礼を言う。
「時間を取らせて済まなかったな。ありがとう」
「いえ、どうぞごゆっくり。入口は彼方の通路をお進みになられてすぐにあります」
手で示された通路を突き進む。暫く廊下が続き、重厚な扉が眼前に現れる。少し重いその扉を開けると、大広間のような部屋に出た。
「――――!」
言葉を失った。
“グレイリッジ大図書館とは何か”と訊くと、決まって“世界一の図書館”と返ってくる。
その言葉の意味が、一瞬で理解出来た。
正に“無数”。
見渡す限り本、本、本。よもや本を見ただけで感動する日が来ようとは思っても見なかった。
長机に何冊かの本を開いて何事かを書き留めている者。棚の近くに立ち読みをしている者。様々な者がいるが、この空間はとても静かだった。受付はまだ外に近かったせいか存在感のあるざわめきが微かに耳に届いていたが、此処にはそういった独特の喧騒というものがない。
ただ響くのはかりかりというペンの音と、本のページを捲る音だけ。まるでこの空間だけ切り取られたような、そんな印象を受けた。
この静寂を壊さぬよう出来るだけ物音を立てずに本棚に近付く。木製の本棚の側面にはぐるぐると木目が刻まれており、これもまた落ち着いた雰囲気を抱かせた。
「さて、」
どうするか。とりあえずちょうど目の高さにあった自伝を手に取る。
本を開いて読んでみると、其処には自分の今まで生涯とその中で学んできたかけがえの無いものとやらが記されていた。
「読みやすいな……」
なるほど、報告書のような機械的な文体ではなく、こういった書き方もあるのだな。此方の方が読みやすいかもしれない。
少し参考にしてみようか、と本を手に机に移動した。その際に少しだけ音を立ててしまい何人かの視線が集まった。過ごしにくい場所だな此処は。
椅子に腰掛け、少し横に本を置き、目の前に店で買った紙と羽ペンとインクを置いた。
この本ではまず筆者の紹介から始めている。名前、生年月日。産まれた場所。
だが、俺の目的は自分の存在を世に示すことではなく、国の存在を示すことなのだから、まず初めの一文を国の名前からにするべきだろう。
羽ペンを手に持ち、出来るだけ丁寧な字で書く。汚い。
“シエレード国”
国の名を書き終えた瞬間、何故か激しく紙が燃え上がった。
「むっ……?」
突如として現れた炎に慌てる間も無く炎は紙を燃やし尽くした。周りから突き刺さる怪訝そうな視線が痛い。
不思議なことに燃えていたのは紙だけで、机等には焼け跡一つ無かった。
まさか可笑しなものを掴まされたのだろうかと思ったが、あの気の良さそうな(弱そう、と言うほうが正しいかもしれない)店主がそんなことを出来るとは到底思えない。
一瞬にして1500Eが燃え尽きたかと思うと泣きたくなった。