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元騎士 3      隣国にて



 道中なんのトラブルもなく、俺は書の街と名高いアガリスについた。もうアガリスからは隣国であるガイアント国の領域だ。なんとなくだが空気が変わったように感じられる。しかし、それはほんの僅かであるし、気のせいだろうと思考を果てに追いやった。


 場所は違えど、こうして幸せそうな民たちの笑顔を見ていると、どうしても凡庸ながらも何よりも大切だったと胸を張って言える日々が蘇ってくる。

 頼りにしていると笑った民。憧れなのだと俺を見つめた少年の瞳の煌めき。俺の肩を抱き、背を叩き、いつも傍に在った温もり。……女々しい男め、と小さく呟いた。


 ……あの日、城を襲ってきた魔獣共を率いていたのは悪魔だった。そして奴等は自分たちは魔王の側近なのだとか喚いていた。

 もしそれが本当なのだとしたら、いよいよ魔王の力は活性化してきているということで、本格的に人間界に侵略の魔の手を伸ばしてきているということだろう。

 だというのに、この道中、魔物一匹にさえ遭遇しないとは、どういうことなのだろうか。ただの、偶然だとは思うが……。


 考えていても埒があかない。もともとの用事を済ませようと、俺は早速雑貨屋へと向かった。



◆◇



 小じんまりとしているが落ち着いた雰囲気が漂っていて、中々良い店を見つけたかもしれない、と心密かに思った。店に入った途端、驚いたように俺を見た店主の目も気にならない。

 シエレードの民の平均身長は他国と比べると中々高いらしい。その中でも俺は人一倍飛び抜けていたからきっと目立つのだろう。それに槍も持っている。……傍目から見れば物凄く不審な人物なのではないだろうか。少しだけ不安になった。


 気を取り直して羽ペンを吟味する。紙とインクはもう決めた。羊皮紙もあったが、最近では羊皮紙よりも紙が主流だ。書き心地も紙のほうが良いしな。

 まあ、羽ペン等何を使っても同じかと適当なものを取ろうと手を伸ばす。すると、ある一つの羽ペンが目に入った。

 手に取り、確かめる。ああ、やはり。この羽ペンはよく行商の者が国に運び入れていたものだ。



「……ふむ、」



 これにしよう。それがどんなものであっても、使い慣れたもののほうが良いに決まっている。

 早速俺は店主の元へ品物を持って行った。するとなんと、この店は本当にそのペンが自分に合っているか試し書き出来るという画期的な店らしく、一度書いてみろと勧められた。……何度も使っているものなのだから合っているも何も無いと思うのだが。

 とりあえず勧められるままに羽ペンを持ち、紙に羽ペンをすらすらと走らせた。新品だからそれ独特のペンの固さはあるものの、やはり手にしっくり馴染んでいる。



「……会計を頼む」

「はい、有難う御座います。……、三つ合わせて6000E(エーデル)になります」

「ああ、わかっ……」



 言われるがままに金を出そうとして、思い止まる。今、店主はいったいなんと言ったのだろうか。



「……待て、6000だと」

「はい」

「紙とインクと羽ペンだけで」



 「そうです」とさも当然といったように平然と頷く店主に、頭が痛くなった。……ぼったくりなのではないだろうか。

 それなりの筆記用具を買ったとしても、精々1500E前後だ。6000Eなんて言ったら、宿に二、三泊は余裕で出来るだろう。俺は城仕えの者ではあったが、それくらいの常識は持ち合わせている。



「高過ぎるだろう」

「そうは言われましても……」



 困ったような顔をした店主は辺りに人がいないのを確認してから俺に顔を寄せ、声を潜めた。何かただならぬ事情があるのだろう。



「……実は、最近酷い税金の取り立てが続いておりまして、物価を上げなければ我々は一食を食べるのにも困る有様なのです」

「それは何故だ」



 店主は顔を強張らせ、さらに声を潜めて言った。



「戦争が起きるのでは、と皆噂しております」

「戦争……」

「はい」



 これ以上口を開く気はないらしい。店主は「お買い上げなされますか?」と目だけで訊ねた。少し間を開けて頷く。確かに高い買い物ではあるが、まだ金はある。尽きれば森などで魔物を狩って素材を売れば良い。店主はやや疲れたような顔で笑った。手には素早く丁寧に包装された商品がある。



「すみません、くだらない話を」

「いや……」



 店主から品物を受け取り、念のため紙袋の中身を確かめる。確かに三つある。店主の言葉に首を振り、俺は店を出ようと背を向けた。



「戦争など、我々はどうでも良いのです」



 直後に投げ掛けられた言葉。思わず足を止め振り返った。



「ただ魔物に襲われず、平和に暮らせればそれで……。欲を張りすぎでしょうか?」

「……それで良いのではないか」



 店主は俯き加減だった顔をハッと上げ、にっこりと笑って言った。



「またのお越しを、お待ちしております」



◆◇



 ――ただ魔物に襲われず、平和に暮らせれば――



 店主の言葉が脳裏を過ぎる。

 俺たち騎士は戦争で功績を残し、名を上げ、主君に貢献することこそが誉れであり、最上の喜びだった。


 だが、それは“騎士”にとってであり、“町民”にとってではない。寧ろ、町民にとっては忌避するべき忌まわしいことだ。

 そんな極当たり前のことを俺はこの歳になるまで知らなかった。知ろうともしなかった。己の愚かさに思わず自嘲する。


 きっと、あの店主の言葉こそが、民たちが笑顔の裏に隠し続けていた本音なのだろう。


 シエレードは穏健派ではあったが、それでも戦がないわけではない。昔は豊かな資源を狙った敵国。今は、魔王軍。そんな奴等から国を守るため、戦をしてきた。

 それは結果として多くの民たちを守ってきたが、それでも戦に勝つために多くの民たちが苦しんだのも事実だ。民たちも、それは分かっているのだろう。だから、苦しかろうとも何も言わず、ただ笑い続けた。


 以前隊長は、いつも笑顔でいる民たちに救われたことが何度あるか分からないと俺に溢したが、今ようやっとその真意を掴めた気がする。

 なんということだ。非力だと思っていた彼らは、何よりも強く、己など到底足元にも及ばなかった。



「ん……?」



 己の阿呆さにまた笑う。すると横目に紫の何かが見えた。建築物ではない。少し頭を動かしてその方向を見る。

 其処には手元の地図を覗き込み、時折手持ちのペンで地図に書き込んでは何事かをブツブツと呟く少女の姿があった。なんとも怪しい。

 歳の頃は13、14だろうか。そんな子供が親らしき人間も無く一人彷徨う姿が怪しさに拍車をかけている。



「あれは、」



 風に靡く外套。細い腕に握り締められた魔石が嵌め込まれた杖。

 ……魔法使い。頭の中に一つの単語が浮かんだが、すぐにそれを打ち消す。まさか、魔法使いがあんなあからさまな姿をするわけが無い。治安の悪いところでは魔法使いという噂が立っただけで拐われてしまうと聞くし、そもそも魔法使いがこんなところにいるわけが無い。大抵は何処かに隠れ住んでいるか、何処ぞの国に仕えている。

 ならば、あの少女はいったい何者なのだろうか。魔石まであるとは、随分と本格的だ。


 ……それにしても、



「危なっかしい……」



 実に危なっかしい。地図をずっと見つめているせいで何度も人にぶつかりかけている。こんなはらはらした気持ちにさせられたのは、一人で城下に行ってみたいとおっしゃられた姫を王に命じられて尾行したとき以来だ。今はなんとか避けているようだが、いつか誰かしらにぶつかってしまうだろう。



「……ああ、」



 本当にぶつかった。しかも運の悪いことにその相手はなんとも柄の悪い男だった。

 腕に傷を負っただとかなんとか言って少女にいちゃもんをつけているようだが、己よりも一回り以上小さい相手に軽くぶつかっただけでそれは有り得ないだろう。

 こんなものを目の前で見せられては気分が悪い。仕方がない、助けてやるか。



「すっ……すみません! あの、これで治療して下さい!」

「はあっ!?」

「ええっ!? た、足りませんか!?」



 漸く分かった。あの少女はきっと貴族の娘か何かなのだろう。金に物を言わせてあの道楽を楽しんでいるに違いない。でなければあんな大金を軽く出せるわけが無い。

 金貨五枚。金貨一枚は10000Eに匹敵する。つまり、50000E。きっと大切に育てられてきたのだろうな。とんだ箱入り娘だ。金の価値も知らぬほど無知らしい。


 少女から金をせしめようとしていたあの男まで目を丸くしている。だが、すぐに我に返ると男は下卑た笑みを浮かべながら金に手を伸ばした。

 俺は速足で歩み寄り、その腕を捻り上げた。



「ってめえ、なにしやが……!」

「この腕の何処を怪我したんだ」



 「言ってみろ。本物にしてやる」と脅しかけると、男はひっと小さく息を呑んで走り去った。情けない奴だ。確かに殺気も滲ませたが……。

 少女は驚いた顔で俺を見ており、僅かに頬を桃色に染めていた。この視線はあの少年が俺に向けてくれた憧れの類だろうか。



「そう簡単に大金を差し出すんじゃない」

「……えっ!? あ、え……? す、すみません……?」



 よく分かっていないようだったがとりあえず忠告はしたので背を向け、グレイリッジ大図書館へ向かった。何か参考になる良い資料が見つかれば良いのだが……。

お金の詳しい区切りは次のナミネさんの回で出します。

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