元騎士 12 喪失した手のひら
「シエレードへ、向かおうと思う」
昼食のメニューのうちのひとつである“ミソスープ”なるものを飲み干した隊長が頬に海草をはっつけたまま、そう言い放った。最近、ふたりは東洋の文化にはまっているらしい。そういえば、“言霊”も東洋の者から伝わったものだった。
俺は海草について突っ込んでやれば良いのか、それともその言葉の内容に突っ込んでやれば良いのかよくわからなかった。
「フレディ、みっともないですよ」
副隊長が“ハシ”を置いて、ハンカチで隊長の頬を拭う。隊長は嬉しそうにそれを受け入れていた。多分、副隊長がいなくなってしまえば、隊長は精神的にも生活能力的観点から見ても生きてはいけないのだろうなと思う。
部下たちによると、このふたりのやり取りは独り身の目には痛い光景なのだという。意味がわからないと溢すと「隊長には姫様がいるからわからないんですよ!」と涙ながらに叫ばれたのをよく覚えている。姫がなんだ。
「唐突だな。どうした」
「今朝の朝刊を見て、な。シエレードが、襲撃されたそうじゃないか」
隊長が懐から新聞を取り出して俺に手渡した。
……あのとき、俺が散らばった同胞たちの身体を拾い集めては埋葬していたとき、使者のものらしき遺体はなかった。いくら人間かも判別がつかないほどの肉片と化したとしても、内包する魔力の様子は全く違う。シエレードのものではない、あの魔力の渦巻く姿を俺は覚えていた。その上で、あの使者のものであろう遺体はなかったと、俺は確信している。
恐らく命からがら逃げ出した使者は全てをガイアント王に報告し、そして今、この国に住む者たちに新聞という形となって伝えられたのだろう。
「さすがにあまり詳しいことは書いていなかったよ。詳細を教えてくれ」
「ああ。……――――、」
……気のせいか、今、文面が僅かに動いたように見えた。いや、気の疲れから来る幻覚だろう。気にすることはないはずだ。
「……魔獣に襲撃された。一面を飾っているわりにはまとめてしまえば書いてあるのはそれだけだな」
「……彼らは本能のままに生きているのですから、なんらかの意思を持って人を襲うことはありません。先導していた“何か”が確実にいたはずです。それの姿は見ましたか?」
副隊長の言葉に記憶を掘り返すまでもなく、俺の脳裏にはふたりの男女が浮かんでいた。まんまと罠に引っ掛かった俺を嘲るように笑った、ふたり。
腹の底が、熱い。
「ああ。……悪魔、というものだと思う」
隊長が怪訝そうに片眉を上げた。
「曖昧だな」
「何分、悪魔を目にしたのは初めてだったからな。今までは文献の中だけの存在だったんだ。特徴が当てはまっているというだけで、全く別の存在かもしれない」
「特徴……」
「白髪に、黒い肌?」確認するように呟かれたそれに首肯した。椀などを片付けた副隊長が椅子に座る。
「ディアンゼやシャルティア様、シャンディ様などは、あなたに何か言い残してはいませんでしたか?」
「ああ、シエレードの歴史を遺してくれと……、――――」
「どうした?」
唐突に言葉を止めた俺を隊長が見る。副隊長も不思議そうに俺を見つめている。そんな顔をしたいのは、俺のほうだ。
「……どうして、そう冷静にいられる」
「何が言いたい?」
隊長がせせら笑うようにして言った。彼を咎めるように、副隊長が目線を遣る。
「“これ”を、朝刊だと言ったな」
「ああ」
平然として首肯する隊長。何がしたいのだろう。何を思っているのだろう。俺が何故こんなことを言うのか、わかっていない人でもないだろうに。
「なら、どうしてこの記事を見た時点で行動を起こさなかった。すぐにでも移転魔法で戻ってしまえば良かったものを」
「色々準備があったんだよ」
表情は変わらない。感情の読めない笑顔のままだ。窓外の空の雲行きが怪しくなってきた。まるでこの部屋にも暗雲が立ち込めているような空気の重苦しさを感じる。
「咽び泣けとは言わん。全く動じていないのは何故だ」
「これでも元親衛隊総隊長だ」
「……見知った者しかいないこの場で、感情を隠す必要が何処にあるというのだ」
隊長が面倒臭そうにため息を吐いた。「その態度はいったいなんなんだ」と拳を叩きつけたいのを必死に堪える。副隊長が隊長を引っ叩いたのを見て溜飲が下がった。
「ジャン、どうしたのですか」
「どうかしているのはそちらのほうだろう」
怒りに震えた聞き苦しい声だ。それを発している張本人ですら不快で堪らないというのに、この声を聞かせられたふたりはよくも顔をしかめなかったものだ。
「動揺し、悲しみや怒りに慟哭したとして、それでいったい何が変わるのです」
いつも通り柔らかな口調ではあるが、その内容はとても厳しい。「いつまで子供でいるつもりなのか」と、そう俺を責めているのだろう。
「祷りなど、この報せを知ったときから空へと捧げている」
隊長の握り締めたままの拳が目に入ったとき、俺は言い様のない底知れぬ自己嫌悪に陥った。成人など疾うに済ませている男が、いったい何をしているのだ。まるで子供のように不愉快な感情をもて余したまま周りにぶち当たって、ふたりからしてみればとんだとばっちりだったろう。
「……すまん。最近、何か可笑しいんだ。感情の制御が前よりもきかない」
「シャンディ様を失って不安定になっているのでしょう。責めているのではありませんよ。ただ、もう少しだけ落ち着きましょう」
気遣うように肩を撫で擦る副隊長の優しげな眼差しに、どうしようもなく情けなくなる。
俯いた俺の頭を、タコがある大きな手のひら――現役から退いた今でも欠かさずに鍛練をしているという証だろう。――が、両脇からがっしりと押さえ込んだ。「顔を上げずに、そのまま聞いていろ」小さく頷く。端から見れば滑稽な姿であろうが、こうしておさえ続けてもらっていなければ、また感情が煮え湯のように沸き立ったときに留めていられる自信がなかった。
「これから、シエレードへと向かう」
「……ああ」
「理由は三人への挨拶と、手がかりを探すためだ。移転魔法は用意してある」
「ああ」
「辛いだろうが、一緒に来れるな」
「……ああ」
隊長がリビングの中心に鎮座していた机を横によけると、其処に魔法陣が現れた。副隊長がしゃがみこみ、陣に手を当て魔力を籠める。独特の浮遊感が促す吐き気に、ただただ不快だった。
◆◇
暫くして、窓外の風景が木から崩れた石の壁に変わった。それは嘆きか。彼らから小さく息が漏れた。
「民はどうしました?」
「ひとりひとりの墓を作ってやる時間はなかったから、共同墓地のようなものを作って其処に全員埋めた」
「……ディアンゼたちは?
「生前好んでよく訪れていらっしゃった裏庭に」
黙り込んだままずっと窓からの光景を覗いていたかと思えば、突然隊長は家の外に出た。副隊長と俺もそれに倣ってついていく。
「何処へ」と訊ねても何も言わず、もしやこの地に渦巻く怨嗟の念に取り憑かれてしまったのではと思うほどの豹変ぶりであった。
だが、すぐにそれはないと思い直す。彼は、哀れな死者に同調し我を失ってしまうような、そんな弱い心を持った人ではないはずだし、そもそも何も応えなかったのは言わずともわかるはずだという確信と、その余裕がなかっただけなのだろう。
「ディアンゼは、泣いただろうな」
「あの人は泣き虫でしたものね」
ぽつりとふたりが呟いた。崩れた城壁を踏み越え、青空が覗く城内に入り、更に奥に進む。すると、美しい花が咲き乱れる裏庭に出る。表にあった――勿論、荒らされる前の――庭の艶やかさや華々しさには劣るものの、此処に咲く花たちには心を落ち着けるような優しく可愛らしい姿と香りがあった。
奇跡的に、裏庭だけは昔と変わらぬ清浄さを保っていた。だからこそお三方の眠りの地にこの場を選んだのであるが。
……しかし、――。
「…………」
彼らは本当に、眠ることが出来ているのだろうか。
タートルネックに隠れたままの首飾りを撫でる。俺の我が儘で、お三方を引き留めていやしないだろうか。
「ジャン、」
「っな、んだ」
「それは絶対に手離してはいけませんよ」
そう言うということは、彼女はとっくにこの小瓶に詰められたものの正体に気が付いていたのだろう。醜い、執着のなれの果てを。俺がしていることは、死者への冒涜だ。
「……わかっている」
呟くと彼女は満足そうに頷いて隊長の後に続いた。墓前にいる隊長は、お三方に語りかけているのだろうか。それとも、泣いているのか。「お前とフレディは似てるよなあ」橙色に染まった思い出が甦る。あのときは意味がわからなかったが、今なら理解出来る。
「王……、ディアンゼ様、貴方は、」
生前は愛してくれていただろう。大切な愛娘の可愛い玩具として扱ってくれていただろう。
だが、今は?
その恩も忘れたように好き勝手振る舞う俺を、恨んでいるかもしれない。憎んでいるかもしれない。
それでも、頭と頬を撫でる暖かい手を失ってでも、愛しく冷たい三本の腕を離したくなかった。
本格的にジャンさんとナミネさんはお互いがお互いを空気と知覚し始めた模様です。




