元騎士 10 裏切りに隠された秘密(挿絵追加)
片岡さんの友人が挿絵を描いてくれました。
「落ち着きましたか?」
副隊長がマグカップを差し出しながら俺に訊ねる。マグカップの中身は恐らくホットミルクだろう。甘い香りが鼻孔を擽る。どうにも受け取る気分になれず、テーブルに目線を落とした。ぐるぐると渦を巻く木目が更なる俺の混乱を誘っているようにも思える。とんだ被害妄想だ。
副隊長がかけていた眼鏡を外したのが視界の端に見えた。
「温かい飲み物は、気持ちを落ち着かせてくれるそうだ」
一向にホットミルクに口をつけようとしない俺を見兼ねたのか、隊長が呟きながらマグカップを俺のほうに押し出した。
「……先は取り乱してすまなかったな」
「いや、」
沈黙。重苦しい空気が俺たちを取り巻く。副隊長が静かに口を開いた。
「ジャン、先程の言葉は、いったいどういう意味ですか?」
「そのままの意味だ」
「ジャン、――――」
「五月蝿い黙れ!!」
突如として怒鳴り散らした俺に驚いた副隊長がびくりとする。隊長が立ち上がってマグカップを無理矢理俺の口許に押し付けた。
「飲め。飲んで、それから話せ。一切省略せずに、お前が知っている全てのことを話すんだ。良いな」
「…………」
隊長の手から半ば奪い取るようにしてマグカップを受け取って一口ごくりと飲んだ。温度の高い液体が喉を通り体内に吸い込まれていくのが克明に感じられる。なんだか、気持ち悪い。一気に飲み干した。砂糖の溶け残りが舌に纏わりついて、ざらざらした。
俺がマグカップをテーブルに置いたのを皮切りに隊長が訊く。
「まず、……王たちは、誰に殺されたんだ」
隊長は目を伏せている。あの青色は、いったいどんな感情を湛えているのだろう。
「魔王の側近が率いる軍勢――犬畜生共に、だ」
「魔王……!」
副隊長が呻くように言った。信じられないのも無理はない。魔王は大昔の大戦で人間が討ち取ったはずだし、なんらかの方法で甦ったのだとしてもわざわざシエレードのような小国を狙う理由がわからない。
「……その側近とやらはどうしたんだ?」
「わからない。魔獣共を解き放ってすぐに姿を消した」
「…………」
副隊長が僅かに唇を震わせた。まだ受け止めきれないのだろうか。悲しんでいるのか、怒っているのか。次に紡ぎ出されるのは彼らを護りきれなかった俺への罵倒か、彼らの元を離れた自分の後悔の言葉、どちらだろうか。
「他に、変わったことは、」
「ガイアントの使者が訪問している最中に、襲撃を受けた」
「ッなんだと!?」
「フレディ!」
血相を変えて隊長が立ち上がった。そんな隊長を宥めるように副隊長も声を張り上げる。俺の一言でその含まれる意味を理解したらしかった隊長は沸騰した頭を落ち着かせるように深く息を吐いて腰を下ろした。瞳は揺れている。
「城の状況は」
「城の塀などを除いてはほぼ全壊だ。近隣の者は勿論、恐らく遠方の住民に至るまで、全国民が惨殺された。……使者と思われる死体は、なかった」
ふたりの息を呑む音が聞こえる。
使者は、普通武力を持たない人間が選ばれるものである。非力な人間を使者とすることで、“今は此方に戦う意思はない”と示すのだ。それ故の悲劇が起こることも少なくはないが、今は関係のないことだろう。
「では、ガイアントは……!」
「よりにもよって魔族なんぞと手を結び、我らがシエレードを滅ぼすとは!!」
激昂した隊長が真っ赤な顔で拳をテーブルに叩きつけた。テーブルの上に置いた腕からびりびりと振動が伝わる。
「魔族は残虐な行為を好むという」
「ああ。だから……、」
「恐らく、国交のあったシエレードを切り捨てることが魔族側に加わる条件だったのだろう」
副隊長は一拍間を置いて首肯した。隊長がぼそりと呟く。
「――……そうか、そういう考えも出来るな……」
どくりと、身体中に張り巡らされている血管全てが波打ったような、気味の悪い感覚に陥った。
「……どういう、ことだ……」
隊長が呆けたような顔で俺を見て、僅かに顔を歪める。自分でそう口に出したのを自覚していないようだった。
“そういう考えも出来るな”ということは、恐らく、隊長は俺が提示したもの以外の可能性を知っているということだ。
副隊長が規格外過ぎて霞がちだが、隊長も聡明な方だ。俺の示した可能性も考え付いていただろう。通常であれば。しかし、隊長の頭の中には俺の知らない可能性があって、それは俺の可能性など思いつきもしないほど大きなことだった。俺の話を聞いたとき、隊長の考えはその可能性が答えとして固定されていたのだろう。
隊長は俺の目を真っ直ぐに見つめたまま何も言わない。
「どういうことだと訊いているんだッ!!」
空気がぴりぴりとしている。俺の激情と同調して大気が渦巻いているかのようにさえ感じられる。
「ジャン……、落ち着きなさい」
「俺はっ……! 俺は王たちは守れなかった自分の非力さが恨めしかった! 貴方たちは、そうではないのか!!」
「ジャン……!」
「貴方たちは彼らの死をなんとも……!」
「ジャルディオールっ!!」
副隊長が俺の頬を力一杯張った。頬に熱が集まり、じんじんとする。副隊長も手まで出すつもりはなかったのか暫し呆然として自身の右手を見つめていたが、すぐに気を取り直したように言った。
「少し、落ち着きなさい。お互いに気が立っているようですから」
確かに、そのようだ。「すまない」とまた小さく謝ってから小窓の前に立った。小さく切り取られた丸の向こうに石造りの町並みが見える。
少し、言い過ぎたのかもしれない。王と隊長、副隊長方が本当に信頼し合っていたのはよく知っている。誰でも、知っていただろう。彼らの死に何も感じていないはずがないのだ。彼らの元に馳せ参じることが出来なかったことをとてもとても後悔しているのだろう。
だけど、仕方なかった。
確かに彼らは無責任であったけれども、引退を間近に控えていたし、彼らの後を引き継ぐのは元々俺と決まっていた。その時期が少々早まっただけで、予定通り事が進んだとして何等変わることはなかったはずだ。
ただの、八つ当たりだ。悪いのは、俺だ。誰よりも近くにいて、お護り出来るだけの力量があったはずで、だというのに彼らから離れ、そうして彼らを殺させてしまったのは俺だ。
「なあ、ジャン。俺はお前が好きだよ」
不意に隊長が言った。笑って、いるのだろうか。
「……ああ、そうか」
「照れるなよお」
「気持ち悪い」
「……もしかして本気で嫌がってる?」
背に隊長の視線が突き刺さる。振り返らずに窓の外をずっと見ていると寂しそうなため息がひとつ聞こえた。
「……まあ、良いや。ジュリアもジャンのこと、好きだよなあ?」
「ええ、勿論」
「浮気者おおおお!!」
「はあ?」
「ごめん」
どうしてこの人はこうして冷たく返されることなんてわかりきっていることだろうにまだふざけるのをやめないのか。
振り向いて隊長を見る。哀れむような、慈しむような、怒って、いるような、なんとも言い難い表情だ。
「俺はな、お前を殺されたくない。殺させたくない」
「何を……、」
「だから言えない」
先程から隊長の言葉の意図は不明瞭で、いったい何を言いたいのか理解出来ない。副隊長がさっと顔色を変えて隊長を睨むように見た。「大丈夫だよ」隊長が力なく笑って言う。
「魔族たちが何故シエレードを襲撃したのかという理由は、多分、俺の考えていることで正解だと思う」
「なら、それを俺にも教えてくれたって言いだろう。それとも何処の生まれとも知れない孤児風情はシエレードの者ではないとでも言うのか」
「俺たちの愛情を嘘にするつもりか? そんなこと、二度と言うな」
「…………」
隊長は笑って俺の頭を撫でた。いつの間に、俺は隊長の背丈を抜いていたのだろう。なんだか頭を撫でる手が「図体ばかり大きくなって」と俺を見下げているような気がして、酷く不快だった。
「大好きだよ。家族だとも思ってる。だから言えないんだ」
「……理由を知れば、今の貴方では迷わず自身の命を絶つことを選ぶでしょう。それがなんの意味も持たない行為だと知りつつ」
“殺されたくない、殺させたくない”の言葉の前にはどうやら“俺に、俺を”という言葉が入るようだ。思わず言葉に詰まる。
自分で自分を殺す。それは有り得ない。俺は姫より仰せつかった大切な使命がある。それを蔑ろにして死を選ぶ事態に陥るなど、俺にはとても想像出来なかった。
「――無意味な行動など俺はしない」
「いいえ、するのです。貴方を見てきた人間なら誰でも同じように考えるでしょう。現にフレディも私と同じ考えでした」
副隊長はよくも其処までと思うほどきっぱりと否定した。隊長も深く頷く。
「頼むよ。何も訊かずに、お前はもう関わるな。敵討ちは俺たちがやってやる」
「ふざけるなッ! 俺がそんな馬鹿げた言い分で引き下がるとでも……!」
「ジャルディオール、」
副隊長のひんやりとした手のひらが俺の頬に当てられた。アイスブルーの瞳がきらきらと妖しく輝いている。逃れなければならない。この機会を逃せば、恐らくふたりはこの先、一生口を割りはしないだろう。逃げなければ、ならないのに。
「我が名において命じます。“眠りなさい”」
言の葉が脳髄にまで染み込んで、俺の意識を葬った。




