元騎士 9 誰も知らない
ナミネが小さく頷いたのを見てから、俺はナミネを追い越した。「あ……、」小さな声と共に視線が背に突き刺さるのを感じる。
だから、どうしたというのだ。気にせず進んだ。
城や城下町をすっぽりと呑み込んでいる塀。唯一空いた出入口には険しい表情の門兵が立っており、此方を睨み付けている。
「入門の許可を」
「何用だ」
「ガイアントには旨い地酒があると耳にしてな、一口飲んでみたいと此処まで参った」
すると、門兵は固い表情を僅かに和らげた。
ガイアントの地酒は世界的に有名だ。酒を少しでもたしなむ者はガイアントの地酒を飲むだけのために、わざわざこの地まで訪れるという。噂話は何処で役に立つかわからぬものだ。
「なるほどな。何処の者だ」
「アガリスから」
「随分近いな」
「楽しみは後に取っておく質なんだ」
……誤魔化しきれただろうか。まさかシエレードの名を出すわけにもいくまい。咄嗟に口をついて出たのが此処に来る途中に立ち寄った町の名だったのだが。
「まあ、良い。入門料は10000Eだ」
「高いな。……これで良いか」
「金貨一枚、確かに受け取った。ほら、通りな」
法外とも思われるこの高過ぎる値段設定は魔物からの侵入を防ぐためなのだという。ガイアントが言うには、低能な魔物共は金を支払うなどといった行動は取れないから、らしい。全く以て意味がわからない。ガイアントはただ金が欲しいだけなのではないだろうか。町民ですらも金を取られるというのだから、呆れたものだ。
――戦争が起きるのでは、と皆噂しております――
「……、戦争……」
増税に飽きたらず、こんな馬鹿げた方法で必死になって金を集めようとするのは、戦争の準備のため、なのだろうか。
中に入ると煉瓦などの石材で作られた町並みが見える。地面も石、家も石。申し訳程度に小さな花壇が置いてある以外は視界全てがほとんど石で埋め尽くされている。まるで町全体がいずれ来る争いに備えているような、そんな印象を受けた。
「――ジャンか?」
低く深みのある声。声の主は、いつか俺に戦う術を叩き込んでくれた彼だった。目が会った途端、彼の鋭い青の瞳がゆるりと和らいで、口許は笑みを象った。
「おお! 久しぶりだなあ、ジャン! 元気にしていたか?」
「久しぶりだな、貴方も息災か」
「見ての通りだ!」
「そうだな、見ての通りその残念な頭は今も尚成長を止めているらしい」
「あれ?」
彼の名はフレディ。“元”シエレード国王族親衛隊総隊長だ。王とは乳母兄弟であり、王から絶対の信頼を置かれていた人物だ。何年か前に奥方を連れて失踪したが、まさか隣国にいたとは……。
隊長はにこにこと笑いながら俺の肩を掴んで耳元に口を寄せた。
「聞きたいことがある。俺の家がすぐ近くだから行こう」
短くそれだけ言うと、隊長は表情を崩さずとりとめのないことを話しながら歩き出した。
――恐らく、聞きたいこととはシエレード国のことだろう。確かにあの戦いの最中では隊長たちを憎む気持ちも少なからずあったが、それでもシエレードの状況を知らされたとしても隊長たちがすぐに駆けつけることなどきっと無理だった。移転魔法という手もあるが、あれは飽くまで行きたい場所に使い手を受け止める陣があるから成立するものなのだ。あんなに荒らされていては、そんなものは残ってはいなかっただろう。
王と隊長はお互いに世間の目も身分も憚ることなく親友と豪語していた。そんな、一生にひとりとも知れぬ友の死を離れた地で耳にした隊長は、いったいどんな気持ちだったのだろうか。
いやに明るい笑顔を見て、目を眇めた。
◆◇
どうやら隊長たちは町中ではなく、少し外れたところに家を構えていたらしい。隊長には似合わない可愛らしい造りの家は副隊長の趣味だろう。姫と、よく飯事などを楽しんでいたようだから。
「ほら、遠慮せずに入れ」
「ああ……、むっ、」
「あああああ!!」
意外と出入口は狭く(というより低く)、俺は強かに頭を打ち付けた。隊長の絶叫が俺の耳をつんざく。
「お前ええええ!! 俺とジュリアの愛の巣に傷をつける気か! この鬼畜! 悪魔! 木偶の坊! まだローンだって残ってるんだぞ!?」
「そーれ」
「きゃああああ!」
背に背負っていた槍の切っ先でドアを引っ掻いてやった。いくら見た目は若々しいといえど中年男性の甲高い悲鳴など聞き苦しいだけである。しかし、家に傷をつけたのは早計だったかもしれない。これでは副隊長はとばっちりだ。後でなんらかの詫びを入れなければ。
ぼんやり考えながら俺には少々小さい椅子に座る。ぎし、と木の軋む音がした。
「昔は多少小生意気でも可愛かったのに、自分よりも大きくなると途端に憎らしくなるな……。お前なんて招くんじゃなかった」
「そんなことはどうでも良いからさっさと入ったらどうだ」
「此処は俺とジュリアの家だぞ! なんで家主よりも先に席についてるんだ! 可笑しいだろ!」
ぎゃあぎゃあと喚きながらも隊長は家の中に入ると悲しそうにドアについた引っ掻き傷をなぞってからドアを閉めた。
隊長はもう一方の椅子に深く腰掛け、俺をじっと見た。メルヘンな小さな家にそれに似合わぬがたいの良い強面の男がふたり顔を突き合わせている。なんだかとても気持ちの悪い光景である。
「それにしても……、まさか見つかるまでこんなに時間がかかるとは思わなかったな。数ヶ月くらいで連れ戻されると思ってたよ」
「こんな近くにいるとは誰も思っていなかったようでな、たくさんの遠い国に飛ばされた」
「……なんで槍向けてんの?」
「幻覚じゃないか」
「そうか、幻覚か。視界の端で俺の血が吹き出した気がしたのも幻覚か?」
「そうだな、幻覚だ」
「そんなわけないだろ」
今でもあの頃の苦労を思うと腹が立つ。そういえば“隊長を見つけたらしたいことリスト”なるものを作成したはずだが、置いてきてしまった。こんなことなら持ってきておけば良かったと思う。
――悪ふざけは此処までにして、と。俺は槍を引っ込め、隊長の青い瞳を見つめた。いつだったか青空のようだと珍しく誉めてやったら「それで口説いているつもりか」と返されたことを思い出す。腹が立ってきた。
「そんなことではなく、もっと他に訊きたいことがあるんじゃないのか」
「――……そうだな」
ふっと口許に“笑み”を湛え、隊長は言った。馬鹿げたことを、俺に訊ねた。
「ディアンゼたちは元気か? あいつら、相変わらず五月蝿いだろう」
自分のことは棚に上げて、“何故か”笑っている隊長を、許せなくなった。
「ふざけるなよッ……! 貴様、王を、俺を馬鹿にしているのかッ!?」
椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がり、隊長の胸ぐらを掴んで怒鳴り付ける。隊長は急変した俺に目を見開いた。なんとか宥めようとしているのか、ごつごつとした武骨な手が優しく俺の肩の上に乗る。
「な、なんだ、そんなに怒ることじゃないだろ? もしかして、誰か病床についているのか?」
「病床! それならばどれだけ良かったか! 例えそれが不治の病だったとしても俺は喜んだろう! 少なくとも今この瞬間、彼らはまだ生きているはずだから!」
健康的な肌色がさっと青ざめた。
「ジャン、お前、何を言っているんだ……?」
「貴方こそ、何を言う」
痛い。苦しい。腹の奥が物凄く熱い。
「お三方は、殺された」
隊長の青い瞳が動揺に揺れた。
不意にドアが開いて、暫く見ていない顔が覗いた。
「フレディ、何方か来て……、あら、ジャンですか。お久しぶりですね」
冷たい美貌がふっと和らいで、俺に笑みを向けた。副隊長、だ。まるで、同じで。幼い頃、見た笑顔と寸分違わず。穏やかで、優しい顔で。
「――どうして、」
思わず崩れ落ちる。副隊長が驚いたように駆け寄って俺の身体を支えてくれた。隊長を見上げて何事かを言おうとしたのであろう副隊長の息を呑む音が聞こえた。隊長も、俺と同じくらい、もしくはそれ以上に酷い顔をしていたのだろう。
「どうして何も知らないんだ……!」
「知らないよ」隊長が弱々しく呟いた。




