下らない会話 午後の部
長らくお待たせしました、午後の部です。
「若干おいしかったね。味噌豆腐バーガーとイカシェイク」
「ああ、そうだね」
彼女が笑顔で同意を求めてくるので、引きつりかけた頬を全力で矯正した。
事態は昼間に遡る。
黄色いエムが目印の某有名ファーストフード店に昼食をとりに行ったところ、彼女が上記のゲテモノを注文したのだ。
彼女の頭の具合を見誤っていた僕には彼女の凶行を止める術はなかったと弁解しておく。
そしてなにより驚いたことは店員がひるむことなく彼女の注文を了承したことだ。それからの店員の行動は迅速だった。
二つあるうちの片方のレジを即座に閉鎖するとカウンターを飛び越えて店外へと駆けだし、五分で材料を調達してくると次の瞬間にはもう調理を終えていた。
一連の行動は眼で追うことすら叶わず、人の域を超えていると言っても過言ではないほどだった。
彼女は追い詰められるほどに力を発揮するというバトル物の主人公のような属性を持っているのかもしれない。
ご丁寧にも二人分のゲテモノを作って下さった彼女の額には玉のような汗が浮かんでおり、僕はこんなもの注文していないなどとはとても言える雰囲気ではなかった。
仕方がないので何故か店員とハイタッチをしている舞菜を引きずって席に着くと、磯の香り漂うオーダーメイド品を賞味することにした。
結論から言うと味噌豆腐バーガーは意外と美味だった。あっさりとした豆腐に味噌のアクセントが心地よく、パンにはさむ必要がないという点を除けば十分商品化に耐えうるだろう。
イカシェイクについては……液体状のイカだったと述べるだけに留めておく。
そして現在。逃げるようにして店を出た僕達は行く当てがなく、無人島に流れついた漂流者のごとき心持ちで町を徘徊している。彼女との議題は次の目的地についてだ。
「僕は断固として買い物を主張する」
「えー、遊園地行こうよ」
「絶対に嫌だ。奇怪な機械に身体を拘束されて高速で走り回るなんて僕には耐えられない」
「大げさだなぁ。たかがジェットコースターでしょうに」
「君はあの拷問器具を過小評価している。あんなものに好んで乗るやつは馬鹿かマゾヒストと相場が決まっている」
誰が自ら進んで火の中へと飛び込むものか。
さて、目下の問題はいかにしてこの馬鹿の具体例の気を遊園地から逸らすかだ。彼女は一度言い出したら頑固であるが、幸い頭に非常に高性能な消しゴムを搭載している。
何かきっかけさえあれば、先ほどまで話していたことを忘れさせるのは容易だろう。
そのとき僕の耳に天の声が聞こえた。より具体的に言えば女性の絹を裂くような悲鳴だ。
見ればブレザーを纏った女の子が見るからにガラの悪い二人組によって路地裏に連れ込まれようとしていた。周囲の人間は案の定見て見ぬふりだ。これは使える。
「舞菜、いたいけな乙女のピンチだ。急いで駆け付けるぞ」
「うん、それは構わないけど何か話逸らそうとしてない?」
「馬鹿野郎! 事態は一刻を争うんだぞ!」
「そ、そうだよね。ごめん、私どうかしてた」
勝った。このとき僕が今日一番の笑顔を見せたことは言うまでもない。
「きゃああああ! 誰か助けてぇ! 二人組の不良に指先から一センチ間隔で寸断されて切断面に塩を塗りこまれるぅ!」
「おい、どうするよ? 思ったよりもヘヴィーに事態を受け止められたぞ。それも発想が尋常じゃなくホリブルだ」
「過大評価も甚だしいですね、兄貴」
路地裏へと滑りこむと、女の子と二人組の大柄な方がもみ合っていた。彼女の発言から察するに、僕が思っていたよりも事態は深刻らしい。早急に救出せねばなるまい。
「そこまでだ、シリアルキラーどもめ!」
「今なら懲役五年で許してあげるから、その子を放しなさい!」
前々から温めてきたかっこいい決めポーズを使う時が来たようだ。あまりのクールさにさすがの凶悪犯共もひるむこと請け合いだ。
「何だお前らぁ! そのクールなポーズは何ですかぁ!?」
「やばいっすよ兄貴。俺らまだ何もしてないのに執行猶予なしの懲役刑っすよ。弁護士を呼びましょう」
どうやら敵方は僕らのかっこいいポーズと法的な圧力を恐れてかなり動揺しているようだ。そのわずかな間隙を突いてブレザーの女の子が大柄な男の手を振りほどき、僕達の方へと駆けてきた。
彼女は僕達の背中へと回り込むと、小動物のような大きな眼をくりくりさせてお礼を言った。
「助かりました。もう少しであの二人組に濃硫酸のプールで女子二百メートル自由形をやらされるところでした」
「なんという非道な奴らだ。発想が怖すぎる」
「餓鬼畜生の所業だね」
僕達が二人組の鬼畜を睨みつけると、彼らも平静を取り戻したらしく怒りに燃えた瞳で睨み返してきた。もしかしたらこのまま逃げられるかと思ったが、どうやら衝突は避けられないようだ。
「兄貴、このまま冤罪が捏造されるのを黙って見てちゃいけません。完全無罪を主張していきましょう」
「オーケー。おい、お前らぁ! よくも散々なことをセイしてくれたなぁ! アブソリュート許さねぇ!」
「大変、英語だ! 何言ってるのか全然わかんない!」
「まさか英語まで使いこなすとは……。きっと本場のヤンキーを呼んで私達を亡き者にする気です!」
「ははは、驚いたか。兄貴は国際派なんだよ。未来志向な方なのだ」
「インターナショナルの黒虎といったらこの界隈では有名なんだぜ?」
何てことだ。気付いたら馬鹿の巣窟に飛び込んでしまっていた。彼らが真剣な表情をしているのを見ると、どうやらふざけているわけではないらしい。
まさかこの僕が突っ込むことすらできないなんて……。周りの流れにノリきれない僕を絶望的な疎外感が襲った。
「何てこと……! 国際派の上に虎だなんて、勝ち目がない!」
「ああ、もうお終いです。きっと鼻から鉤のついた針金を突っ込まれて脳みそを引きずり出されるに決まっています」
「さぁ、諦めて俺たちとお付き合いするがいい!」
「ウェルカム・トゥ・アメリカ!」
不味いな。このままではあの馬鹿二人はその場のノリで鬼畜どもについて行ってしまうだろう。馬鹿四人分という高密度の馬鹿の塊が街に解き放たれるとなれば、間違いなく大惨事は免れない。何としてもここで食い止める必要があるだろう。
考えろ、考えるんだ。この状況を打開する方法を!
「待て! お前ら!」
八つ分の視線が僕の方へ向くのを感じた。舞菜が悔しげに黒虎とやらの手を取ろうとしていた時だった。
黒虎は僕を鼻で笑うと目を向いて吠えた。
「どうした! 言いたいことがあるのなら言ってみろ、ルーザードッグ!」
しかし僕はひるまない。既に勝ちを確信していたからだ。
「おかしいとは思わないか?」
「おかしい? 一体何がおかしいってんだ?」
「君の兄貴の異名だよ。黒虎だって? 国際派が聞いて呆れる。そんな漢字の二つ名じゃあ世界では通用しないぞ!」
その場に衝撃が走った。舞菜の目は希望の光を取り戻し、爪を噛む黒虎の子分の腕は震えている。しかしただ一人、黒虎だけはまだ折れていなかった。
「フーリッシュ! お前は実に愚かだな。確かにお前の言う通り、黒虎では世界で通用しないかもしれない。しかし、通じぬならば英語に直すまでよ!」
そう、その通り。実に簡単なことだ。
「今日から俺は……」
そしてそれこそが僕の狙いだ。
「ブラックタイガーだ!」
その場が凍りついた。誰も口を開こうとはしない路地裏は、まるで森の奥にひっそりと存在する湖のような静けさだった。
そしてそこに舞菜が一石を投じる言葉を呟く。
「海老じゃん……」
静かな、しかし決然とした口調だった。舞菜の言葉は周囲に少しずつ波紋を広げる。ブレザーの女の子が黒虎を見つめながら「海老……」と呟く。黒虎の子分が「海老かよ……」とぼやきながら黒虎から距離をとった。
僕は抑えきれない笑みを口元に湛えながらとどめの一言を放った。
「そう、こいつは国際派の虎なんかじゃない。ただの海老だ」
威力は絶大だった。黒虎はその場に崩れ落ち、その周りを三人が囲んで手を叩いて囃したてる。
「えーびっ!」
「えーびっ!」
「えーびっ!」
「ちくしょおおお!」
海老は涙目で立ち上がると、目の前にいた元子分を突き飛ばして路地裏の奥へと消えた。元子分もしばらくどうするか考えていたようだが、僕と舞菜に睨みつけられると「ひっ」と小さく声を上げて路地裏へと逃げていった。
「下らない時間を過ごしたな。さぁ舞菜、買い物に行こうか」
「あれ、次買い物だっけ? まぁいいや、行く行くー」
よし、馬鹿を追い払うことができたし、舞菜に遊園地のことを忘れさせるという目的も果たせたようだ。右手でこっそりとガッツポーズをした。
そう、ここまでは僕の作戦は完璧だったんだ。ただ一つ誤算があるとすれば、それは一人のイレギュラーの存在。
「待って下さい!」
ブレザーの女の子が去ろうとしていた僕達を呼びとめた。
「どうしたの? お礼なら別にいいよ?」
「そうさ、僕達は当然のことをしたまでだからね」
実際、僕も彼女に助けてもらったようなものだし。お互い様だ。
しかし、それではブレザーの女の子は気が収まらないらしい。「ちょっと待っていてください」と言うと、携えていた手提げ鞄をゴソゴソとやり始めた。
やがて取りだしたのは二枚の紙きれだった。
「これ、近くの遊園地のチケットなんですけど、よかったらもらってくれませんか」
「遊……園地?」
「いやいやいや悪いよそんなの、なぁ舞菜? さぁ行こう。すぐ買い物に行こう」
ヤバいヤバいヤバいヤバい。今明らかに舞菜の耳がピクリと動いた。彼女の頭がフル回転で何かを思い出そうとしている。
なんとか事態を打開する方法を考えていると、舞菜に肩を掴まれた。
「いいじゃん、もらっておこうよ。こういうのは断る方がむしろ失礼だと思うよ?」
彼女は笑顔で語りかけてくるが、肩にかかる圧力は増す一方だ。
デッド・オア・デッド。チェス盤の向こう側に腰かけた運命の悪魔が得意げにチェックメイトをかけた瞬間だった。
「……はい」
「よろしい。あ、チケットありがとうございました。どうかよい休日を」
舞菜は何か悪いことをしたのかと戸惑う女の子に礼を言い、抜け殻のような僕を引きずって快活に歩き始めた。
その後、僕が高速で走る拷問器具に数十回乗せられたことは言うまでもない。
ブラックタイガーはバターで炒めるとおいしいです。