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第9話 ふたりのアデライン

「フィン、そなた妻を隠したいのはわかるが、もう少しこういう場に連れてこんか。独占欲が強いのは嫌われるぞ」


 場違いな事を言ったのは先のベルンシュタイン大公、スヴェン卿だ。すでに国主としては引退した壮年の男性だが、今回は皇帝陛下のパートナーを務めているのだろう。王座に座る彼女のそばに控えている。


 この謁見には現在のベルンシュタイン大公のジークフリードが立合っていた。フィンより五つほど年上の現大公は容赦なく父親を睨み上げる。

「スヴェン卿」

「そう怒るなフリード、わたしも皇帝陛下のそばで猫を被っているのでね。せめてお前達の前では気楽にやりたいじゃないか」


 自分の親より年上の男性の台詞とは思えず、アデラインは吹き出したくなるのを必死に我慢する。


「隠したいのではありません。ですがスヴェン卿の前に妻を連れ出すほど、わたしも不用心ではありませんので」

 フィンがさらりと言う。

 確かに女性関連の醜聞が絶えない方ではあるが、地位はフィンより遥かに高い。アデラインは思わず夫を見上げた。


「こら、アデラインが驚いているではないか。アディ、安心しなさい。こいつらはいつもこんな感じだ」

 皇帝が呆れたように言い、それからそっとアデラインの目を見ながら手招きする。

 どうやら近くに来いと言う事らしい。


(どうして……それより……)

 今皇帝はアデラインの事を愛称で呼んだ。家族以外でその愛称を使うのは、かつての恋人のみ。


 そっとフィンが背中を押す。驚いて見上げると、彼は優しい瞳でアデラインを促した。

 戸惑いながらアデラインは皇帝のそばに近付き、跪礼する。


「アディ、わたしが不在の間に苦労をかけた。本当に申し訳ない」

 女性にしては低めの皇帝の声。その言葉の意味を悟り、アデラインは震える。

「いえ、苦労など決して」

「そう言うな。犠牲にしたものもあったろう……故に、このヒルデはこの後、そなたが望むことがあれば、全力でそれに応えることを誓う」


 皇帝の背後にはスヴェン卿が控えている。

 その彼が何も言わず、むしろこの誓約の証人のような立ち位置にいた。


「ありがとうございます」


 アデラインは引き攣る喉でそう言うのが精一杯だった。





「陛下はなんと?」

 謁見が終わり、会場の隅に移動しながらフィンが訪ねた。アデラインは戸惑いながら、皇帝陛下に言われた言葉そのままフィンに報告する。


 フィンは目を細めながらそれを聞く。

「よかったな。これで」

 何かを言いかけて、口を噤んだ。

「なに?」

「いや、なんでもない」


 二人だけになると、夫婦の会話は酷く事務的なものになる。先程まであったフィンの楽しげな雰囲気も消え、今は硬い表情で会場を見ている。

 妙な居心地の悪さがあった。

 全ての貴族の謁見が終わると、今度は皇帝陛下が新年の祝いの言葉を紡ぐ。それまでは最低でも会場にいなければならないので、アデラインは黙って彼の隣に立つ。


 ふいに、フィンの手が伸びてアデラインの腰を抱き寄せる。無防備だったせいで、アデラインは彼に体を預ける形になってしまった。

「フィン?」

 誰かが通るために道を開けたのだろうか。


「すまない」


 言葉では謝るが、フィンはその手を離そうとはしない。人が多く、会場には熱気が溢れている。冬の最中(さなか)なのに外に続くガラス戸が開け放たれているのも納得だ。そこから流れてくる空気は少し寒いが、フィンの体に寄り添っていれば温かかった。


(そういえば、こんなにくっつく事はそうなかったわね)

 子供をふたり産んだが、フィンとアデラインには身体的接触は殆どない。夫婦としての行為も子供を儲けるため以外にしたことはないし、抱き合うこともない。公式の場や、他国の貴人がノルデンに来た時の晩餐会などでフィンにエスコートされたり、社交の場でダンスを踊ることはあっても、プライベートでは手を繋ぐこともなかった。

 国のための結婚だ。そのことに疑問を感じてはいなかったし、フィンから必要以上に求められる事も無かった。

 なのに、急になぜ。


(どうして……?)

 戸惑いながら見上げるフィンの表情は硬く、まっすぐ正面を見据えて動かない。


(もしかして……)

 緊張しながらその視線の先を追う。だがアデラインの予想とは違い、こちらに近づいてくるのは真紅のドレスを身に纏った女性だった。


「アデライン皇女さま……」


 アデラインの呟きに応えるように、フィンの腕に力がこもる。アデライン皇女をエスコートしている男性と、その後ろには何人かの男性の姿があるが、そこに懐かしいエミールの姿はない。


(なぜ……)

 このような公式の場で夫以外の相手と腕を組むなんて、ありえない。


「あら、ノルデン国王と王妃様。大変お久しぶりね」

 今やシュタルツ侯爵夫人となったアデライン皇女が二人の前に立つ。周囲の人たちが少し下がり、声を潜める。奇妙なことになった。


「ご無沙汰しております。侯爵夫人も、おかわりなく」

 フィンが胸に手を当てて目線を下げる挨拶をする。アデラインもそれに倣い淑女の挨拶をしながら、奇妙な違和感を抱いていた。


 真紅のドレス、最上級のアクセサリー。何人もの男性を従えていた学生時代と変わらず、傲慢がドレスを着て歩いているようなその様。


「ええ、変わらないわ」

 吐き捨てるように言いながら、アデライン皇女はアデラインを凝視した。頭のてっぺんから足の先に至るまで。

 その不躾な目線にアデラインは思わず身を竦ませた。フィンは無言でアデラインを自分の背中に隠し、彼女も無意識のうちに夫の上着を強く握る。


「そちらも変わりないようね。ほっとしたわ。やはりお友達が昔から変わらないのは安心するわね。あなたもそう思うでしょう?」


 そこの言葉を聞いて、アデラインの背中をぞわぞわと悪寒が走った。

 これは、敵意だ。

 美しいドレスで着飾ったこの女性は、アデラインに明確な悪意を向けている。いや、憎悪と言うべきものかもしれない。

 アデラインは一歩進み出て、皇女の前に立ちにっこりと微笑む。


「おっしゃる通りですわ。お会いしただけで、学生時代を懐かしく思い出されます」


 委縮から一転、堂々としたアデラインの言葉に、皇女はぴくりと眉を動かす。扇で隠した口元が、歪むのが分かった。

 ぐいと身を乗り出し、アデラインに近づく。


「そうよねぇ。最もあのころ、この男のそばにいたのは違う女だったと思うけど……いいわよねぇ。蛮族はころころと乗る馬を変えることができて」


 最後の方はアデラインとフィンにしか聞こえない程度の声量だった。

 アデラインは笑顔を崩さないまま、皇女の美しい顔を見つめる。

 先程の動揺はどこへやら。今は心は静かに凪いでいた。


(美しい化粧も、見事なドレスも、なんて、無様なのかしら……)


 ひとことふたこと、何かを言い残して皇女は踵を返す。その後ろ姿を見送りながら、アデラインはただひたすらエミールのことを思った。


 どうして今まで、思いつきもしなかったのだろう。あのエミールとこの皇女の結婚が、うまく行くはずがないのだ。


 野の花を摘むエミール。

 欲しいもののために、懸命の努力を欠かさない彼。着飾ることよりも知識を得ることに貪欲なエミール……。


「アデライン、大丈夫か」

 はっとして顔を上げると、心配そうな顔でフィンが覗き込んでいた。

「大丈夫よ……驚いただけ。フィン、あなたは知っていたの?」

「毎年、執拗に絡んできたからな。最初の二年くらいはエミールが止めていたが、最近は滅多に同伴しなくなったようだ」


 フィンの口からその名前が出て、アデラインは驚いた。思わず彼の顔をまじまじと見つめた。

「あいつは、お前に迷惑をかけて済まないと言っていた。それに」

 何かを言いかけた時、会場の中央から拍手が湧き起こる。皇帝陛下の詔が始まったのだ。フィンの続く言葉がざわめきにかき消される。


「え、なに?」

 フィンは身を屈めて、アデラインの耳元で囁く。その声はひどく掠れていて、彼女はその言葉が本当のものなのか騒音の中の幻聴なのかわからなくなってしまった。

 心の中でその言葉を反芻する。


『エミールが待っている』


 その言葉をフィンから聞くなんて。

 まるで断罪の時が来たかのようだ。

 アデラインは震える心を押し隠したまま、そっとフィンの服から手を離した。




お読みいただきありがとうございます!(大声)

物語も後半に突入しました。


女性関係の醜聞が絶えないスヴェン卿ですが、人妻にも平気で手を出すので、息子のジークフリードはそんな父親を毛嫌いしています。そのフリードはたいへんおしゃれな男性で、妻はいませんが息子がいます。たいへん複雑な家族です。


フィンもその昔はアデラインを愛称で呼んでいましたが、クレアと婚約した時点で名前で呼ぶようになりました。それが今でもそのまま。


次回もよろしくお願いいたします。

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