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【異想譚Ⅱ】 金の祝福 銀の呪い

【異想譚Ⅱ】は第10話の直後のお話です。

時系列的にはこちらが先なのですが、アデラインの物語と少し話がそれるので、こちらを一番最後に持ってきました。



「相変わらず絢爛豪華だなぁ」


 色とりどりの衣を身に纏い、踊る群衆を見ながら彼女は呟く。

 新年の式典は無事終わり、全ての王族・貴族との挨拶は終えた。大夜会の恒例の舞踊も一応終わったし、あとは好きな酒でも飲みながら、そこいらの連中を揶揄うことにしよう。


「それはそれはもちろん。銀の御代は既に三百年を超えました。多少の小競り合いはあれど、大きな戦がこれほどの期間絶えたことは開闢以来ございません。まさに平安でございましょうね。薄氷の上にあるようなものですが」

 そばに控える黒髪の女が言う。感情を感じさせない、冷ややかな声だった。


 楽しかった気分に水を差されたような気がして、彼女はその声の主を睨み上げる。この世のほとんどの人間を支配できるその紫水晶の瞳に睨まれても、黒髪の女は微動だにしなかった。


「人形にはわかるまい。人がどれほどこの平和を築くために足掻いているのを」

「わかりかねます。おっしゃる通り私はただの人形ですので。そこまで平和にこだわる理由が理解できません。戦が起きてこそ、闘いがあるからこそ人の文明は発展する、そう教わりました」

 彼女はふんと嘲笑う。


「余計なことばかり教わりおって。お前の創造主がお前に与えるべきものは、まずは人を理解できる感情だったのではないか」


 黒髪の女は視線も動かすことなく、瞬きも無い。


「創造主の思いは、あまりにも尊すぎて私には分かりかねますが。それが私にないのは、不要と判断されたからでしょう」

「だったら余計な事を言わず、黙って控えていろ。不愉快だ」

「私の責務はあなた様をお守りすることですので」

「はっ、笑わせる。父上の毒殺すら防ぐ気もなかったくせに」


 この言葉に、ようやく女が動いた。首を傾げ、無機質な眼で彼女の顔をまじまじと見る。


「あの方は……前皇帝はあまりにも愚かだったのですよ? 私の忠告にも一切耳を貸さなかった。なのに、どうやって命を救えと? むしろ消えた方が、来るべき千年紀のためになります」


 彼女はふんっと鼻で笑い飛ばす。


「そうして娘のわたしには忠義を尽くすとは、巫山戯ているにも程がある。……いいか、人は皆愚かだ。間違いも犯すし、道を誤る。だがそうして進むからこそ、この安寧があるのだと言うことを忘れるな」


「……それがルキュステ伯を許す理由ですか?」


 硝子玉のような目が、強く非難の色合いを帯びているような気がして、彼女は目を逸らす。不快そうに顔を顰めた。

 ついさっき顔を合わせた宰相のアルノルトにも、その件でちくりと言われたばかりだったからだ。


「正しく罰を下す証拠がなかっただけだ。憶測で処分するわけにもいかぬだろう。……スヴェン卿がくる。下がれ」


 手で払うと、黒髪の女は数歩後ずさる。苛立ちを隠しきれず、彼女は眉間に皺を寄せたまま虚空を睨みつけた。


「何やらご機嫌斜めなようで」

 耳に心地よい低音で囁かれ、彼女はその声の主を見上げた。

「なぁに……見解の相違とやらに手こずっていただけだ。難しいが、全てが思い通りになるよりはずっといい」


 そう言いながら、皇帝ヒルデグラントは手にしていた杯を傾ける。


「もしそうなったら……わたしはまた、全てを投げ出したくなるだろうから」






 彼は放心したように、整えられた庭を見つめていた。どれくらいそうしていたかわからない。

 ふと気がついたら、体が芯から凍えたように冷えていた。

 真冬の庭には暖をとるものはない。背後に控えていた護衛の騎士たちも、よほど寒かったのだろう。顔色が悪い。


 胸には、どう表現していいかわからない虚無感が広がっていた。だが、これはすでに決着のついていた事柄だ。なのでこれはただひたすら、寂しいという感情に他ならない。


 だが、と彼は思う。自然、眉根が険しくなった。

 彼女がもし自分の名前を呼んでくれたら。神秘的な美しい榛色の瞳で優しく彼を見つめながら、年齢より幼く見える愛らしい顔で、かつてのように『エミール』と自分の名前を呼んだなら。


 ----もう二度とあの男の元には帰さなかったのに。


 だが、そうはならなかった。

 彼女は正しく生きていた。そして自分もかつて、そんな彼女を愛したのだ。


 彼は力なく一つ首を振る。纏わりつく未練を振り払うように。



 彼、エミール・シュタルツは立ち上がり、騎士たちに微笑みかけた。

「すまない、戻ろうか」


 大夜会の本会場に戻ると、次から次へと声をかけられた。それを上手く躱しながら、会場の奥の壇上に向かう。そこでは王座にいる主君が、つまらなそうに頬杖をついて会場を睥睨していた。


「ただいま戻りました。陛下」


 エミールが恭しく挨拶をすると、彼女は釣り上がった眉を少し寄せて彼を見上げる。

 王座の横、右側にはスヴェン卿が控えていた。北の前大公で、今は引退して皇帝の側近として仕える彼は、すでに六十路を過ぎているというのに若々しい。白髪の多い金の髪を一つに結え、水色の瞳でエミールを見返す。整えられた髭に隠れた唇が意味ありげに歪んでいた。


 昔から女性関係の醜聞が多かったこともあり、そんな彼を登用していることに反発の声も多い。皇帝の現在の愛人なのではないかとまで囁かれているのが、エミールにはひどく不快だった。


 だが、敬意は払う。彼の存在で、皇帝の権力は揺るぎないものとなっているのだから。


 エミールは彼にも目礼したのち、皇帝の左側に控える。


「陛下、よかったですな。ちょうどいいのが来たではありませんか」

 スヴェン卿がすぐさま言う。『ちょうどいいの』扱いされたエミールはため息をついた。

「なにをお話されていたのですか」


「私の婿候補だそうだ。さっさと見繕えと爺がうるさい」

 心底興味なさそうに皇帝が言う。皇帝ヒルデグランドはエミールの四つ年上の従姉弟に当たる。既に二十代後半に差し掛かっているはずだが、一向に色のある話がない。


 だが、現在皇族を名乗ることが許されるのは、皇帝と引退した前皇帝のみ。エミールの妻アデラインも皇族特有の銀の髪を持つが、彼女はすでに皇籍から名を消されている。皇帝に万が一何かあったら、正しく皇位を引き継げるものが誰もいないのは大きな問題だ。


「爺さまはだいぶ耄碌していらっしゃるようですので、わたくしが既婚者であることをお忘れなのでしょう」

 微笑みながら言うと、スヴェン卿は器用に片眉を上げて見せる。エミールはそれを無視した。


「そう言うお前、アディ嬢を攫わなかったのか? ノルデンに帰ってしまったら、チャンスは来年までお預けだぞ」

 皇帝は頬杖をついたまま、物騒な事を言う。

「冗談でも変なことは言わないでいただきたい」

 すっぱりと切り捨てたエミールの顔を見上げて、皇帝は苦笑いする。

「振られたか」

「もうとっくに振られています。ただ、区切りとして話がしたかっただけで……アディは、ノルデン国王妃は終始私を敬称で呼びましたから」


「つまらんなぁ」と皇帝が呟いた。

「手と手を取り合っての逃避行とか、憧れるんだがなぁ」


 この人が言うと洒落にならない。


「そうして上手に話を逸らしたおつもりでしょうが。爺のお説教はまだ終わってはおりませんぞ」

 よほど面白くなかったのか、スヴェン卿の一人称が爺になった。エミールは思わず吹き出す。


「折角帝国中の貴族が集まると言うのに、お目に適うものは居らんかったのですか?」

「いないなぁ。一番の候補の四公も三大公も皆妻帯者だからなぁ」

「わたくしの父なら空いておりますよ?」

 すかさずエミールは言う。

 皇帝は嫌そうに鼻面に皺を寄せた。

「さすがに実の叔父とまぐわうのはよろしくなかろう。第一、この式典の後に引退するではないか。意味がない」


 エミールは驚いて彼女を見る。

「またすごい言葉を使いましたね。一体どこで何を覚えてきたのですか」


 皇帝は数年前突然姿を消しその三年後に帰還した。いまだにどこで何をしていたのかは誰にも告げていない。側近となったスヴェン卿も知らないのだろう。


「同じ条件ならスヴェン卿でも問題がないが、どうか」

「この老体に無理はさせんでいただきたい。そうしてのらりくらりと逃げなさる」


 呆れたようにスヴェン卿がため息をついた。皇帝より年下の恋人が何人もいると噂されているくせに、都合の悪い時ばかり老人を自称する。相変わらず調子のいい狒狒爺だ。


「正直におっしゃいなさい。三年も姿を消し、戻ってきた時には妙な貫禄がついておる。それに最近は、身の回りの世話は乳母のヘス夫人にしかさせないのだとか。失踪前は裸で寝ていたような貴女さまが、一体どこでどんな恥じらいを身につけてきたのですか?」


 皇帝はつまらなそうに唇を尖らせる。


「その上、あれほど大切にされていた玉響(たまゆら)をどこに置いてこられたのか。あれは皇家の至宝、あれのおかげであなたはご自身に迫る危機から逃れることができたというのに」


 玉響、という言葉にエミールは眉を寄せる。

 見たことはないが、皇族とその側近だけが知る銀の至宝。未来や過去を見渡すことができるという小さな鏡だ。

 そんなものが本当に存在するのかと疑いたくなるが、数年前、牢に囚われた皇帝はその鏡で自分が処刑される未来を知り、もう一つの至宝、運命の三剣の力を使ってその牢から逃れたという。

 この会話は周りのものには聞こえないように工夫されているのだろうが、それにしてもとんでもない話だ、とエミールは苦笑する。


「あくまでだんまりですか。爺はてっきり、どこかでこっそり家庭でも築いていてもおかしくないと思っておるのですが」


 エミールは驚きのまま、視線だけで皇帝を見る。ヒルデグランドの唇が少し歪んだ。


 突然、皇帝が声をあげて笑った。距離をとって控えていた従者たちが不思議そうに振り向くほどの大きな声で。

「まるで浮気者の夫を詰る妻のような台詞だな。私は悋気持ちの女房を持った覚えはないぞ」

「おかしなことをおっしゃる。帝国にとって皇帝陛下は要石、われわれはそのそばで家を支える隅石です。まさに夫と妻と言ってもおかしくはありません」


 即座に言い返したスヴェン侯を、エミールは尊敬の眼差しで見る。この我儘な主君に、これほどまで辛抱強く付き合える男だと思わなかった。


「ふん、爺はつまらん」

 皇帝は吐き捨てるように言い、何にも興味のなさそうな視線を遠くに投げる。


「……後に大火になる火種だけは残さぬよう、爺の望みはそれだけでございます。つまらない諍いで命を危うくされたのです。子や孫に、そのような思いをさせたくはないですよね?」


 皇帝はようやく頭を動かし、スヴェン卿をまっすぐに見据えた。そうして一房、自分の銀の髪を摘んで掲げて見せる。


「火事など起こり得ないだろう。私の子供には必ず、この銀の色が引き継がれる。それが皇位を継ぐものだ。それがお前たちの言う金の祝福……いや、銀の呪いなのだろう」

 吐き捨てるような皇帝の言葉に、スヴェン卿は困ったように眉を下げた。そしておもむろに膝をつき、皇帝のその銀の髪に口付けを落とす。


「この銀を持つ貴女こそが我が主人(あるじ)、我ら琥珀、この魂と命をかけて忠誠を誓います」


 まるで芝居のようなその二人を見落としながら、エミールはふっと目だけで笑う。スヴェン卿は信用できない人物だが、皇帝への忠誠心は間違いなく本物なのだ。琥珀の女神の子孫を自称する彼の血族がこれまで、どれほど銀の治世のために尽くしてきたのかを知っている。


 僕も負けるわけにはいかないな。


 一見平和に見えるこの帝国も、幾つもの問題を抱えている。だが胸を張って言えるのは、自分たちの代は祖父たちの代よりはるかに平和で豊かであるということ。そして、さらに孫たちにはもっと住みやすい帝国を用意しなければならないという義務感もある。


 皇帝の後継者問題が一番悩ましいところであるが、それ以外にも問題はいくつもある。さらにこの皇帝は、苛烈な決断を下すのを嫌う温厚な性格だ。


 皇帝位についてからこの数年間、何度命を狙われ裏切りに合い、苦杯を嘗めてきたことか。

 身の回りの世話をヘス夫人にしか任せていないのも、つまりは王宮内に信頼できる人間がいないという事だ。

 彼女が消えれば一番喜ぶのが誰かを知った上でも、最終的にそのものを切り捨てることもできない。優しく温柔で、そのため諸公に見縊られている皇帝陛下。


 ならば、自分がその決断を下して行けば良いのだ。彼女が躊躇する事であればその目に留まるその前に、その問題に対処すれば良い。彼女が苦しみながら決断を下すことがないよう、この手の届く限り彼女を守る盾になれば良い。もちろんこの主人の意向は尊重するが。


 この従姉妹が、光の道を真っ直ぐに進むなら、自分がその影の仄暗い道を歩いて行けば良い。それこそが自分が彼女に仕える意義では無いだろうか。



 僕は僕の方法でこの国を守ろう。

 ----君が君のやり方で彼の国を守ったように。


 胸にうっすらと残っていた虚しさが消えている。代わりに今あるのは、強くはっきりした意志だった。

 それを確認して、エミールは顔を上げる。不思議そうにこちらを見る従姉妹ににっこりと微笑みかければ、彼女は不思議そうに首を傾げた。


 国も人も、この安寧を守るためには戦わなければならない。その先にしか、求めているものは得られないのだ。


 ----それがこの命ある限り、果たさなければならない僕の役割なのだから。


お読みいただきありがとうございます。これにてこのお話は最後とさせていただきます。


最後はファントム・ミラーに繋がる部分もあるヒルダとエミールのお話でした。

この時の宰相はアルノルト・ヴァルドフェス、ニコルの曽祖父です。彼の奥さんはエミールの姉です。姉弟仲が良いので、アルノルトもエミールを弟のように思っていました。が、いつの間にか肩を並べる戦友のような立ち位置になったので、少しだけ微妙な感じになりました。


勿忘草をモチーフに使ったので、せっかくなのでちょっとお花で遊びます。

わたしの物語のヒロイン(?)たち、それぞれのパートナー(?)にお花をおねだりしてもらいました。

→はパートナーの反応です。


チル『花? それより俺は酒がほしい!』

→イーア『だめ(きっぱり』


ルッソ『薔薇がいいなー。赤か白の薔薇』

→アル『なんでお前もらう側なんだ?』


リン『ダリアがいいわ! 両手いっぱいの花束にして!』

→夫、山一つダリアの花畑にしてプレゼントする。


ナディ『クリスマスローズが好き。お庭に植えたいの』

→夫、クリスマスローズを模した高価な装飾品を贈るが反応がいまいち…お花がほしかったらしい。


カタリーナ『赤いお花なら何でも嬉しいわ』

→ニコル『赤い花? 赤の花?!』(花屋の軒先で超悩む)


アデライン『小さなお花が好きなので……白いデイジーとか』

→フィン(本当は勿忘草なのだろうなと一通り沈み、そのあと花壇をプレゼント)


フィーネ『なんでわたしには白詰草なのよ! 選択権無いの?!』

→『だってそれが一番似合う』と笑われる。


フラン『芍薬が好きです! いつも飲んでるから!』

→『の、飲む? いや、飾る花を選んでほしいのだが』パートナー、大いに困り果てる。


蛇足ながら、こういうやり取りが一番楽しいなと思います。

長くなりましたが、拙い私の作品に、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

もしこのお話をおもしろいな、と思ってくださいましたら、☆で応援いただけるととても励みになり、泣いて喜びます。


また次回のお話でお会いできましたら僥倖でございます。

本当に、ありがとうございました。

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