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【異想譚Ⅰ】 変わらないもの(下)

「なんにせよ、帝国も落ち着いているし、ここ最近は大きな事件も起きていないものね」

 アデラインが安堵のため息をつきながら言うと、ウタも大きく頷く。

「本当にそうね。わたしが皇都で暮らしてた頃に比べると、本当にいい時代になったわ」


 しみじみと言うその言葉に、アデラインはふと思う。確かに前皇帝は(まつりごと)に興味がなく、現在の皇帝になってからいろいろなことが大きく変わった。そこには身を粉にして働く、皇帝ヒルデグラントや、その側近であるエミール達の功績もあるのだろう。


 堂々と笑顔で貴族達に応じる姿は、昔よりはるかに威厳を感じさせるもので、末っ子らしい愛らしさは消えていた。それを少し寂しいと思うなんて、身勝手なことだとは思うけれど。


「本当に、立派なひと」

 誰が、とは言わなかったのに、フィンはアデラインのその呟きに耳聡く反応した。


「俺はその立派な人に、長男を盗られたのだが」 

 抑揚の無い口調なのに、拗ねているように感じるのは気のせいか。アデラインはちょっとだけむっとして、夫を睨み据える。

「あら、その言い方はおかしいわ。カミルは自分で選んでシュタルツ侯の元に行ったのよ?」


「どうかな。十になるかならないかの頃から娘をノルデンに預けて一緒に遊ばせ、学園に入学してから夏休みは必ずどちらかの所領で過ごさせて、シュテレの現状も学ばせていた。能吏なエミールらしいやり方だと思うが」

「まぁ!」

「あらあら」

 腹に据えかねるアデラインに、ウタは優しく微笑みかける。だがフィンはまだ続けた。

「おまえの初恋を盗ったのもあいつだろう。その上に、エミリアも『エミールおじちゃんのお嫁さんになる』とか言ってたんだぞ。あの子の心だってあいつがかっぱらったんだ」


「かっぱらった!? それは七歳くらいの話よね? 子供の頃って、周りにいる誰かに憧れたりするものでしょう。第一、私が誰に初恋したって、あなたには関係ないじゃない」

 夫婦となって長いが、お互いに最初の恋は別の相手と迎えた。過去に悩み苦しんだ経験のあるアデラインの口調は、思ったより鋭い。むっとしたようにフィンがこちらを見て口を開きかけたが、鋭い音に遮られた。


 二人の前で両手を叩いたウタは、和やかに微笑みながらも険しい目で二人を見つめる。

「疲れている時に口喧嘩なんてしないの。さっさと寝ちゃったほうがいいわよ」


 確かに、とアデラインは思う。フィンらしくない拗ねた口調なのは、おそらく疲れているからなのだろう。だが、同じく疲れ切ったアデラインも自制が効かなかった。反省しつつ顔を伏せたところで「それにね」とウタが楽しそうな声を出す。


「アデラインの初恋は、シュタルツ侯ではないわよ」


「え?」

「は?」

 面白いくらいに声が重なった二人を楽しそうに見ながら、ウタは続ける。


「覚えていない? まぁ忘れちゃったかしら。五歳くらいの頃だったものね」

 フィンが目を見開いてアデラインを見るが、全く覚えていない彼女は大きく首を振るしかない。五歳くらいにといえばクレアと会う前だろうか。

「当時、あなた達はいつも一緒にいて……フィンは寂しがりやで、アデラインの手をずっと離さなかったのよ。覚えていないでしょうけど。トイレまで着いて行く有様で、流石にちょっと心配したウド様が、フィンの遊び相手にライナーを王城に呼び寄せたの」

 今度はアデラインがフィンの顔をまじまじと見た。フィンも目元を赤くしながら大きく手を振る。ちなみにウドというのはフィンの父の、前ノルデン王だ。


 昔を懐かしむウタの声は柔らかい。そしてアデラインを見つめる目も、母親らしい慈しみに溢れていた。


「ウド様が庭で子供達を遊ばせようと、フィンの手を引っ張って、あなたと引き離したの。そうしたらフィンが泣いて……いつも一緒のフィンが泣きながら連れて行かれたから、あなたはとっても驚いたみたいで」

 アデラインの隣でフィンが頭を抱えた。

「で、慌てて追いかけたの。ところが中庭に出る途中でアディったら、思いっきり転んじゃって。その転び方がすごく派手だったので、フィンもぴたっと泣き止んじゃって、みんな唖然としちゃったのよ」

「何その状況……」

 アデラインは真っ赤な顔を両手で覆った。どうやら昔から、自分は鈍臭かったらしい。


 驚いた大人達より真っ先に動いたのは、やんちゃな年下の子供たちの世話をしてきたライナーだった。彼は手を伸ばしてアデラインを立たせて、服についた砂を払った。そうしてにっこりとアデラインに微笑みかけながら、『だいじょうぶ? けがはない?』と言ったという。


「そうしたらあなた、ライナーの顔をまっすぐ見てね。『わたしあなたのおよめさんになる!』って言ったのよ。あんまりにも可愛くて、大人達はみんな大爆笑。あなたはきょとんとしたまま、ライナーの袖を握って話さないのだもの。ライナーもよくわからないままに『うん、わかった』なんていうものだから……もう、あまりの愛らしさに、天使かと思っちゃった」


 涙を滲ませながら笑うウタは、本当に楽しそう。だがフィンもアデラインもそれぞれ頭やら顔やらを隠すのに精一杯だ。あまりにも恥ずかしすぎる昔話だが、確かに昔、自分はお嫁さんに憧れていた時期があったのだ。確か五歳になってすぐ叔母の結婚式があったと思うので、その直後ごろの話なのだろう。


「やだ……なんて軽い女だったの昔の私」

「初めて聞いたんだが。ライナーもそんな話一度もしたことがないぞ」

「そりゃ、忘れているでしょうよ。でもそれから、今までずっと一緒に居たこの子がライナーの後を追いかけるようになっちゃって、あなたが拗ねたりと本当に大変だったのよ?」

「ひどい話だ。どうか忘れて欲しい」

 ウタはくすくすと笑う。

「あの頃から、あなた達はなにも変わっていないわね。いつも一緒に居て、手を繋いで。だから安心しなさいな」


 青くなったり赤くなったりしている二人を見つめるウタの視線は温かい。恥ずかしさも忘れて、アデラインは母の砂色の目を見つめた。


「無事に結婚式も終わったし、後はゆっくり帰国しましょうね。あなたたちは明日のお昼まで寝ていなさいな。子供たちのことは任せてちょうだい。ということで、私は先に休ませてもらうわね」

 そう言いながら、ウタはころころと笑いながら応接室を後にする。

 その後ろ姿を見送りながら、アデラインはそっと笑った。


「同じかもしれないわね」

「何がだ?」


 まだ気まずいのだろう。フィンは庭の方を向いている。アデラインはその彼の袖にそっと触れた。ようやくこちらをみた真紅の瞳をしっかり見上げながら、アデラインは言う。


「私たちにとってみたら、カミルはいつまでも子供で、すごく可愛い我が子だけど。お母様にとってみたら、私たちも同じなのかもしれないわね」


 フィンの目元がそっと緩んだ。


「そうかもしれないな」


 呟くようなその言葉を聞いた直後、アデラインはフィンの腕の中に閉じ込められていた。

 突然の強い抱擁に、アデラインは驚いてぱちぱちと瞬きをする。


「フィン?」


 名前を呼ぶが、返事はない。

 仕方ないのでアデラインは、彼の腕のなかでおとなしくしている。そのうち、とろんとした眠気が全身を包み始めた。ここは安心できる場所なので、気を緩めても問題ない。





 やがてすうすうと寝息を立て始めたアデラインを、しっかり抱きしめるフィンの眉根は厳しい。悔恨するように、ひとり呟く。


「最初に間違えたのは、俺だ」

 この言葉を、アデラインに聞かせるつもりはない。だが、まるで胸に突き刺さる槍のよう。ずっと自分の中で強く存在を主張している。


「大丈夫、大丈夫よ」


 思わず漏れた言葉に返事があって、フィンは驚いて腕の中の妻を見つめる。

 だが、妻はしっかり目を瞑ったまま、にゃむにゃむと不明瞭に喋りながら、やがて幸福そうに笑う。


「今まで、なんとかなったでしょ。だから大丈夫、これからもなんとかなるわぁ」


 いつもきりっと、表情を引き締めている妻とは思えないほど、ふにゃっとした笑顔だった。その笑顔が移ったように、フィンも笑う。


「そうだな……そうだったな」


 そうしてもう少しの間、フィンは妻をしっかりと抱きしめる。そうしているだけで、心が温かいもので満たされる。強く突き刺さっている痛みが、癒やされるような気がする。……たとえそこに、槍が存在したままだとしても。


 何はともかく、自分たちは今日は本当に頑張った。ウタの言葉に甘えて明日は昼まで寝ていることにしよう。

 一足早く夢の中に旅立ってしまった妻の顔を見下ろしながら、フィンは苦笑する。まだ化粧も落としていないし、重苦しいドレスを着たままだというのに。

 もしかしたら、侍女たちはまだ起きているかもしれない。その時は彼女たちにアデラインを任せるが、そうでなかったら自分が世話をするしかあるまい。軽々と妻を抱き上げながら、フィンは階段を登る。

 すっかり熟睡した妻の寝息を聞きながら、その彼女にこれ以上ないほどの愛おしさを感じながら。


お読みいただきありがとうございます。

フィンとアデラインのお話はこの【異想譚Ⅰ】で終了です。


政略結婚を命じられ、従う以外の選択肢を求めなかったアデラインはが正しいのか間違えていたのか、悩みながら書いていました。どちらにしても、エミールが気の毒なのですが。


次回の【異想譚Ⅱ】はそのエミールのお話、そしてそのお話で『わたしを忘れないで』は完結です。


少し落ち着きましたら、次にこの二人の娘の恋物語(?)を書こうと思います。母親と違い、思いっきり舌打ちとかしちゃう娘のお話です。もしまたどこかでお目に留まる機会がありましたら…。よろしくお願いいたします。

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