【異想譚Ⅰ】 変わらないもの(上)
【異想譚Ⅰ】は最終話から少し時間が遡ってカミルの結婚式のお話、最終話の六年ほど前です。
本日2話続きますので、よろしくお願いいたします。
「疲れたな」
「……疲れましたわね」
時刻はもうすぐ日付が変わる深夜、ノルデン別邸の応接間でフィンとアデラインはぐったりとソファに身を沈めていた。
二人は手持ちの中で最も豪奢な衣装を見に纏っている。フィンは一国の王しての半正装で、片肩には袖なしの外套を身に纏っていた。アデラインもシックな黒地のドレスだが、ところどころに宝石が縫い合わされている。ノルデンの王妃が代々使用してきた、国宝級のドレスだ。
本来ならすぐにでも着替えるべきだが、二人とも疲れ切って動くことができない。居間や居室ではなく、館に入ってすぐの応接間に居るのも、階段を登る気力がなかったからだ。
「何はともかく、終わったな」
「そうね。これでとりあえず、一区切りはついたわね」
深くため息をつきながら二人はそう言い、顔を見合わせる。
二人とも気怠い疲労で重い体とは対照的に、心は晴れやかだった。今日は一つの大きな区切りの日、その仕事をやり遂げた達成感がある。
今日は長男、カミルの結婚式だった。
カミルは学園を卒業してから、ノルデンに帰国することなく帝国の軍部に就職した。ノルデン国王の長子ではあるが、王位継承権を放棄して妻の家に入ることを選んだのだ。
その妻が、シュタルツ侯爵ことエミールの一人娘、ディアナだった。結果として、カミルは将来シュタルツ侯爵位を継ぐことになる。
一国として考えると、シュタルツはノルデンよりはるかに広く、元ユッタ侯爵領であったことから問題も多い。帝国の主要な貴族、帝国十家と呼ばれる家は四公と六侯。シュタルツは六侯の中で最も力が強く、帝国内では四公に次ぐ発言力を持つ。
なかなか大変な道を選んだ息子であるが、二人は一切反対しなかった。というか、する隙が無かったという方が正しいかもしれない。
「おかえりなさい。子供達はもう寝たわよ」
疲れ果ててため息しか出ない二人の前に、アデラインの実母ウタがホットワインを差し出す。
フィンもアデラインも、娯楽としての酒は飲まない方だが、このホットワインだけは別だった。
ウタも疲れているだろうに、眠らずに帰りを待っていてくれ、しかも二人のためにこれを用意してくれていたことが本当にありがたい。アデラインは泣きそうになるのを堪えながら、それを受け取った。
「お母様、ありがとうございます……」
「ウタもだいぶ疲れただろう。休んでいてよかったのに。だけど、本当にありがたい」
彼女に育てられたフィンも、このホットワインが好きだった。二人が顔を緩ませつつその香りを楽しむのを見守りながら、ウタは向かい側のソファに腰を下ろす。
「ええ、疲れたのは疲れたんだけど。なんだか気持ちが昂っちゃって。久しぶりに皇都の街を見たからかしら」
ウタはやんわりと笑う。アデラインとよく似た顔は年相応に皺が多いが、笑うととても可愛らしい。アデラインはそんな母の笑顔が好きだ。
「多分、皇都に来るのもこれが最後でしょうし……そう思うと、なんだかしんみりしてしまって」
アデラインは寂しげな母の顔を見つめる。
ウタは皇都の出身だ。前ノルデン国王妃、フィンの母の再従姉妹で、前王妃と共にノルデンに輿入れした。
前王妃がノルデンに興味を持たず、その素行の悪さが批判された時は肩身が狭かっただろうと思う。だが、彼女はフィン達姉弟やノルデンの貴族の子供達を、実の子供と区別することなく育ててくれた。そして、アデラインの子供達も。
伝えきれないほどの感謝の気持ちがある。だがその母も、最近はめっきり歳をとった。寂しい気持ちを押し隠すように、アデラインは笑ってみせる。
「また来れるわよ。エミリアだってフィーネだって、いつかどこかにお嫁に行くかもしれないのよ? 二人の結婚式だって、お母様が参加しなきゃ始まらないわ」
「あらら、こんなおばあちゃんに無理をさせないでちょうだい」
ウタは楽しそうにころころと笑う。
ウタの作るホットワインは、昔から蜂蜜が多めで甘い。香辛料は控えめだが、ジンジャーが効いていて美味しい。今日一日、ほぼ立ちっぱなしだった疲れた体にじんわりと染みる味だった。
「それにしても、とっても盛大な結婚式だったわね。さすが帝国貴族だわ」
ウタが感慨深げに言う。アデラインも素直に頷いた。
「たくさんの方がいらっしゃるとは思っていたけど……もしノルデン別邸で開いたら、庭に入りきれなかったわね」
結婚の儀は帝国の聖神殿で、その後の式はシュタルツの別邸で行われた。別邸と言っても帝国郊外に立つ城と言ってもいい。集まったのは主要貴族を筆頭に、とんでもない人数だった。今回の結婚式はシュタルツの分としてアデライン達は手伝い程度のことしかしていなかったが、あの祝祭を滞りなく開催できたシュタルツ侯爵家の能力には舌を巻く。
祝いの主役である新郎新婦も、それは見事なものだった。エミールによく似た花嫁のディアナはとても綺麗で、誰かが羞花閉月の美しさだと称えていたが、まさにその通り。シュテレの財力を見せつけるかのような花嫁衣装には、ため息しか出ない。
二人の息子のカミルも堂々たる美丈夫、という様子だ。二人ともついこの前まで泥まみれで泣いたり笑ったりしていたのに、時間の流れとは速いものである。
新郎の父だが、主催者ではないノルデンも注目の的だった。今やノルデンは保養地として名高く、東部には貴族専用の保養地として特別に整備された街がある。夏場にはその地は大人気で、単純にそのためにノルデン王族と懇意になりたいものは多い。
さらに将来のシュタルツ侯となるカミルの両親に近づきたいものやら、もっと深い目的で近づくものやら。
だがそれ以上に貴族に囲まれていたのは、新婦の父エミールだった。
フィンも苦笑する。
「エミールのやつ、花嫁より目立っていたしな」
「そうね、まさかお忍びで陛下までいらっしゃるとは」
四十路を過ぎた今も、シュタルツ侯ことエミールは眉目秀麗で、柔らかい物腰は変わらない。澄み切った笑顔で客人と挨拶を交わしていた。
その彼のパートナーを務めていたのが、長い髪を鍔広の帽子に隠したスレンダーな女性だった。変装してはいるのだろうが、見る人が見たら気がつく、皇帝ヒルデグラントその人である。
「わたし、こんなに近くで陛下にお会いしたのは初めて。お父様には似ていらっしゃらないのね」
ウタは楽しそうに言う。
「そうね……、先帝陛下は素晴らしい体格の持ち主だったけど、ヒルデ陛下はまるで柳のよう……たおやかでとても綺麗」
うっとりと夢見るように言うアデラインを、フィンは呆れたような目で見ている。
「相変わらずおまえは皇帝崇拝が激しいな」
「あら、いいじゃない。学生時代からずっと憧れてたのですもの。今日もいっぱいおしゃべりできて楽しかったわ」
その皇帝ヒルデグラントは数年前に女児を出産している。父親が誰かは公表されていないが、もしかしてひょっとしたら、エミールがその皇女の父親かもしれない、とアデラインは思う。
だがそれを口にすると、フィンはあっさりと否定した。
「いや、ないだろうな。あの二人は姉弟、と言う感じだが」
フィンは言葉を濁す。
皇女の父親が誰なのか、今皇都の貴族達の間では色々な憶測が飛び交っている。だがどちらにしろ、この十年近く皇家を悩ませてきた後継者問題に一応の目処がついた。今は皇女の婚約者の選定も行われているらしい。
「こちらの方はほぼシュヴァルツエーデのワルフリード様で決定だろう」
フィンの言葉にアデラインは頷く。
彼は確かリーナと同い年なので、今年で十九歳。七歳の皇女様とはだいぶ歳の差はあるが、父親が公表されていない皇女には明確な後ろ盾が存在しない。そのため、夫になるのはこの帝国で最も力のある貴族、シュヴァルツエーデ公以外は考えられないのだろう。
「まだ幼くていらっしゃるのに。もう結婚相手の選定なんて、大変ね」
「おまえは本当に呑気だな。夫候補の一人にアルヴェルトの名前も出たらしいぞ。これは流石に、ジークフリード様が反対されたそうだが」
「あらら」
どうやら、皇家と宗主国ベルンシュタインの間では、息子アルヴェルトを巡ってなんらかのやりとりがあったらしい。それは驚きだ。
お読みいただきありがとうございます。
ヒルデの父親の前皇帝は一人で動くのも大変なくらいの肥満体型でしたので、アデラインの言う『素晴らしい体格』とはそういうこと。
本日はこちらの後半も同時に公開です。よろしくお願いいたします。