囚われて (2)
その頃レギナルトは月に一度行われる領主達と謁見中だった。
謁見の間には朝から地方の領主達が順番に伺候し、皇帝と第一皇子であるレギナルトが受けていた。皇帝はその場にいるだけで全てレギナルトが取り仕切っているようだった。領主達もそれは周知の事で皇子に向かってのみ言上していた。
ここ数年そんな調子なのだ。皇帝はこの大帝国を統治する能力に欠け前皇帝もそれを危惧し、自分の限界まで在位期間を引き延ばしたぐらいだ。
そして皇帝となった時は運悪く百年に一度の〈沈黙の地〉封印の儀式があったのだ。統治能力は血の薄れから現れたものか、聖剣はなんとか使えたと言うような状態で封印強化に余り期待出来なかった。その証拠に妖魔の発生する率が高く、更に強力な妖魔が現れる始末だ。
その弱い皇帝とは逆に、レギナルトは皇家の永い歴史の中にも稀に現れる、突然変異で、冥界の血が濃く出ていた。その容姿と聖剣を使う力から建国王の再来とまで言われている。しかし残念な事に彼の治世で封印の儀式は無いうえ、突然変異の血は次代に繋がれない。
〈冥の花嫁〉は何時の世も計ったかのように必要と思われる時代に現れる……
まさにこの時代、必要不可欠な存在なのだ。
次の領主が入れ替わって言上中、皇子宮から至急の知らせがレギナルトの元へ届いた。彼は言上中の領主を黙るよう手で制止して、届けられた書簡に目を通した。
その内容にレギナルトは目を剥き、書簡をグシャリと握りしめると玉座を蹴り倒さんばかりに立ち上がった。
「皇帝!火急の用件により退出いたします!後は宜しくお願い致します」
レギナルトは有無を言わせずそう言うと、領主らを一瞥する事なく勢いよくマントを翻して退出して行った。その場にいたもの達は何がおきたのか?と、ざわめいたものの彼の激昂した形相に制止出来る者はいなかった。
レギナルトが足高に出て閉められた扉の中からは皇帝の『全て明日にするように…』
との声がしていた。
急ぎ皇子宮に駆け戻ったレギナルトは状況を確認した。
気丈なバルバラも強気なドロテーも〈冥の花嫁〉の事情が分かっているだけに今度ばかりはうろたえていた。〈冥の花嫁〉を狙った簒奪者に誘拐されたと思っているようだった。
レギナルトも最初そう思ったが、ティアナが来て日も浅く彼女の事情を知る者も限られていて警備体制は完璧で入り込む隙など無い。宮殿内から連れ出すには内通者がいない限り無理だと結論に達した。
(まさか!自分で出て行ったのでは?)
レギナルトは色々な考えを巡らせていたが、ふとそう思い立った。
勘だがそう思うと確信に近い気がして来た。一応他の線も考えてそれぞれ指示を出し、突き動かされる様にそこだと確信する場所へ単身向かった。
馬を駆けさせながらレギナルトは怒りに気が狂いそうだった。誘拐された方がまだましだった。
確かめるまで、分からないと言っても本当に自ら望んで自分のもとから逃げたとしたら許せなかった。
レギナルトは今まで望むものが手に入らないものなど無かった。いつしか強く望むものも無くなり執着する事も忘れていた。ティアナは自分が思い通りに出来ない存在だった。
自分のものだと約束されているのに自分のものにならない腹立たしさ…忘れて久しい執着心と強烈な独占欲が彼の心を揺り動かしていた。
レギナルトの内に秘めた気性は激しいが表面上は、冷淡で冷徹な顔を持っていた。その彼がティアナに関しては感情のままに動いているのだ。その感情が何なのか自分自身分っていなかった。
レギナルトは考えた。逃げたとすれば必ず自宅に戻り、その後の手がかりが何かある筈だと…
急ぎティアナの家に踏み込んだが、考えは半分間違っていた事がすぐ証明されたのだ。彼女は確かに此処に戻っていたが、その後何処かに逃げたのでは無く、まだ此処にいたのだ。
ティアナは、二度目に出逢った店の床で倒れていた。
レギナルトがその姿を見止めたとき一瞬ギクリと、背中に冷たいものが流れ凍った。でもそれは直ぐに安堵となって溶けた。彼女は静かな寝息をたてていたのだ。
レギナルトは激情のまま揺り起こそうと手を伸ばしかけて止めた。
彼女の目元は涙で濡れていたが今まで見た事の無い安らかな微笑みを浮かべていたのだ。レギナルトの全身に駆け巡っていた怒りが一瞬のうちに消えていた。
彼女の横に静かに座るとマントの煽りをうけて近くの花鉢から優しい音色が鳴った。
その音に耳を傾けながら静かに眠るティアナの柔らかそうな金糸の髪にそっと触れてみた。そうしていると彼が以前、心の最奥に閉じ込めた…どうしようにも無い安らぎにも似た優しい思いと言うか?保護欲と言えばいいのか?そんな気持ちがわき上がって来るようだった。
レギナルトは、保護欲はまだしも安らぎや優しさなど無用だと思っていた。王政者は孤独で非情でなければ務まらないからだ。個人で大切なものがあってはならないのだ。ティアナを見ているとそんな忘れかけたものに囚われそうな危機感も同時に感じさせられた。
間も無くティアナが身じろぎして目を覚ました。
「目覚めたか?どういう事か説明してもらおうか」
ティアナは間近で聞こえた冷たい声音にビクリとした。側に悠然と片膝を立てて座るレギナルトが瞳に飛び込んできた!一瞬のうちに彼女の表情は恐怖に怯え引きつった。
レギナルトは彼女のその表情を見ると、消えていた怒りが浮上してきたのだった。
「どうして此処にいる?」
ティアナは覆いかぶさるように上から問いかける彼を初めて間近で見たような気がした。長い濃藍色の髪はサラリと彼の頬をすべり、ティアナの身体に流れ落ちた。有無を言わせず射抜くように見つめる瞳は紫に燃える炎のようだった。整い過ぎる容貌は静かな怒りを湛えていた。
ティアナは答えず半身起き上がりながら後ろへ下がった。彼のその視線から只、逃れたかったのだ。
「私から逃げたのか?」
レギナルトは頭を横に振りながら後退する彼女の肩を掴んだ。
「わ、わたし…どうしても取りに来たかった物があったので…」
「誰にも言わずにか!本当は逃げ出したかったのだろう?しかし抜け出すまでは見事だったが、後が間抜けな事だ。こんな所で優雅に寝ているのだから」
「……」
ティアナを掴むレギナルトの長い指が肩に強く食い込み、その瞳は更に鋭く光っていた。
これは憎しみだとティアナは思った。考えてみれば〈冥の花嫁〉は自分も彼に縛られるが、彼も同じく自分に縛られるのだ。
皇子の身分ならどんな高貴な女性でも思いのままだというのにそう出来ないのだから……
初対面の時から自分の事を平民の卑しい性悪女と決めつけたぐらい嫌っていた。それなのに運命は許してくれないのだ。
(わ、私だって嫌い!)
「は、放して! あ、あなたなんか、あなたなんか大嫌いよ」
レギナルトの顔が激怒に引きつった。
その恐ろしい形相にティアナはぞっとして後悔した。今まで人をなじる事などしなかったのについ声に出してしまったからだ。
「嫌いで結構だ。しかし今度このような真似をしたら、お前の部屋付きの女官から逃走に関わった全ての者に責任を取らせて首を刎ねる!」
「なっ!」
冷酷に告げるその言葉にティアナは恐怖した。簡単に人を殺すと告げるその姿は紛うことなき絶対権力者なのだ。逃げる事はやはり出来ない…
そう思っても身体は正直でレギナルトの手を振りほどくように後ずさりする。
あくまでも逃げようとする彼女にレギナルトの怒りがとうとう爆発した。
乱暴にティアナを引き寄せ彼女の髪の中に手を入れると顔を上向かせた。レギナルトの顔が迫った!ティアナは今にもこぼれそうな瞳を大きく見開いた。
そして恐怖で悲鳴をあげた唇を、レギナルトが荒々しく塞いだのだ!
裂くような悲鳴は征服者の口に呑み込まれていった。唇を食い千切られるような激しい口づけだった。これは罰なのだとティアナは思った。憎悪とも感じる口づけは彼女にとって鞭打つ代わりの罰としか思えなかったのだ。
暗く燃える瞳をした皇子はふいに顔をあげ、今度は彼女を両腕で固く抱きしめると耳元で囁いた。
「私から逃げないと誓え」
彼の怒りは少し収まっていた様だった。声の響きでわかった。
ティアナは黙って頷いたが瞳からは涙が零れ落ちてきた。
レギナルトは舌打ちした。彼女の涙は苦手だった。女の涙は鬱陶しく男を操ろうとする手管で嫌悪するが彼女の涙は何故か心が波立つのだ。出来れば涙など流させたく無いと思うが…毎回泣かせてしまうのは自分だった。
相変わらず瞳がこぼれるような涙から視線を逸らし立ち上がった。
「帰る!持ち帰るものをすぐ用意しろ」
「えっ?」
「先程、取りに来たいものがあったと言わなかったか?嘘か?」
「いいえ!嘘じゃないです」
ティアナは涙をぬぐって立ち上がると、他にも持って行きたいものを取りに自分の部屋に急いだ。少しでも皇子の側から離れたかった。罰のような口づけでも、イヴァンの小鳥がついばむような優しいものしか経験の無いティアナにとって衝撃だったのだ。
ふと唇に指をそっとあててみると、熱がぶり返してきたかにように頬が火照ってきた。
彼女を待つ間、レギナルトは今の自分の行動を分析してみたが、何故あんな事をしたのか理解不能だった。
(全く嗤いがでる…頭にきたのは確かだが別に無理やり口づけする必要も無いのに…)
ティアナの怯えた顔が浮かんで苛立ちを覚えた。
(いずれにしてもこれで逃げす事は無いだろうから良いと思おう…)
このシーンに力入りました。初のラブシーンですから…しかも無理やり。レギのキレっぷりを堪能いたしました。好きなパターン盛りだくさんでした。