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作者: 木村八幡才

 ミサイルでも降ってきたらいいのに。

 見上げる空は雲一つない快晴。僕は大きく伸びをすると、あくびをひとつ漏らした。夜更かしが祟ってか、気だるい眠気とほんの少しの頭痛が思考に靄をかけている。深夜まで本を読むのはやめよう、と毎朝思うのだけれど、これがどうにもやめられない。平々凡々たる男子高校生の僕の数少ない趣味が読書だ。それに夢中になって睡眠が削られることくらいは健全の範疇だろう。今日も遅刻ぎりぎりに家を出て、ほんの少し急ぎ足で通学路を歩く。成績は平凡、容姿も並、何をさせてもそこそこなつまらない男、それが僕だ。それでいい。目立つ必要なんてないのだから。

 七月も終盤、太陽はますます調子に乗っているようで、朝からひりひりと僕たちを照らし焦がす。汗で背中に張りついたシャツが不愉快だ。こんなふざけた気候なのに、どうして学校に向かわなければならないのだろう。僕がまだ高校生である以上は仕方がないことなのだが、なんだか無性に腹立たしくなってきた。いっそミサイルでも降ってきて、この街ごと僕も学校も吹き飛ばしてくれればいいのに。

「帰ろうかな……」

 思わずぽつりとつぶやく。遅刻寸前の時間ともあって、信号待ちのスクランブル交差点には誰もいなかったのが幸いだ。もし誰かに聞かれていたら、突然独り言をつぶやく変人認定は避けられない。別に数人に聞かれたくらいでは僕の生活に影響はないのだろうけれど、誰かの中で自分が変な奴だと思われたままになるのは、胃もたれのような気分の悪さが続きそうで嫌だった。なんならそんな想像をしただけでいささか気分が悪い。

 気を紛らわそうと交差点の向こう側へと目をやると、女子生徒が二人立っていた。制服から見るに同じ高校の生徒だろうか。見たことがない顔なので、おそらくは先輩なのだろう。背の低いほうの女子がしきりに話しているが、背の高いほうはなにか浮ついているというか、気もそぞろに見える。どうしたのだろうか。不思議に思い彼女の視線の先を追う。どうやら交差点の後ろのほうから来る車を気にしているらしかった。この道は朝から交通量が多く、特にこの時間は高速道路から降りてきた大型車両なども通るため、学校からは耳にタコができるほど安全に気をつけろと言い聞かされている。とはいえ、彼女は明らかに車を気にしすぎだ。まるで恐ろしいものでも見るような、そんな表情にも見える。

 ――あ。

 明らかに荷物を積みすぎの軽トラックが、明らかに出しすぎの速度で交差点を左折しようと迫ってくるのが見えた。彼女はあの車を気にしていたのだろうか。しかし、それにしては気づくのが早かった気もするが。自慢じゃないが、僕は割と目がいいほうだ。それでもようやく見えたくらいの距離の車に、彼女はいち早く気づいていたのか。なんだか負けたような気持ちになった。トラックは速度をろくに落とすこともせずに交差点へと差し掛かる。あのままだとまずいかもしれない。

 背の高い少女が、もう一人に覆い被さるようにして突き飛ばす。数瞬遅れて、左折したトラックの荷台から、積まれたパイプが崩れ落ちるのが見えた。思わず声を上げる。このまま落ちれば間違いなく彼女たちに直撃するだろう。僕は咄嗟に手を伸ばし、そのまま大きく横に払う。距離にして十五メートルは離れているであろう鉄パイプは、物理法則を無視した横っ飛びで彼女たちの頭上を通過し、辺りの路上に散らばった。ガラガラと鈍い金属音が鼓膜を突く。

「何? 何があったの?」

 路上に倒れこんだ女子が、訳が分からないといった顔であたりを見渡す。大丈夫かい、とトラックの運転手が駆け寄っていくのが見えた。音を聞きつけてか、周りから人が集まってくる。慌てた僕はハンカチで鼻を押さえながら、そそくさと騒ぎの場を離れた。

 また、やってしまった。ハンカチが鼻血で濡れるのを感じながら、自分の考えなしの軽率さを後悔した。とはいえ、今のはやむを得なかっただろう。見殺しにするわけにもいかないのだから。

 僕――三船悠里は、成績は平凡、容姿も並、何をさせてもそこそこなつまらない男だ。……ただ一つ、サイコキネシスが使える点を除けば。


◇◇◇


 昼休み。教室は朝起きたトラック事故の話題で持ちきりになっていた。一人弁当を食べながらクラスメイトの話に聞き耳を立てる。どうやら巻き込まれた二人の生徒のうち一人が生徒会役員らしく、しかも次期会長候補の有名人らしい。それでこんなに話題になっているわけだ。僕は顔も知らなかったわけだが。話の内容は主に生徒会役員の彼女のこととしょっちゅう危険な運転をしていたらしい軽トラックのことで、その場から逃げるように立ち去った男子生徒や、地面と水平に空中をスライドした鉄パイプの話などは口の端にも上らない。よかった、と胸を撫でおろした。交差点に人が少なかったのが幸いしたのだろう、誰かに見られたということはなかったらしい。となると、問題なのは。

「三船君、いるかな」

 蝉噪を切り裂いて、射るような声が教室に響き渡る。飛び上がって教室の扉のほうを振り向くと、渦中の人、江戸川先輩がそこに立っていた。

「お、いたいた。少し付き合ってもらえる? 話したいことがあって」

 教室中の視線が僕に集まる。最悪だ。この高校では七月の中旬に期末試験が行われ、八月頭から夏休みとなる。つまり今の期間、僕たちは世界で一番浮かれていて、宇宙で一番暇なのだ。そんな頭の中がお祭り騒ぎ状態の暇人たちのもとに訪れるゴシップ。事故に巻き込まれかけた生徒会長候補が、冴えないクラスメイトに話がある、とかなんとか。さっそく教室のあちこちで囁き声や耳打ち、忍び笑い。僕は慌てて食べかけの弁当を放り投げ、教室を飛び出した。胃が痛む。助けてくれ。

「元気だね、三船君。走ってこなくてもよかったのに。こんなところじゃなんだから場所を変えようか」

 にやり、と笑みを浮かべる江戸川先輩。僕よりも頭一つ分上にある口から、尊大な語り口で言葉が投げかけられる。くるりと振り向いて歩き出すと、少し高く結ったポニーテールが音もなく左右に揺れた。僕の了承は待たないらしい。慌てて後を追うと、こちらに振り向きもせず彼女が話し出した。

「君、朝の事故の時、交差点にいたよね」

「……はい」

 やはり、見られていた。あの時、地面にパイプが散らばってから人が集まってくるまでの短い間。僕は確かに彼女と目が合っていたのだ。信じられないものを見た、といったように狼狽している彼女と。

「やっぱり。絶対おかしいと思った。大変だったんだよ、君のこと探すの」

「よく見つけられましたね、こんなすぐに」

「それはまあ、生徒会役員だからね。ここ、入って」

 あまり答えになっていない返事をしながら彼女が招き入れたのは、校舎の端にある生徒会室だった。

「放課後以外は基本誰もいないから気にしないで。適当に座っていいよ」

 促されるままに中に入ると、後ろで江戸川先輩が鍵をかける音が聞こえた。いったい何をされるのだろう。往生して適当なパイプ椅子に腰かけると、正面に先輩が座った。

「単刀直入に聞こうか。朝のあれ、君がやったんだよね」

「あれって、あの事故はトラックが速度を出しすぎていたのが原因じゃないんですか?」

「なるほど、適当なかまかけには引っかからないか。事故のことじゃないんだ。あの事故の時、本当はパイプは私と友香……、朝一緒にいた子のことね、にぶつかって、私たちは大怪我をするはずだったの」

 まるでそう決まっていたかのような口調。思わず口を挟む。

「待ってください、でも二人とも怪我はなかったんですよね? じゃあそれでよかったじゃないですか。たまたまあそこにいただけで、僕には何の関係もない」

「普通ならそうなんだけどね。こと私に関しては、それはありえない話なんだ。あそこで私と友香は絶対に大怪我をすると決まっていたの」

 険しい顔で真剣なトーンで話す彼女を見ると、冗談や酔狂の類ではないようだ。

「それじゃあ、もう一度聞こうか。あのパイプが落ちる場所を変えたのは、君だよね?」

 薄い笑顔を浮かべてはいるが、目は笑っていなかった。正体の読めない感情を向けられて眩暈がするようだ。……おそらくは、観念するほかないだろう。ここまで確信を持たれているのでは誤魔化しようがないだろうし、それに何より、彼女はきっと――。

「わかりましたよ、ティッシュ、借りてもいいですか?」

「はい、どうぞ」

 長机の隅に置かれていたティッシュ箱をとろうと先輩が立ち上がるのを、手で制した。そのまま手をティッシュ箱に向ける。自分の手を延長するイメージで、指を折りたたむ。作った握り拳をこちらに引き込むように動かすと、ティッシュ箱は机をすうっと滑って僕の前まで移動してきた。

「こういうことです。咄嗟だったので、すみません」

 そのままティッシュをとり、鼻を押さえる。体のどこに負荷がかかっているのかよくわかっていないが、サイコキネシスを使うと鼻血が出てしまうのだ。

「なるほど、念動力か。初めて見たよ。どおりでね。……ありがとう、助けてくれて」

 そういう彼女の表情は、だいぶ柔らかくなったように見えた。お互いに緊張していたのだろう。この隙を逃さず、彼女に質問を投げかける。

「……先輩も、何かあるんですよね。さっきの口ぶりだと」

「……うん。話があるっていったけど、本題はそっちのほうなんだ」

 伏し目がちに答える先輩の姿は、なんだかひどく落ち込んでいるようにも見える。

「私も、超能力が使える。といっても、三船君のみたいに何かを動かしたりできるような力じゃないんだけど」

「もしかして、未来視ですか?」

「よくわかったね。ほとんど正解。私に見える未来は限定的でほとんど役に立たないんだ。自分の周りに起きる、危険なことで、数日以内のものだけ。しかも観測した未来は、どんなに回避しようとしても確定で起こるんだ。……ただ見えるだけで、何の役にも立たない、出来損ないの力だよ」

「それで、トラックが事故を起こすってあらかじめ知ってたってことなんですね。……あれ、でもそれって」

「そう、確定しているはずなんだ。絶対にするはずの怪我が、何かのイレギュラーで起こらなかった。……君というイレギュラーで」

 息を呑む。先輩はギシリと音を立てて椅子から立ち上がると、大回りで生徒会室をゆっくりと歩き、窓側まで歩みを進めた。目を細めて中庭を眺めながら続ける。

「君、自分以外の超能力者と会ったことは?」

「いえ、初めてです。多分いるんだろうな、とは思ってましたけど」

「そっか。私も初めて。……この瀬戸際になって君と出会えたのは、ひょっとして運命なのかもね」

 寂しげにほほ笑み、空を見上げる江戸川先輩。窓から差し込む陽光が彼女の暗い茶髪を照らす。窓枠の形に切り取られた光が足元に陽だまりを作っていた。……彼女の膝が震えていることに、気づいた。

「来週の月曜日。時間は多分、昼の二時くらいかな。……この学校に、飛行機が落ちてくる。授業のど真ん中の時間に。誰も逃げられない。みんな、死ぬ。私も。きっと、君も」

 突拍子のない発言に耳を疑う。けれど彼女の声色が、表情が、全身が、それが真実であることを痛いほどに伝えていた。

「……でも、もしかしたら、変えられるのかも。救えるのかも。君がいれば。……力を、貸してくれないかな」

 振り向いてこちらに手を差し伸べる彼女。その姿は無性に気高くも見えるし、どこか草花のような儚さも感じられた。……どうして彼女が次期生徒会長候補なんていわれているのか、なんとなくわかる気がした。僕はあっけにとられたまま、差し出された手を握り返した。

「ありがとう、三船君。自己紹介がまだだったね、私の名前は江戸川慧。二年B組、未来が見える。よろしくね」

 そういって笑う顔は、やはり年相応な少女のそれだ。なんだかつかみどころがない人だな、というのが、初めて出会った超能力者の第一印象だった。


◇◇◇


 翌日の金曜、昼休み。僕たちは再び生徒会室に集まっていた。

「それじゃあ、三船君の念動力がどのくらいのスペックなのか聞かせてほしいな」

 家電でも買いにきたかのような口ぶりで聞く江戸川先輩に答える。

「協力する、とはいいましたけど、僕の力じゃ多分どうにもなりませんよ。僕のサイコキネシスも結構制約が多いんです。力を使いすぎると鼻血が止まらなくなるし、体の延長のイメージだから、目に見える場所にしか届かないし。動かせるものの重さは自分の腕力なんかよりはずっとましですけど。それに――」

「思ってるより万能じゃないんだね。それに?」

「……人間に向けることができないんです。僕の力は、物にしか使えません」

「ほう。それは生身の人間には、ってこと?」

「……いえ」

 ばつが悪く、いいよどむ。

「人に向けている、って意識すると力が発動しなくなるんです。例えば、誰かが乗ってる車とか、そういったものにも。だから飛行機が落ちてくるのをサイコキネシスで止める、みたいなのも難しいと思います」

 もっとも、その方法は出力が足りるのかもわからないが。自分の力が最大でどれくらいまで出せるのか、実のところ試したことがなかった。

「ふうん、なるほど。それならそもそも飛行機が落ちてこないようにするとか、そっちの方法で考えたほうがいいかもね」

「先輩の未来視って、どれくらいの鮮明さで見えてるんですか?」

「場合によるんだけどね、今回は結構鮮明に見えてる。落ちてくる飛行機はフェリーフライト――いわゆる回送だね、だから乗客はいないみたい。場所は学校の屋上、時間は昼の二時ごろ。……こんな感じかな、わかってるのは。乗客がいないのは幸いだね」

「その未来を、僕が念動力を使うことで変えようと。……でも、なんで念動力を使うと未来が変わるんですかね?」

 ふと疑問を口にする。どういう理屈なのだろうか。

「うーん、多分なんだけど、私の未来視っていろんな情報を集めて結果確定した未来が見える、って感じなんだと思う。だから私のことしか見えないし。今回のことも、テレビのニュースとか、天気とか、関係なさそうないろいろなものが積み重なった結果の予測なのかなって。ただ、その情報の積み重ねに念動力は――」

「含まれていない?」

「仮説だけどね。全部が予想でしかないから本当のことはわからない。でも、君のおかげで私が今日無傷でここにいられるってのは確かだから、理屈なんてどうでもいいんじゃないかな」

 そういう先輩の顔は何か諦めのような寂しさを携えている。昨日もそうだったけれど、明るく振舞って見せたかと思えば、突然世界にたった一人みたいな表情を覗かせる。不思議な人だ。

「理屈でいうなら、君の力が人間に使えない、っていうのこそどういう理屈なのさ。念動力の作用的には問題なさそうだけど」

「それは……、きっと、僕に原因があります」

 人間に力を向けられない理由は、自分の中ではっきりとわかっていた。昔は問題なく使えていたし、こっそり妹を持ち上げる、なんてこともしていたのだ。それが今では全くできなくなった。原因は、過去の自分にある。

「へえ。自分でわかっているなら解決のしようもありそうなものだけれども、どうなの?」

「……だったらいいんですけどね」

 自嘲気味に、独り言のようにつぶやく。先輩は少し怪訝な顔をしたが、「まあいいか」と引いてくれた。

「とにかく、作戦を練る必要があるね。放課後はこの部屋は使えないんだけど、どうしようか。私の家でもいいんだけど、電車通学だから遠いんだ。三船君の家は?」

「ああ、うちでもいいですよ。そんなに離れてないから」

「決まりだね。じゃあまた放課後に教室に迎えに行くよ」

「やめてください、校門を出たところで待ち合わせにしましょう」

 またクラスメイト達から揶揄するような視線を浴びるのは堪らなかった。なるべく目立つことなく穏やかに過ごしていたいのだ、僕は。


◇◇◇


 放課後。僕と先輩は並んで自宅へと向かっていた。

「君の力が人にも使えたらまた違うんだけどねえ。例えば全校生徒を安全な場所まで放り投げるとか」

「絶対別な怪我をするだけですよ。まじめに考えてますか?」

「もちろん真面目さ。でもこうやってなんとかできないか、と考えられることすら初めてでね。不謹慎だけど、少しわくわくもしている」

「なんだか話を信じたのが馬鹿みたいに思えてきました。ほら、もう家につきましたよ」

「おや、なかなか素敵な一軒家じゃないか。お邪魔します」

 先輩はそういうと、物おじもせずすっと中に入っていく。僕よりも先に。

「おかえりなさい……、あれ、お客さん?」

 慌てて僕も中に入ると、ちょうど妹がリビングから顔を覗かせたところだった。

「そう、学校の先輩」

「妹さん? 初めまして、江戸川といいます。よろしく」

「妹の真菜です。お兄ちゃんがお客さんを連れてくるなんてめずらしい。何もない家ですがゆっくりしてってくださいね」

 そういって真菜は杖を突きながら自分の部屋へと向かっていった。僕たちも自室へと向かう。

「妹さん、足、悪いの?」

「……はい。それが、僕が人に力を使えない原因です」

「ほう」

「真菜の……、妹の足は、僕が握りつぶしたんです。念動力で」

 あれはまだ僕が中学生になりたてのころの話だ。途中まで一緒に通学していた妹が、信号無視の車に轢かれそうになった。慌てた僕は咄嗟に念動力で妹を引き寄せ助けようとしたが、咄嗟のことで力の調整が上手くいかず、結果として後遺症が残るほどの大怪我を負わせてしまった。

「わかってるんです、原因は。でも、やっぱり怖い。自分の力で誰かが傷ついてしまうのは。また妹みたいに大怪我をさせてしまうのは。……だから、人には力を使えません。すみません」

「謝ることはないさ。それならそれで考えがあるし、何より君は何も悪いことをしていないからね」

 先輩はそう嘯くと、何も聞かなかったかのように今後のことについて話し始めた。今思いついた作戦があるから、土日のうちにメールにまとめて送る、と。ざっくり説明すると、念動力を人間には使わずに、人間を動かすらしい。なにがなんやらだったが、聞き返すと先輩はいたずらっぽく笑って「お楽しみだよ」というだけだった。結局メールを待てという指示以外はろくになく、先輩は妹の部屋に乗り込んでいき、夕飯を一緒に食べるくらいに打ち解け、そのまま解散となった。


◇◇◇


 メールが届いたのは土曜の深夜になってからだった。つらつらと書かれた作戦を読んでいく。なるほど、念動力は使うが、人には使わない。文中に「ここは私が上手くなんとかするから大丈夫」とずいぶん投げやりに書かれた箇所があるのが気にはなったが、初めて会った日のあの握手を交わした先輩の姿を思い浮かべると、言葉にはいい表せない信頼感があった。この作戦ならば、もしかしたらうまくいくかもしれない。

 作戦の肝は、念動力を使わないと起こりえない状況を作り出すことだ。例えば僕が非常ベルを念動力で鳴らす、なんてことをしても、結局は本人の力でできることなのだから、未来は変わらない可能性が高い。必要なのは、イレギュラーなのだ。先輩の作戦なら、もしかしたら。僕は期待を胸に、来る月曜の昼を待った。


◇◇◇


 月曜、昼休み終わりの一時。僕は体調不良を理由に保健室にいた。三限目から籠っていたので、今日はまだ先輩には会えていない。向こうもうまくやってくれるといいのだが。

 養護教諭の隙をついて、こっそり保健室を抜けだす。目指す場所は三階にある理科実験室だ。一息に階段を駆け上がると、準備室の扉に手をかけた。案の定、鍵がかかっている。だが、むしろそのほうが好都合だ。一歩扉から距離をとり、掌を鍵にかざす。そのまま思い切り力を籠める。鍵はいとも簡単に破壊された。思いっきり犯罪だが、非常時なので大目に見てほしい。そのまま中へ侵入し、棚からあるものを取り出した。瓶に入った金属ナトリウムの塊。これは水に触れると、大爆発を引き起こす。その反応性の高さはすさまじく、空気中の水分とも反応してしまうほどなので、普段は灯油に浸して保存されているほどだ。その塊を、念動力で浮かせる。そのまま窓から思い切り遠くへ。サイコキネシスの届く範囲は僕の視界内だ。目指す場所は、ゆうに百メートルは離れているだろう、校庭の隅にあるプール。

 勢いもそのままに、水の張られたプールへと塊を放り込む。しゅぱっ、と小さな水音をたてて水中に沈むそれは、次の瞬間、轟くような爆音とともに大爆発を引き起こした。窓ガラスがビリビリと音を立てて震える。近くの教室から悲鳴が聞こえてきた。これだけの爆発が起きれば、すぐに騒ぎになるだろう。校内で爆発事故が起きた際の避難場所は、ここから少し離れた場所にある中学校になっていた。これで大丈夫だ。避難の時間はまだある。あとは僕も生徒たちに合流して避難していくだけだ。

 先輩の考えた作戦は、先に校舎を空にしてしまおう、というものだった。念動力を使い、校舎から避難せざるをえない状況にしてしまえば、飛行機が墜落してきても大丈夫だろう、と。懸念点は、先輩も一緒に避難することによって、墜落の場所が避難先に変わってしまう可能性があることだった。以前にも危険を回避しようとした結果、そういったことがあったらしい。そこは先輩が上手くやってくれるらしいので、それを信じたい。

 教室ごとに集まって避難が進んでいく。すべては順調だ。もしすべてが先輩の狂言だったとしても、僕が誰かに咎められることもないだろう。僕は避難所になっている中学校の体育館で、江戸川先輩の姿を探した。しかし、彼女はどこにもいない。

 妙な胸騒ぎがする。まさか、の考えが脳裏をよぎる。僕は一人体育館を飛び出し、今来た道を逆戻りし高校へと走った。


◇◇◇


 息も絶え絶えに屋上への階段を駆け上る。時間は二時三分。もういつ飛行機が落ちてきてもおかしくない。

「先輩!」

 鉄扉を開けて屋上へ飛び出すと、七月の太陽がぎらぎらとした日差しでコンクリートを焼いていた。噎せ返るような灼熱。陽に焙られた空気が肺を焦がすようだった。うまくやるよ、といっていたはずの先輩は、なぜだか未来視の通りに屋上にいた。

「何してるんですか、先輩」

「あれ、三船君。駄目だよ、ちゃんと避難しないと。台無しじゃん」

 あっけらかんとした表情の先輩。この数日でわかったことがある。この顔でへらへらと笑う先輩は。

「どうしてですか、先輩」

「初めてのケースだから、うまくいかなかったときのためにね。だって、私も一緒に避難して、私がいる場所に飛行機が落ちてきたら、それこそ意味がないじゃない。最初に考えてた作戦はね、私がここに残って、ぎりぎりで君にどこかに運んでもらう、っていうものだったんだ。……でも、君にはそれはできないってわかった。じゃあ、仕方ない。私が飛行機と心中するよ。それが一番安全だ。違うかな?」

「でも、それじゃあ先輩が」

「三船君」

 さえぎるように先輩が名前を呼ぶ。遠くで何かが風を切る音が聞こえた気がした。

「私はね、もういいんだ。……実をいうとね、もう疲れ果てたんだ。君は想像したことがあるかな、予測はできても絶対に回避できない未来を、何度も見せられる生き方を。しかも、悲しいことや辛いことだけ。……私のことだけなら、まだいいよ。でもね、友香みたいに、私の周りにいてくれる子でさえ、ひどく傷つく姿を見てしまう。それも、私には救えなくて。……それって私からすれば、常に周りの人を見殺しにし続けているようなものなんだ。私のせいで傷つけているような。そんな感覚に、もう耐えるのが辛くなってね」

 うなりをあげて、鉄の塊が空を切り裂くのが見えた。明らかに、こちらに向かって落ちてきている。このままでは。

「だからね、最後に君に出会えて、本当にうれしかった。君が未来を変えてくれたおかげで、最後に私は大勢の命を救えるんだ。……これが贖罪だよ。私は周りの人間を不幸にする。これは私にとっては紛れもない事実なんだ。ほら、君も早く行って。私の運命に、これ以上君を巻き込みたくない」

 そう冷たくいい放つと、彼女はこちらに背を向けてしまった。その背中は震えている。これ以上は、もう間に合わなくなる。

「それとね、三船君」

 震える背中がいう。

「妹さんのこと、三船君はすごく気にしてるみたいだけれども。彼女は君に感謝していたよ。考えてもみなよ、君が救わなければ、彼女は今頃この世にはいなかったかもよ。私と友香だって、君に救われたんだ。今、学校のみんなも。……君の力は、優しい力だよ。誰かを守れる、温かな武器だ。だから、大丈夫」

 先輩は。ずっと傷だらけの未来を見つめて生きてきた彼女は、きっと誰よりも強くて、誰よりも弱い。彼女がおどけた調子で話すのは、嘯いて笑うのは、弱さを隠すためで。

「先輩」

 僕にもまだ、できることがあるはずだ。

「僕が止めます」

「え?」

 目を丸くして、先輩が振り向く。やっぱりこの人は、素の表情のほうが人間味があって、魅力的だ。

「僕が飛行機を足止めするので、その間に何か大きい布みたいなものを持ってきてくれませんか。……やってみましょう、最初の作戦」

「え、いや、でも」

「早く!」

 先輩の手を取って、階段へと連れていく。

「近くの教室からカーテンを外して持ってきてください。頼みます」

 それだけ伝えて、僕は遥か上空を見上げた。

 目を開けていられないほどの過酷な光線。

 明らかに異質な、巨大な鋼の鳥。

 それに向けて、僕は両手の掌をそっとかざした。

 腕の延長のイメージ。力を籠めると、鼻血がぼたぼたと落ちて、コンクリートに染みを作る。ひどい頭痛がした。万力で頭を締め付けられるような痛みだ。腕に重みは感じないが、その分の負荷がすべて直接脳みそを襲ってきているようだった。飛行機は、少しは止まっているのだろうか。頭痛で五感が破壊される。視界がチカチカと明滅して、何もわからない。どれくらいの時間が経っただろうか。肩を揺さぶられる感覚で、ふっと我に返った。

「三船君! これでいい?」

 いつの間にか、先輩が戻ってきていた。飛行機は……、止まっていたのだろうか、よくわからない。先輩は視聴覚室で使う暗幕を引きずって持っていた。

「ありがとうございます、十分です。これでやってみます」

 昔妹とよくやっていた遊びを思い出す。体に緊張が走った。念動力は僕から出るエネルギーを使うので、僕自身を動かすことはできない。だから。

 念動力で暗幕を浮かせる。これにうまく乗って、バランスを崩さないように先輩に手を伸ばした。

「乗ってください。しっかりつかまって。……こいつを飛ばします」

 強くうなずいて、先輩が暗幕に乗り込む。アラジンの魔法の絨毯のように、ゆっくりと暗幕が進みだす。力加減が難しい。少しずつ、少しずつ加速する。うまいこと屋上を飛び出し、校庭の隅へと滑り込むように着地した。勢いあまって地面を転がる。全身が痛む。鼻血も止まらない。立ち上がろうとしたその瞬間。鋼の鳥が、先ほどまで僕たちがいた屋上にすさまじい速さで激突した。

 火柱が上がった。衝撃で飛び散った瓦礫をサイコキネシスではたき落として身を守る。酷いありさまだ。校舎はボロボロだし、僕たちも満身創痍だ。……でも、生きている。

 立ち上がった先輩は、制服についた泥を手で払い、疲れた顔でこちらに向き直り、いった。

「思ったよりも万能じゃん、サイコキネシス」


◇◇◇


 学校はしばらく休みになり、そのまま夏休みへと突入した。当たり前だ。授業ができる状況じゃなかった。そして爆発事件のことはよくわからないがうやむやになっているらしい。いろいろなことが重なりすぎて、学校も対応に苦心しているそうだ。

 そして今日、僕は久しぶりに先輩に会うことになっている。駅前の珍妙な形のオブジェの前で待ち合わせ。僕は五分前には着いていたのに、先輩は十五分も遅れて現れた。

「ごめん、道を間違えたんだ」

「駅前なのにどうやったら間違えるんですか。じゃあ行きましょうか」

 先輩の未来視は今でもまだ続いている。僕が近くにいればある程度の危険は回避できるのではないか、と提案したけれど、先輩はそれを断った。

「もし私が死にそうなときは、助けに来てもらうよ」

 あっけらかんとして彼女はそういっていたが、その表情は初めて出会ったときよりもずっと生き生きとしていて、人間味のあるものだった。

「三船君、早くしないと映画が始まっちゃう。私を映画館の前まで運べないかな」

「やりませんよ、絶対。大体それだと僕だけ遅れるじゃないですか」

「まずい、いますぐ映画館の前まで飛ばしてもらわないとミサイルが私を直撃して……」

「オオカミ少年って知ってますか? もう二度と手伝ってあげませんからね」

「冗談だってば、怒らないでよ」

 ケラケラと笑う先輩。つられて僕も笑ってしまう。夏の空をから降り注ぐ日差しが頭のてっぺんを焦がす。こんな天気が何日も続いて、いよいよ本番の夏が始まるのだ。僕は少し前を歩く先輩の背中に掌をかざして、力を込めた。後ろから押された先輩がおっとっととつんのめり、恨めし気にこちらを見る。……しばらくは、ミサイルはごめんかもしれないな。蝉噪が包む町の中、そんなことをつぶやく。見上げると、塵一つない烈々とした青空がのびやかに広がっていた。


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