1.新たな厄介事の気配
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第3章が始まります。
〜*〜
はぁ。
はぁ。
はぁ。
息切れが酷い。視界が霞む。
けれど腕の中のこの子だけはと思い、足は絶対に止められなかった。
逃げきれない。そんなこと分かっている。それでもあと少し、もう少しだけ。
どのくらい走ったかも、どこを走っているのかも分からない。
『だいじょーぶ?』
思わずよろけて足が止まり、膝をついてしまった。
ここまでか… と絶望しかけた瞬間に聞こえた幼子のような声。見上げると、腕の中のこの子よりも小さな瞳と目が合った。
この場の雰囲気に似つかわしくない、にこにことした表情。誰、と考える余裕もないくらい、意識が朦朧としている。
「助けて! 助けて! この子だけでもいいから助けて!」
『たすけるのー?』
『どうするー?』
「私はもうっ… どうなってもいいの…! この子だけは… この子を蔑まない、優しい人がいる場所であればどこでもいい!」
私は叫んだ。そのたびに身体が限界だと悲鳴をあげる。
目の前の存在が何なのかなんて、判断する力は私にはもう…
私をじっと見てくるその瞳は、とても綺麗で濁りなんてなくて。私やこの子を蔑み、罵ってくる夫や周囲の人の目はあんなにも怖かったのに。
『いいよー』
『リルフィのところならだいじょうぶだよー』
『たすけてくれるよー』
リルフィ、というのが誰なのか。
男性なのか、女性なのか。…優しい人、なのか。
この子を… 守ってくれる人なのか。
私は自身の生命の終わりを感じながらも、この子を抱きしめ、僅かながらの希望を抱いた。
「ありが、とう…」
『じゃあいくよー』
『いっくよー』
ここから離れるのならなんだっていい。
生まれ育った故郷だけど、未練はない。この子を殺そうとする夫なんて大嫌い。
そんなことを考えている間に景色が変わった。ついでに空気も変わった。
まさか、転移魔法とかいう…? そんなものが使えるなんて、まさかこのコたちは…
どこかの森の中。魔族領とは全然違う、とても澄んだ空気。
……最後に、ここに来れてよかったかもしれない。あんな場所で野垂れ死ぬよりは100億倍マシだ。
もっと早く、逃げ出す勇気を持ち、行動できていたら私も、もっと…
「がはっ……」
吐血。
浅くなる呼吸。ゆっくりになる心音。
ああ、あとどのくらいかな。どのくらい、この子の傍にいてあげられるのだろう。
「……っ! ごめんね… ごめんねぇ…… 一緒に、いてあげられなくて、ごめんねぇ……」
すやすやと眠る“我が子”。可愛い可愛い、私の息子。
普通に生きさせてあげたかった。
もっと一緒に、いたかったなぁ……
『反応はこっち!』
「こんな所に? でもこの気配…」
『…! 気を抜かないで。この気配は…』
誰か、来たのかしら…
私たちをここに連れてきてくれたあのコたちが言っていた“リルフィ”?
数秒後に姿を見せた人間は、プラチナブロンドの髪のとても綺麗な女の人だと思った。
~*~
その数時間前。
『ヒマね』
ネールが突然、そんなことを言い出した。
私の誕生日から数か月がたった今日。ティナ義姉様の妊娠の初期症状も落ち着いて、さっきも会ってきたばかり。
朝のルーティーンもやって、畑の様子も見て、ティナ義姉様の所へ行って。
ヒマってぼやくほど何もなかったわけではないと思うけど。むしろ色々動いてやっと落ち着いたって感じだろうか。
それにネールの言う『ヒマ』って、訳すると『何か面白いことはないかしら』である。
平和が一番だよ、ネールさん。
でもネールの言いたいことに一理はある。
採掘に行く計画でも立てようかとボソッと言うと、ネールは顔をわくわくきらきらさせながら私を見てきた。
普通にカワイイものが好きなネールだけど、冒険心も持っているので私の採掘の為にそういう所に行くのは大好きなのだ。
私もそういうのは大好きだ。正直、ドレスや宝飾品よりも興味ある。
…そんなこと、ルピアやミアには言えないけど。
全く興味がないわけではない。採掘=製作であるから、どういう形か、どういう色か、素材をどうするかを考えるのは好きである。
次は何を作ろうかなぁ… この前のハルーシュプラントの魔石で作ったのはなかなかの出来栄えだったと思う。後はきちんと性能を見たいとこだ。
『リルフィ~ 森に行かない? 季節的に珍しい薬草が生えてるかも~』
「そうか…! どの季節にどの薬草が自生してるのかを調べるのもいい機会だよね」
『それに、セトと初めて会った場所にあったあの水源。質の良い水でちょっとだけ魔力も帯びてたから、調薬や錬金に使えるかも』
「すぐ行こう」
まさかこんな近場に良質な素材があろうとは…! その周辺にはラメルもいるはずだし、ついでにハーモラットたちの様子を見てこよう。
もうそろそろ新しい場所にも慣れてきた頃だろうか。
今日は良い天気だし、森の中の空気も澄んでいそうだ。ちょっとした森林浴気分を味わえるかもしれない。
『………』
「フィーラ? 難しい顔してどうしたの?」
『なんか、ぴりぴりするっていうか…』
いつもははしゃぐフィーラがおとなしく、そして眉間に皺を寄せ、難しい顔をしている。
生物の気配やいろんな情報を、誰よりも早く察知するのがフィーラだ。今回も何かを感じているのだろう。
そう思うけど、私も何か引っかかる。
全く気にしない… わけにはいかないけれど、気にしすぎるのも疲れるので頭のすみっこくらいに置いておこうと思う。
「あ、クリス。ちょうどいいところに」
「え??」
「今から森へ採集に行くの。ついてきて」
後から何か言われたり聞かれたりも嫌だから、たまたま私へ荷を持ってきてくれたクリスを巻き込むことにした。
私がこの屋敷にいる時は、ロリスとクリスは交代で私に付いて雑務を手伝ってくれたりする。
もう私のやることにあまり驚かなくなってきた2人だが、ちょっと油断してると不意をつかれるように驚くみたい。
その反応がたまに面白かったりする。
そんなこんなで、日が暮れてから行くよりはと私はすぐさま行動した。まぁ、夜の森の様子も知りたいからいつか行くつもりではあるけれどね。
何気に、ゆっくり見て回る為にこの森に入るのは初めてなので、実は少しだけわくわくしている。
クリスは森の中をマッピングしながら、どこに何があったかを記していってくれている。1人でもやれなくはないのだが、やっぱりやってくれる人がいると自分は細かい所まで見られるので、来てもらって正解だった。
私はそんな地味で細やかな作業でさえも楽しかった。…でも、その間フィーラの様子が変わることはなかった。
クリスの肩に乗っかって『むむむ…』とずっと唸っている。
フィーラが私以外の誰かに乗っているのも珍しいのだが、その様子をちらちらと見ているサーラがずっと不機嫌なのもあまりないなぁと思った。
ただ、あの様子だと… もうそろそろ突っかかりにいきそうだな…
『いつまでブスな顔してんだよ』
『うるっさい! ブスじゃないし!』
『んな顔しててブス顔じゃないわけがないだろ』
『なんですって!?』
ほらね、喧嘩になった。
サーラもなんであんな言い方するんだろう。素直に心配してると言えないものか。
誰も気にした様子もなければ、止めに入る気配もない。…まぁ、私もなんだけど、クリスの耳元で騒いでいるのでそこだけ心配だ。
「クリス、耳大丈夫?」
「ああ… ロリスの放ってくる爆音波よりマシだから、全然気にならない」
「………そう…」
水を汲みながら簡単に訊ねたらそんな返しをされた。…喧嘩した時とかかな?
うーん… 2人はどんな喧嘩をするんだろう。
男女とはいえ、双子だし一番近しい存在であるから喧嘩も遠慮なしのような気がする。
喧嘩するほど仲が良い。…と言っていい、かな? サーラとフィーラのことは一旦置いておくとして。
『…っ!!? はぁっ!?』
『な、なんだよ!?』
フィーラが突然、喧嘩じゃない大声をあげた。それに驚いたサーラが何事かと返すが、フィーラはそれに何も返さず集中して周りを探っている。
みんな、ただごとじゃない様子を感じとった。私も気になったので、汲んだ水をしまってからフィーラのように探ってみる。
しばらくして何もなかった所に、魔物じゃない生命反応が現れたのだ。
『うっそでしょ…』
「フィーラ、これって…」
『確認しに行かなきゃ!』
その生命反応が何かまでは分からない。でも、それをどうするかはさておき、確認することには私も同意だった。
私では大まかな方向しか分からなかったので、案内するようにどんどん進んでいくフィーラについていく。ここ数日は何事もなかったのに、と少しだけ緊張が走る。
どんどん、どんどん進んでいく。けっこうな奥地だ。
『反応はこっち!』
「こんな所に? でもこの気配…」
『…! 気を抜かないで。この気配は…』
魔物じゃない。でも、ただの人間でもないこの気配。
あまり感じたことのない気配だったけれど、たった1人だけ、同じような気配の人に会ったことがあった。
「…あ…な、た……は…」
以前、私を狙った呪術師の人と似た気配。
あの人は魔族だった。今まで多くの人々に出会いはしたけれど、会ったことある魔族はその人だけ。
ということは、目の前のボロボロの女性も魔族だということだ。




